塾の広告文  :2005.2.3
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最近、新年度塾生募集の広告が新聞ちらしによく入っている。塾としては
一番広告に力が入る時期なのだろう。それにもかかわらず、内容や文章に
「?」を付けたくなるものが少なくない。

例えば、N開の広告は次のように始まる。
『中学受験を通して、学ぶことの意義を体験できる人間関係作りと場作り。
そこから得られる厚きご声援と温かいご批判。私どもの活動のいのちです。
そして、欲張って、生涯、子どもたちの心に残る風景を創りたいと思います。』

最初の体言止めは「そこ」で受けているのかと思ったが、「そこから得られる」
「声援」と「批判」に意味の上でうまくつながらない。さらに、次の体言止めは
受けている言葉はないので3つ目の文章の主語になっていると考えるしかな
いと思ったが、一層意味がつながらない。何が活動のいのちなのだろう。わか
らないうちに「そして」以降の4つめの文章が来るので、つながりが全部めちゃ
くちゃだ。受験問題を作り続けるとこういう文章に慣れてくるのだと思うと、そら
恐ろしい。

次にKゼミ。「求められる人間大事の教育」と題した広告にかなり長い文章が
載っている。気合は入っているようなのだが、どうも現実と理想のギャップが
あまりに大きく、混乱した様子がうかがわれる。後半に次のような箇所がある。
『問われる学校教育、偏差値教育、学歴偏差社会等々・・・。しかし、「一点を
笑う者は一点に泣く」のが入試の現実である。現行の入試制度、学校制度の
抜本的な改革が生じない限り、少なくともKの陣営では徹底した日々が続く。』

「しかし」が何に対してかがわからないことを除いても、「少なくともKの陣営では」
という箇所が非常に気になる。このまま読めば、他の塾はいざ知らず、Kでは
人間大事の教育ではなく、現実の一点を取りに行くことを最重要視するという
ことになり、表題から考えられる趣旨と合わない。

最後にI塾。これが一番気になる。「第一志望校 全員合格のために」という文
章の途中から様子がおかしい。
『(前略)最後までやり遂げられるだろうかといつも心配で、辛そうなときには
「もういいよ。そんなにがんばらなくても」と言ってしまいそうになるのをこらえて、
わが子が机に向かう横顔に小声で「がんばれ」とだけ繰り返して下さった保護
者の方々。みなさんはお子さまと共に苦労を乗り越えられた瞬間を、これから
ずっとお忘れにならないでしょう。(中略)第一志望校全員合格のために。そし
て親子で乗り越える感動をお手伝いするために。』

受験の時に親が果たす役割は大きいだろうし、気苦労も大変なことは確かだ
ろう。でも、それを、「お子さまと共に苦労を乗り越えられた瞬間」とか、「親子
で乗り越える感動」などど書かれたら、それは塾が書くべき事柄ではないだろ
うと思う。感動する人は感動すればいいのであって、塾はもっと親子の自立を
求めるべきだ。

私は別に上記の塾が悪い塾だと言っている訳ではないし、塾の広告すべてには
目を通していないのでこれによって他の塾との比較をしようと考えている訳でも
ない。しかし、それぞれの塾にはそれぞれの思い入れがあるはずで、それを伝
える広告の文章がこの程度ではいけないのではないかと思う。塾生に読ませて
恥ずかしくない文章、さらに良い文章の例として教材に使える文章、を広告として
世の中に発表すべきだろう。