京都自由大学講義 (4月2日) :2005.4.18
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【日時】 2005年4月2日(土)19:00〜21:00
【場所】 京都三条ラジオカフェ
【講師】 立命館大学名誉教授 末川清氏
【テーマ】 歴史から学ぶということ

3月26日は体調を崩し微熱があったため残念ながら欠席した。ここで休むと続かなく
なると思い、まだあまり体調は良くなかったが行くことにした。最初の方で話のあった
横浜事件(*)については全く知らなかった。また、ドイツの戦争責任の取り方が日本と
よく比較されるが、私自身は比較する対象となる事実を知らない。歴史から学ぼうと
すると当然だが歴史を学ぶ必要が生じてくる。

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「歴史を学ぶ」と「歴史から学ぶ」
 「歴史から学ぶ」事例として、大空襲と横浜事件を挙げていた。横浜事件は治安維持
 法により多くのジャーナリストが捕らえられ犠牲になった事件であり、このことが憲法
 第36条「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」に繋がっている
 という話があった。

「歴史から学ぶ」とは
 (1)過去の経験を省察して、そこから「よりよく生きる」手立てを考え、行うこと。
   ・歴史の何を選びとり、それをどう表現するか。
   ・個人としての過去と公的な過去
 (2)過去の克服
   ・何を学びとり、何の行動をするか。
   ・ドイツでは1980年代から90年代にかけて、普通の人々の戦争への加担が問題
    となった。ドイツ国防軍展で、普通の人々が捕虜虐殺に手を貸したことを展示として
    一般公開され、大きな反響があった。右翼の展示反対や議会でも議論があった。
    その中で、逃走兵の名誉回復(1万人くらい)がなされた。このような軍隊の中では
    逃走がむしろ表彰に値するという考え方が採られたようである。日本では考えられ
    ないという話をされたが、日本以外でも考えにくいように思う。このあたりはもう少し
    内容を知りたい。
   ・また、アイヒマンの話もあった。アイヒマンについては村上春樹の「海辺のカフカ」でも
    紹介されていた。
 (3)「よりよく生きる」手立てを考え実現しようとしてきた人間の英知に学び、その継承・
    発展により、「未来を創造」

(*)横浜事件
太平洋戦争下の特高警察による,研究者や編集者に対する言論・思想弾圧事件。
 1942年,総合雑誌《改造》8,9月号に細川嘉六論文〈世界史の動向と日本〉が掲載されたが,
発行1ヵ月後,大本営報道部長谷萩少将が細川論文は共産主義の宣伝であると非難し,これ
をきっかけとして神奈川県特高警察は,9月14日に細川嘉六を出版法違反で検挙し,知識人に
影響力をもつ改造社弾圧の口実をデッチ上げようとした。
 しかし,細川論文は厳重な情報局の事前検閲を通過していたぐらいだから,共産主義宣伝の証
拠に決め手を欠いていた。そこで特高は細川嘉六の知友をかたっぱしから検挙し始め,このとき
の家宅捜査で押収した証拠品の中から,細川嘉六の郷里の富山県泊町に《改造》《中央公論》
編集者や研究者を招待したさい開いた宴会の1枚の写真を発見した。
 特高はこの会合を共産党再建の会議と決めつけ,改造社,中央公論社,日本評論社,岩波書
店,朝日新聞社などの編集者を検挙し,拷問により自白を強要した(泊共産党再建事件)。
 このため44年7月,大正デモクラシー以来リベラルな伝統をもつ《改造》《中央公論》両誌は廃刊
させられた。一方,特高は弾圧の輪を広げ,細川嘉六の周辺にいた,アメリカ共産党と関係があっ
たとされた労働問題研究家川田寿夫妻,世界経済調査会,満鉄調査部の調査員や研究者を検挙
し,治安維持法で起訴した。
 拷問によって中央公論編集者2名が死亡,さらに出獄後2名が死亡した。その他の被告は,敗戦
後の9月から10月にかけて一律に懲役2年,執行猶予3年という形で釈放され,《改造》《中央公論》
も復刊された。拷問した3人の特高警察官は被告たちに人権じゅうりんの罪で告訴され有罪となった
が,投獄されなかった。                                    
 
  松浦 総三(平凡社大百科事典より)