神道 :2006.4.23
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「神道入門」(井上順孝:平凡社新書)より

[神社一般]
・一般的に神社は、鳥居、参道、手水舎(ちょうずや)と社殿と呼ばれる参拝する施設
 から成る。参拝する所を拝殿、ご神体が置かれた所を本殿と区別するところもある。
・古くは山や岩、樹木などを、神が降り来たるよすが、すなわち「依代(よりしろ)」と
 するのが一般的だった。神体山という観念は今に至るまで残っており、例えば、三輪
 山を神体とする大神神社の建物は拝殿であって本殿ではない。
崇拝する対象を象徴的にまつる場と、祈りや儀礼の場という2つの機能を考えると、
 仏教寺院では仏像があり、象徴を祭ると同時に礼拝を行う場になっている。イスラム
 教は偶像崇拝を禁じるので、モスクは祈りの場である。ユダヤ教のシナゴーグも同様。
 プロテスタント教会は、十字架や十字架上のイエスが掲げられることが多いが、祈りや
 儀礼を中心に考えられている。カトリックでは正面にマリア像があり、崇拝する対象が
 強調されている。
 神社は、仏教に近い。
神体は神そのものではなく、神霊が寄ってくるもの。御霊代(みたましろ)とも称する。
・皇位継承の徴として天皇に受け継がれる3種の神器
  八咫鏡(やたのかがみ)は伊勢神宮の神体
  天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は熱田神宮の神体
  八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
・鏡がもっとも多くの神体になっている。これは中国宗教、特に道教の影響と考えられる。
 道教では、鏡は邪霊を斥け避けるものという観念がある。
・神道はもともと崇拝対象を明確な形にして具現化する伝統を持たなかったが、仏教の
 影響を受け、平安時代以降に神像が出現する。
・伊勢神宮の社は3〜5世紀に建立された。出雲大社も5世紀ごろまでの建立と考えら
 れる。神社建築が壮麗になっていくのは、仏教の伽藍建築の影響。仏教の本格的伽藍
 建築である飛鳥寺の完成は596年。7世紀以降寺院の建築が影響した。
・神社神道を伝えてきた人を「神職」と呼ぶのが適切。一般には神主の方が馴染みがある。
 役職として、一社の長である「宮司(ぐうじ)」と補佐する「権宮司」「禰宜(ねぎ)」「権禰宜」
 という種類がある。
 神職の階位は、浄階、明階、正階、権正階、直階の5つある。
 また、身分もあり、特級、一級、二級上、二級、三級、四級の六等級あり、階位よりも重視
 される。装束の区別も身分をもとにしており、特級は白、一・二級は紫、三級以下は浅黄
 (水色)。
・明治初期に神職の制度は大きく変わった。官国弊社の神職は世襲が廃止され公務員的
 になったが、郷社、村社は従前と大きくは変わらなかった。

[神道の歴史]
・各地の共同体の祭にかかわっていた神々は、
大和朝廷が全国統一し律令制度が整う
 なかに神祇制度として国家的祭祀の体系に組み込まれた

 神祇官は神々への信仰を司る機関で、全国の神職の名帳と神部(かんべ)の戸籍を
 管理した。(神戸:神社に付属して、租税・課役を神社に納めた民)
・神祇官によって管理された神社(官社)の数は、10世紀初めで2861。官社のうち、
 特に霊験あらたかとされた神は名神(みょうじん:明神)と呼ばれた。数は224。
・神に対して朝廷から位階が与えられる制度も生まれた。これを神位または神階という。
 正一位から正六位上までの15階から成る。例えば正一位稲荷大明神など。
律令制度のゆるみとともに、官社制度は名目的になっていく
 798年に官弊社と国弊社に分けられ、神祇官は官弊社のみを管理。国弊社はそれ
 ぞれの国の管理となった。官弊社は近畿に集中し、それ以外はほとんど国弊社。
 神社管理が地方で行うことになり、神社祭祀は多様化した。神前読経も行われる。
 9世紀以降、特定の神社が朝廷から特別の崇敬を受けた(二十二社制度)。畿内に
 集中し、官社制度の弱体化を反映。
 一方、地方では、各国の社を1箇所に勧請してまとめる「総社」や各国のもっとも由緒
 ある社を選ぶ「一宮」の制度ができた。これは各国の権力を示す場となり、神事にも
 反映した(流鏑馬:武力の示威、田楽:農業の勧め)
・15世紀には二十二社制度も消滅。応仁の乱により神祇制度は決定的に崩壊
 天皇の即位後行われる大嘗祭も1466年の後、2百年以上途絶した
 国家的祭祀だけでなく、地方の祭祀も崩壊。神社は有力寺院の支配下に置かれる
 ことが多くなった。中世において圧倒的な力を持っていたのは仏教。
 神は仏(本地)が、生きとし生けるものを救済するために化身として現れたもの(垂迹)
 であり、神は仏の清浄なたましい(本覚)とする考えが広まる。・・・本地垂迹説
・15世紀後半、吉田兼倶が吉田山上に奉斎場を建立し、全国の神社の根元と称した。
 足利義政の正室の日野富子の援助を受けており、天皇の許しを得て宗源宣旨(諸社
 の神に対して神位・神階を授けること)を発行した。神位・神階は中世には中絶していた。
 この結果、神職の全国的な組織化が促進された。
吉田神道は、人を神にまつることを推進した。豊臣秀吉は死後、正一位の神階と豊国
 大明神の神号を得た。徳川家康も死後、正一位の神階を与えられ東照大権宮として
 まつられた。
1868年、神仏分離令が発布。神社と寺院、神職と僧侶が分離され、長く続いた神仏
 習合が一挙に変えられた。背景に、神道の自立性を高め国民教化の中心とし、キリス
 ト教の影響を最小限に留めるという目標があった。
・1871年、神職の世襲が禁止され、主要神社神職のいわば公務員化が生じる。
 神社が官社と諸社に分けられ、官社はさらに神祇官がまつる官弊社と地方官がまつる
 国弊社に分けられる。諸社は、府社、県社、郷社、村社がある。
・1872年、別格官弊社の制度導入。靖国神社は1879年に別格官弊社になった。
 官社の序列は、官幣大社、国弊大社、官幣中社、国幣中社、官幣小社、国幣小社、
 別格官弊社の順とされた。
戦後1946年、神社行政を行っていた内務省神祇院は廃止。神社は基本的に国家と
 のつながりが切れ、他の宗教と同じく布教については自由競争のなかに置かれた。
 新たな組織として神社本庁がすぐにできた。2004年現在、全国7万9千の神社のうち
 99%が神社本庁の傘下に入っている。伊勢神宮がその本宗と位置付けされている。
 ただし、伏見稲荷大社や日光東照宮など、大きな神社でも入っていない神社もある。
 また、2004年には明治神宮が神社本庁を離脱した。
・近代に、神社とは別に、教団組織を持つ神道が出現。1876年黒住教、1900年金光
 教、1908年天理教などが13の教派が独立した。

