カナダ :2006.1.25更新
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(追記)
・2006.1.23総選挙で、保守党が第1党になり、保守政権が誕生した。
ただし、選挙前は過半数近くまで伸ばすと予想されていたらしく、第1党には
なったものの少数与党となるため、基盤は弱い。
議席数:保守党124、自由党103、ケベック連合51、新民主党29、無所属1
保守党党首は、スティーブン・ハーバー氏(46歳)
自由党のマーティン首相は党首を辞任する。
・保守党は、親米路線で、強いカナダを目指す。ミサイル防衛構想に前向きで
地球温暖化対策の京都議定書にも批判的。・・・この辺りに注意を払う必要有
・自由党敗北の原因は長期政権によるスキャンダルらしい。保守党は選挙で
政治腐敗一掃、減税、犯罪抑止、育児支援、医療制度改革の5つを公約に掲げた。
「カナダはなぜイラク戦争に参戦しなかったのか」(吉田健正:高文研)より
【カナダの歴史】
・15〜16世紀 先住民以外にヨーロッパから植民者(開拓者)がやってくる。
スペイン、フランス、イギリスが北米を支配
・1620年 メイフラワー号でピューリタンが到着。強い信仰心を持つ(13植民地)
・1756年 ヨーロッパ7年戦争。北米にも飛び火し英仏が戦う。英国の勝利
英国はフランス領を入手。「ケベック」と「インディアン領」に分割
(インディアンの協力に報い、居住権を認める)
・1774年 ケベック法。ケベック植民地を拡大。カトリックに信教の自由を認める
→課税問題も加わり、13植民地は英本国への不満高まる。
・1775年 アメリカ独立戦争勃発
・1776年 ワシントンがケベック、モントリオールに進軍。英国援軍により撤退
ロイヤリストのカナダ移住(約10万人)
カナダ領域は、フランス系+イギリス系となる
・1812年 アメリカ カナダに侵攻
・1817年 ラッシュ・バゴット協定:五大湖の軍艦制限
・1861〜1865年 南北戦争
・1866年 米国下院が、英国領北アメリカ合併法採択
・1867年 カナダ連邦誕生 (アメリカの脅威に対抗)
英国との平和的協議によって誕生。外交権は英国にあり完全な独立国家ではない
・1926年 外交権取得
・1982年 憲法審査権を英国議会から移管
【思想】
・ナショナリズム(対米自立)とコンティネンタリズム(対米協調)
→国際協調主義と対米協調主義
・先住民が先住民権を持つことを確認(1982年)
・ケベック州分離独立州民選挙 1980年、1995年に実施。投票で却下
・多文化主義政策:他者の存在や権利を認める共存・共生の考え
【対米関係反旗】
ディフェンベーカー首相(1956〜63)
・核ミサイル拒否(地対空ボマークBミサイル)
・協賛政権キューバとの貿易続行。米国主導の米州機構(OAS)に加盟せず
・ヨーロッパにおける核実験禁止条約支持
・キューバ危機警戒態勢態度保留。・・内閣で意見分かれる
ピアソン首相(1963〜68)
・ベトナム戦争 北爆反対
(ベトナム戦争には派兵。枯葉剤はカナダ製。ボマーク、核弾頭受け入れ)
トルドー首相(1968〜79 80〜84)
・ボマークミサイルと核弾頭撤去
・米国以外との関係強化:EU、日本、アジア
・米国に先駆けて中国承認。カストロと親交
・核軍縮、冷戦終結呼びかけ
マルルーニー首相(1984〜93)
・親米路線
クレティエン首相(1993〜2003)
・対人地雷全面禁止条約
・国際刑事裁判設置推進
マーティン首相(2003〜)
・イラク参戦しない方針を継続