戦争責任の議論 :2006.10.9
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「検証 戦争責任T(読売新聞)」より

1.
陸軍参謀
 ・戦前の陸海軍は軍事行政「軍政」と作戦・用兵を意味する「軍令」が組織的に
  独立していた。
  軍政は、陸軍省と海軍省
  軍令は、陸軍が参謀本部(トップは参謀総長)、海軍が軍令部(トップは軍令部総長)
 ・日中戦争が始まると、大本営が設置された。大本営とは戦時に置かれる最高統帥機構
  参謀本部は大本営陸軍部、軍令部は大本営海軍部と称した。
 ・南方軍総司令部の例
   総司令官−総参謀長−総参謀副長(2名)−参謀(20名程度)
 ・
参謀の力の源泉は「統帥権の独立」
  「統帥権」とは、軍隊を統帥する天皇の大権のことで、「統帥権の独立」とは政治の関与
  が及ばないことを意味する。
  背景は、明治憲法11条「天皇は陸海軍を統帥す」
 ・1930年のロンドン海軍軍縮条約の締結に海軍が反対したことをきっかけに、統帥権の
  解釈が議論になった。浜口内閣は、兵力の決定が海相が担当する事項と主張したが、
  野党政友会が海軍軍令部の同意を得ないのは統帥権侵犯と主張し、政争の具にした。
  これが陸軍の暴走を許す要因になった。
 ・1928年の張作霖爆殺事件も、1931年の柳条湖事件も参謀が仕組んだ。
  陸軍刑法では独断で軍を動かせば死刑か無期だが、柳条湖事件を起こした板垣征四郎
  も石原莞爾も軍法会議にかけられなかった。張作霖爆殺事件を起こした河本大作も予備
  役に編入させられただけ。

2.昭和初期の「革新」運動
 ・「革新」には明らかに現状打破のニュアンスが含まれ、1930年代には、右であれ左であれ
  全体主義的な改革へ向かう方向性を有した。
  この時代の革新は、反資本主義、反自由主義、反議会主義、英米追従批判主義
 ・1920年、30年代の陸軍内革新勢力・・・・「皇道派」と「統制派」
  「皇道派」・・復古主義、精神主義で現状打破を目指した。2・26事件が鎮圧され没落
  「統制派」・・統制経済
 ・1940年新党運動活発化
  斎藤隆夫の反軍演説を巡る除名事件から、親軍派の議員と軍に批判的な議員との抗争激化
  →親軍派議員を中心に、すべての政党を解消し一つに束ねた強力な政党を作る動きが強まる
  →近衛文麿を中心とした体制・・・大政翼賛会発足
   しかし、近衛は発足前に新党への情熱を失う。強力な党ができればその総裁は天皇に
   取って代わり、幕府のような存在になるという批判を恐れた。
  →大政翼賛会は政治結社でなく、国民を動員する行政補助機関になった。

3.日本の対外認識と国際感覚