平和の議論 :2006.4.6
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「いま平和とは」(最上敏樹:岩波新書)より
・戦争に対するやりきれなさを語り、その愚かしさを告発する言葉は古くからあった。
エラスムス(ルネサンス時代のオランダ)
キリスト教徒であると告白することは平和を求めると告白することであるはず
なのに、なぜキリスト教徒は戦争をやめないのかと慨嘆
・冷戦以降の戦争を単純に民族紛争とは呼べない。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992〜95)では、それまでユーゴスラヴィア人と
して共存していたモスレム人、セルビア人、クロアチア人等が凄惨な殺し合いを
行ったが、民族ごとに自前の国家を持とうとしたというのと少し異なる。各共和国
が独立した後も、それぞれの中で民族の混在は続いているのだ。むしろ、何かに
憑かれたように自分たちのアイデンティティを強調し、相手に押し付けるために戦
った面が多分にある。
・人間は戦争するものだからとあきらめない。
戦争で殺されていく人々はけっして宿命だから仕方ないとは思わない。戦火から
離れた人間が「仕方ない」と放り出すわけにはいかない。
戦争をしないことを国際法や国際機構で固めていこうとする不戦の制度化の流れ
が生まれ、部分的に実を結び始めている。
・平和のための国際機構の役割に、平和的解決と制裁があり、特に後者が重視された。
@国際連盟規約に、違法な戦争をした国に対し、連盟が経済制裁あるいは軍事制裁
を加えることが規定されていた。一方、平和的解決の手続きも詳細に規定されてい
たが、制裁がれんめいにとっての試金石との考えが強かった。そして、日本やドイツ
の侵略行為に対してなすすべがなかった。
A国際連合憲章で、国連が強制力を発揮する以前の段階において、国々が武力によ
る威嚇や武力行使をしてはならないと定めた。武力不行使の原則は国際法として画
期的。
B国連が行う武力行使を「強制行動」または「強制措置」と呼ぶ。また、安保理が一部の
国々に許可した「授権による武力行使」がある。合法なものとしてはこの2つと自衛権
の行使。
C強制行動には、軍事制裁と経済制裁がある。強制行動を起こすかどうかの判断は安
保理の独占的な権限。実際には国連の軍事的強制行動は今までない。それは国連
独自の軍隊がないから。(朝鮮国連軍があったが、米軍とその同盟国に国連軍という
名を使わせたという側面が強い)
Dこれまでに非軍事的強制行動(経済制裁)は実施されている。1966年のジンバブエ
(極端な人種差別政権樹立:当時はローデシア)や1970年代の南アフリカ(アパルトヘ
イト)
E2003年の対イラク戦争は、国連の集団安全保障体制とはほとんど関係なく、むしろ
国連の安全保障体制に対する挑戦する面があった。開戦間近の国連による査察の
段階では国連の安全保障体制が働いていたといえるが、アメリカとその同盟国が
その体制を破壊したことになる。
・平和維持活動は、国連憲章には書かれていない安全保障方法
平和維持活動の起源は、第1次中東戦争(1948)後に派遣された国連パレスチナ
休戦監視機構。平和維持活動としては、スエズ危機(1956)
もともとは休戦監視が任務であったが、最近は、兵士の社会復帰、武装解除、選挙
支援、人道支援、文民警察育成、地雷除去などの機能を営むようになっている。
平和維持活動は成果を挙げているが、間に割って入るだけで根本的解決はできない。
たとえば、キプロスの平和維持活動は40年に及んでいるが解決できたわけではない。
・「国際人道法」とは、使用兵器や捕虜の待遇等を定めたルール体系
ジュネーブ条約(1949):武力紛争の負傷者に関する条約(第1,2条約)
捕虜の待遇(第3条約)
文民保護(第4条約)
不必要な苦痛を与えてはならない。
戦闘員と非戦闘員を区別し、非戦闘員を攻撃してはならない。
・国際軍事法廷(勝者が敗者を裁く)から国際刑事法廷(国際人道法違反を裁くへの移行
第2次大戦後、ドイツと日本の戦争犯罪人を裁く目的で、ニュルンベルク国際軍事法
