民主主義と空間の問題〜京都自由大学講義(10月8日) :2005.10.15
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【日時】 2005年10月8日(土)19:00〜21:00
【場所】 京都三条ラジオカフェ
【講師】 桃山学院大学 竹内真澄氏
【テーマ】 民主主義と空間の問題

誰でもタダ(もしくは低料金)で入ることのできる公共的空間と民主主義の関係に
ついて考えている。
ここでの空間は具体的には、道路、歩道、公園、河川敷、寺、大学、小学校などを
指している。
戦後すぐの日本を考えると、例えば京都メーデーが五条通の一部を交通封鎖して
開催したことがあるなど、かなり自由だった。しかし、1952年に「血のメーデー事
件」(*)が起こり、空間の使用が制限され、ある意味で民主主義の芽が摘み取ら
れたといえる。

 (*)血のメーデー事件
 1952年皇居前広場で行われる予定だったメーデーの直前に、皇居前広場を使
 わせないことを通知し、当日、警察を待機させた。広場に集まった人々に警察が
 発砲し2名死亡、逮捕者数千名を出した。裁判において警察の行き過ぎが認め
 られたが、広場(空間)の使用については触れられなかった。
 なお、5/1のメーデーで皇居前広場の使用が禁止されたが、5/3の政府主催
 の集会は開催された。政府に都合の良いものだけが選別される。

1968年には、新宿西口広場で べ平連らが土曜コンサートを開催し、合唱や討論
を行う。これが日本各地に広がりを見せた。しかし、西口広場は西口通路だという解
釈によってこの空間使用も抑圧された。こういう場所の使用を禁ずる際には、道路交
通法が利用された。
以降、歩行者天国があっても、あくまで歩道であり広場とは区別されてしまっている。
また、大学の郊外移転が進み、都会に民衆の空間は減少している。ホームレスの
場所も規制されている。

ヨーロッパでは広場を獲得する運動があり、それが政治変革に寄与し福祉国家のもと
になっている。日本は企業社会となり民衆空間は小さくなっていった。
民衆空間を取り戻す取り組みが民主主義をより充実したものにするのではないか。
(オスロでは、スケートボードをどこでやっても良いという法律があるらしい)

最近では、階層による空間の分離も進んでいる。階層によって住むところ、買うところ
が分かれ、階層の違う人たちの接点が失われている。

⇒今回の話を聞いて、公共の空間ではもっといろんなことをやっていいんだという気が
  してきた。規制されていないのに、勝手に制限してしまっていることが多いかもしれ
  ない。