[神道の教え]
・神社は教えを聞く場所であるとか、神職は教えを説く人という認識が一般の人にはほと
 んどない。
・神道の神は大きく3つに分けられる。「古典の神」「習合神」「民間の諸神」
・神道に体系だった教典はないが、今日の神社界では神典と呼ばれるものがある。明記は
 されていないが、下記の記紀が中心である。(ここに出てくる神は、「古典の神」と捉える)
  古事記  :元明天皇の命により、太安万侶が編纂(712年完成)
  日本書紀 :元正天皇の命により、舎人親王が編纂(720年完成)
  古語拾遺、宣命、令義解、延喜式、新撰姓氏録、風土記、万葉集
・神仏習合による仏教的要素の付加は奈良時代から少しずつ進行し、平安後期には
 本地垂迹説ができあがる。
 8世紀ごろに神身離脱という考え(神も苦を免れておらず仏教の力で救済される)が
 生じる。本地垂迹とは、仏や菩薩が衆生済度のために、かりに神の姿をとって現れた
 とする説。
・神仏習合により祭式な内容も変わったが、明治政府が仏教の要素が混入していない
 祭式の復活に力を入れたので、今日では古代の祭祀に範にとった祭祀が行われて
 いる。
・1875年 「神社祭式」が制定。明治祭式とも呼ばれる。
 参拝のときの「再拝拍手」が規定された。「二拝二拍手一拝」がそれである。
 現在では神社によって異なるところもかなりある。
・人々の祈願を引き受ける上で、神々が一種の分業をしている。商売繁盛はお稲荷さん、
 受験祈願は天神など。
 ただし、神々の分業は神道だけでなく、ヒンドゥー教や道教でも見られる。
・神道独特の観念の一つは、天皇家がかかわる祭り、そこでなされる神々との交流が
 もっとも重要な祭りとすること。
・神々との交流は、祭祀に於ける祝詞奏上と、祭に先立って神饌を供える行為に見られる。
 祝詞には奏上体と宣命体があり、奏上体とは神に向かって直接述べる内容であり、文末
 が「白す(もうす)」となっている。宣命体には天皇の言葉を聞かせる形の宣下体と呼ばれ
 るものと、天皇の言葉を祝部や神主に聞かせ彼らが神に奏上するものがあり、文末が
 「宣る(のる)」で終わる。
・現代の神社神道における中心的なメッセージは、天皇崇敬と愛国主義である。天皇を
 中心とする麗しい国家を大事に守っていこうというもの。今日見られる主張の源は明治
 時代につちかわれたと言える。
・神道において、罪は根源的なものではなく一時的な穢れで、祓いによって清めうるとの
 考えが強い。
  「天つ罪(あまつつみ)」:田の畦を壊す「畦放(あはなち)」、水を引く溝を埋める「溝埋
  (みぞうみ)」、樋を壊す「樋放(ひはなち)」、他人の田に自分のものと主張する杭をた
  てる「串刺」等、農業関係が多い。
  「国つ罪」:生きている人を傷つける「生膚断(いきはなだち)」、死んだ人の肌を傷つけ
  る「死膚断」、こぶのできる病「胡久美(こくみ)」等、個人的な罪
・神道の世界観:神々が住む天上の高天原、人間の住む葦原中国(あしはらなかつくに)」、
 死者の住む地下の「黄泉の国」