国旗・国歌をめぐって :2004.4.3
                                         戻る
東京都立高校の卒業式で、国歌斉唱の時に起立しなかったという理由で
約180人の教職員が処分されたことが少し前に話題になった。
1999年に自民・民主等の賛成多数で「国旗・国歌法」が成立した時から
こういうことは予想されていたが、徐々に強制が強まっているのかもしれない。
もちろん、東京都の場合、知事が石原慎太郎であるために、顕著に現れて
きているのだろう。

国旗・国歌に賛同できない人たちは以前からいるのだが、それを卒業式と
いった場面で顕在化させようという運動方針を改めない限り、広がりは
望めない。むしろ、広がらないから、卒業式にマスコミを呼び、そこで
起立せずに処分させるように持っていっているように感じる。
僕は、「君が代」を題名と歌詞を変えて、曲をそのままにして新しい国家と
するのが良いのではないかと思っている。別に新しい考えでもないけれど
歌詞の意味も教えることができない状態で、強制的に歌わせるのは間違い
だろう。それとも、今は、歌詞を正確に教えているのだろうか。
僕は学校で君が代の歌詞について教わった記憶がない。

国旗・国歌と話は変わるが、最近、国家を優先させる考え方が強くなって
きている。10年前まで、国益という言葉は使わなかったし、考えにも
なかったように思う。あくまで個人個人の利益があって、国の利益を
第一に考えることはしなかった。
その状況が変わってきて、今のイラク問題でも、国益のために派遣したことに
なっているし、派遣反対の人の中にも、国益に反するから反対という人もいる。
また、2年前の中国瀋陽領事館問題でも、亡命を望む北朝鮮の家族の扱いより、
中国の警備員が領事館の敷地に入ったことを国家への侵害として問題視
する声が強かった。

この変化を好ましいと捉える人もいるだろうが、僕は、特に世論において、
国家優先の考えが徐々に広がってきていることは、危険なことだと思う。
それは湾岸戦争と長期不況による国民の自信喪失を表していて
強さに頼ろうとしていると感じるから。