カント :2006.4.27
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[永遠平和のために(1795年)]
第1章
1.
将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和
  条約とみなされてはならない。

  ・平和とは一切の敵意が終わること。そうでないものは休戦でしかない。
   
(1795年にフランスとプロイセンの間に結ばれたバーセル平和条約に不信感を抱いていた
     ことが背景にあるらしい。実際、10年後にフランスとプロイセンは再度戦火を交えた)

2.
独立しているいかなる国家も、継承、交換、買収、贈与によって、他の国家
  の所有とされてはならない。

  ・国家は所有物ではない。
  ・道徳的人格である国家を物件として扱ってはならない。
  ・一国の軍隊を他国のために傭うことは臣下を利用できる物として消費す
   ることになる。

3.
常備軍は時とともに全廃されなければならない。
  ・常備軍は他国を常に戦争の脅威にさらす。常備軍が刺激となって無際限
   な軍備の拡大を競うようになると、軍事費の増大で平和の方が短期の戦
   争よりも重荷になり、常備軍そのものが先制攻撃の原因になる。
  ・人を殺したり人に殺されたりするために雇われることは、人間が機械や道
   具として使用されることになる。これは我々自身の人格における人間性の
   権利と調和しない。

4.
国家の対外紛争に関連していかなる国債も発行されてはならない。
  ・戦争遂行の気安さが、人間の本性に生来備わっているかに見える権力者
   の戦争癖と結びつきやすいため。

5.
いかなる国家も、他の国家の体制や統治に暴力をもって干渉してはならない。
  ・一国が内部の不統一によって2つに分裂し、それぞれが個別に独立国家と
   して全体を支配しようとする時は事情は別かもしれない。だが、内部の争い
   が決着しないのに外部の国が干渉するのは、他国に依存しているわけでな
   い一民族の権利を侵害するものである。

6.
いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信
  頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。

 

第2章
 人間の間の平和状態はなんら自然状態ではない。自然状態はむしろ戦争状態
 である。それゆえ、平和状態は創設されなければならない。

1.
各国家における市民的体制は共和的でなければならない。
  ・下記の3つの原理に基づいて樹立された体制が共和的体制
   @社会の成員の人間としての自由、
   Aすべての人間の唯一にして共同な立法への従属
   Bすべての成員が国民として平等
  ・自分も同時に従わなければ、他人を法の下に法的に束縛することはできない。
  ・全ての国民が平等であるという権利に関して、世襲貴族は承認されるかの問
   題がある。地位が生まれと結びついている時、功績が伴っているかは全く不確
   実。貴族は貴族であるからといってただちに優れた人物ではない。したがって
   普遍的な民族意思は、このことに同意しないだろう。
  ・共和的体制では戦争をするべきかを決定するために国民の賛同が必要になる。
   国民は戦争のあらゆる苦難(自分で戦う、財産から戦費を出す等)を自分自身
   に背負い込むのを覚悟しなければならないから、きわめて慎重になる。
   これに反して、共和的でない体制においては、戦争は全く慎重さを必要としない
   が、それは元首が国家の成員ではなく、国家の所有者だからである。
  ・国家の形式の分類
   1)支配の形式(最高の国家権力を持っている人格による分類)
     君主制(支配権を持つのが一人)
     貴族制(数人)
     民主制(市民社会を形成しているすべての人)
   2)統治の方式(憲法に基づいて国家がその絶対権力を行使する仕方)
     共和的・・・執行権を立法権から分離
     専制的・・・国家が自ら与えた法を専断的に行使

2.
国際法は、自由な諸国家の連盟の上に基礎を置くべきである。
  ・国家としての諸民族は、自然状態においては互いに並存しているだけで互いに
   害を加えあうようなもの。だから、それぞれ自己の安全のために、彼らの権利
   が保障されうる市民的体制に類似した体制に入ることを他に対して要求でき、
   要求すべき。
  ・この連盟は国家の何らかの権力の獲得を目的とするのではなく、ある国家事態
   の自由と、それと連盟した諸国家の自由とを維持し、保障することを目的とする。
   諸国家は(自然状態の人間のように)公法やその強制の下に立つ必要はない。

3.
世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない。
  ・ここでの友好は、外国人が他国の領土に足を踏み入れても、それだけの理由で
   敵意をもって扱わない権利を持つことを意味する。
  ・外国人が持つことができるのは客人の権利ではなく、訪問の権利である。
  ・我々の諸国家がほかの土地や民族を訪問することは、そこを支配することを意
   味し、そこで示す不正は恐るべき程度にまで達している。アメリカ、等が発見され
   たとき、彼らに誰にも属さない土地とみなされたが、それは彼らが住民たちを無
   に等しいとみなしたからである。このようなことをしているのは、しきりに敬虔なる
   ことを口にし、不正を水のように飲みながら、正統信仰において選ばれたものとみ
   なされたがっている列強諸国である。