日朝の歴史(勉強中) :2003.11.20

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今後の日本を考えるうえで、アジア各国と日本の今までの歴史を知っておく必要が
あると思うけれど、残念ながら、僕はほとんど知識を持っていない。
高校の日本史は1945年までは勉強したように思うが、かなり忘れてしまった。また、
世界史は高校2年で途中まで習ったけれど、多分中世くらいで終わったように思う。
そんな状態なので高校の教科書を残しておけばよかったと思うことがよくあり、最近、
山川出版社の世界史の参考書を買った。教科書レベルの知識で充分なはずはない
が、最低限抑えるべきところは書いてあるように思うので、僕自身の整理のために、
まず、日朝関係を日韓併合まで年表にしてみた。
(文末に記載;一部少し前に読んだ「拉致異論」からも引用))

改めて書いてみると、日本が朝鮮(韓国)を植民地化していく過程がわかる。
江戸時代の末期以降、日本はヨーロッパの侵略に対抗しながら、結果としてアジアの
侵略を行なってしまったことになる。
     
ただ、この中にはいくつか疑問点があり、過去を冷静に振り返る必要を感じている。
・日本が欧米の植民地にならなかったのは、なぜだろう。
  日本は鎖国をしていて、遅れていたはずだし、当初は、不平等条約を結ばされ
  植民地化される可能性があった。それを防げたのはどうしてだろう。
  江戸末期から明治初期の頃は、よく取り上げられる時代なので、調べてみたい。
・朝鮮が植民地になってしまったのは、なぜだろう。
  清がアヘン戦争(1840)等により、欧米の進出にさらされて植民地化されつつあっ
  た。そして李氏朝鮮はその清の属国と書かれているので、かなり弱い存在だった
  ように思える。だからこそ、欧米に比べて弱い立場にあった日本でも、不平等条約
  を結ばせることができた。李氏朝鮮も鎖国をしていて、日本と似た状態にあったよう
  にも見えるが、違いはどこにあったのだろう。

これらの疑問の解明や、日朝の歴史、日本と他のアジアの国との歴史を扱った良い本
をご存知の方は教えてください。

  《参考:日朝の歴史》
  1875年:日朝修好条規調印(不平等条約)
  1894年:日清戦争 (朝鮮をめぐる日清の勢力争い)
  1895年:日本、日清戦争に勝利。 
        朝鮮における清の勢力を一掃。→ロシアと日本の対立が起こる
  1897年:李氏朝鮮、国号を大韓帝国と改める。
  1902年:中東でロシアと対立するイギリスと利害が一致し、日英同盟を結ぶ。
  1904年:日露戦争。 
        第1次日韓協約(韓国の外国との条約締結には日本との事前協議が必要)
  1905年:ポーツマス条約(朝鮮半島での全面的な優越権を認められる。)
        第2次日韓協約(韓国の外交権を接収→保護国化)
  1907年:第3次日韓協約(内政も日本政府の代表機関である統監府の監督下に置く。)
        秘密覚書(韓国軍解散)
  1909年:韓国人 安重根が、伊藤博文を射殺
  1910年:日韓併合(日韓条約調印)、韓国の国号を朝鮮に改める。朝鮮総督府を置く。
       「土地調査事業」を実施し、所有権の明確でない土地を朝鮮人の農民から没収。
       土地を追われた農民が日本に流入、低賃金労働者となる。