廷と極東国際軍事法廷が設けられた。裁きの対象となったのは、平和に対する罪(侵
略)、人道に対する罪、戦争犯罪の3つ。
上記2つの後、1990年代に安保理が旧ユーゴ国際刑事法廷とルワンダ国際刑事法廷
を作った。
・ベルギーは1993年に、他国で起きた戦争犯罪をベルギーの国内裁判所が裁くことができ
るとする国内法(ベルギー人道法)を制定
たくさんの提訴が持ち込まれた。2002年にハーグ国際司法裁判所がブレーキをかける。
2003年ベルギー国会は人道法の適用をきびしくする法改正を行い、事実上廃止した。
・2002年、どこで起きた事件についても裁判することを目指す国際刑事裁判所(ICC)設立。
国際刑事裁判所を作った条約であるローマ規程に3つの罪が規定されている。
@集団殺害罪 A人道に対する罪(文民に対する非人道的行為) B戦争犯罪(兵器
や捕虜待遇等)
訴追開始に3つの場合がある。@ローマ規程締約国が検察官に付託 A安保理が検
察官に付託 B検察官が職権で捜査を開始
ローマ規程締約国の国民でなければ原則として裁けないという限界はある。アメリカは
批准していない(クリントンの署名をブッシュが撤回)。日本も批准していない。
2005年までに裁判所に付託されたのは4件あり、安保理から1件(スーダンのダルフール)
当事国政府から3件(ウガンダ、コンゴ、中央アフリカ)。反政府勢力だけを裁くことになり
かねない危険もある。
・平和の考え方が「戦争のない状態」から非軍事的な領域まで広がってきている。
「戦争さえなければ平和と呼べるか」という問いかけがある。貧困、飢え、人種差別、性
差別といったものに問題意識が広がる傾向がある。国連では、「人間の安全保障」と
呼んでいる。
・人道的(武力)介入を考える際に、考慮すべき事柄
迫害される人々がいる場合、武力行使をしてでもそれをくい止めるべきではないか。これは
非常に難しい問題である。その際には少なくとも下記のことを考える必要がある。
@歴史的に「人道的介入」とされた武力行使が根拠のないものだったり別の動機があった
場合がほとんどだった。例えば、1938年にチェコスロバキアのズデーテン地方のドイツ系
住民を保護するとしたナチスドイツの行為。1971年のインドによるパキスタン武力介入
A現代の国際法に武力行使をしてはならないとする規範がある。
B武力介入の方法。迫害されている人を守るより、迫害している人を打倒することだけに
なっていないか。
C恣意的になっていないか。同じような非人道的状況があった場合、同じように軍事介入
するのか。ある場所ではやるが、別の場所ではやらないということにならないか。
ヨーロッパの旧ユーゴでは精力を注ぐが、ルワンダには見向きもしないということになっ
ていないか。
・こういう状態に置かれてかわいそうと言うのが「憐れみ」で、それはいけないことだと言うの
が「人権」の思想
・軍事目標ではなく、一般市民やその居住地域に対して爆撃することを、「戦略爆撃」という。
スペインのゲルニカ、日本軍の重慶に対する爆撃、アメリカによる東京、大阪、広島、長崎
攻撃
戦略爆撃には「威嚇」に留まらず、相手側を「殲滅」してもかまわないとする思想が潜んでいる。
・核兵器は必然的に無差別にならざるを得ない兵器なので、自動的に国際人道法違反となる。
そのために、一部の核保有国は小型核の開発を続け使える兵器にしようとしている。
1996年国際司法裁判所が「核兵器の使用は原則として違法である」との勧告的意見を示した。
ただし、勧告的意見は法的な拘束力を持たない。
・ユダヤ人追放は、イギリスで1290年、フランスで1306年、スペインで1492年に行われた。
ユダヤ人はヨーロッパから追放され各地を転々としなければならなかった。そして、20世紀に
なって、そのユダヤ人によって定住地を追われたり占領下に置かれたパレスチナ人がいる。
イギリスのバルフォア宣言(1917年):パレスチナの地にユダヤ人国家を作ってよいと約束
1947年国連総会で「パレスチナ分割決議」を採択し、ユダヤ人国家とパレスチナ人国家の
建設を認める。
・他者に対する寛容・・・自分とは違う人間も自分と同じように生存権を持っていると認めること