米軍 イラク ファルージャ総攻撃 :2004.11.8
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イラク中部のファルージャに、米軍とイラク軍が突入したことが報じられている。
また、この前に空爆は続けられていた。
3ヶ月ほど前に、「ファルージャ2004年4月」という題名の本を読み、4月頃の
ファルージャの酷い状況を知った。ファルージャは人口30万人の都市で、おそらく
4月頃はこのくらいの人がいたと思われるが、今は20万人以上が周辺に逃れ、
民衆は5万人くらいに減り、一層状況は悪化したようだ。
もともとファルージャは過激な地域ではなく、最初に米軍が入ってきた時も大規模な
戦闘はなかった。しかし、占領に反対する抗議デモに対する米軍の発砲(15人死亡)を
契機に、米軍に対する怒りが湧き起こった。
そして、米軍とレジスタンス勢力の戦闘が激しくなる中で、今年3月に米軍の傭兵会社の
社員4名の焼死体が橋に吊り下げられた。これに対し、米軍の攻撃は一層激しくなり、
多くの民衆を巻き込んだ虐殺が行われた。
ここ数日の記事を見ると、ファルージャは反米武装勢力の拠点のように書かれている。
4月以降の数ヶ月で、レジスタンス勢力が外国人を含む反米武装勢力と一体化したの
だろうか。現状を正確に把握することは難しいが、ここに至った経緯をよく把握しておか
ないと、事態を的確に見ることはできないと思う。
また、この攻撃は、イラク暫定政府のアラウイ首相の指示で行っており、米軍とイラク軍の
合同作戦となっている。このことが、民衆のイラク軍やイラク政府に対する拒絶感を強め
内戦に発展してしまう可能性を高めているのではないかと思う。
[読書のコーナー 2004年]より
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(25)○ファルージャ 2004年4月 (ラフール・マハジャン他:現代企画室):2004.8.2
イラクのファルージャでは、今なお戦闘が続いており、新聞の片隅に数日ごとに
数十名のイラク人死傷者が出ていることが伝えられている。この本は、4月に
ファルージャに入った人の証言を編集したものであり、米軍による虐殺行為により
傷つき、死んだ人たちの様子を伝えている。なお、この時期は日本人3人が人質と
なっていた時期でもある。
自宅の外で狙撃兵に父親が撃たれたが、父親のところに行けば、自分達も撃たれる
という恐れから放置せざるをえなかった人達。大病院は空爆でやられてしまい、小さく
医薬品も少ない診療所。これが正しい行為がもたらすものか。
米軍の圧倒的な軍事力に対して、戦おうとする力はどこから出てくるのだろうか。
その力の中に「抵抗」を感じざるをえない。ここで行われていることは、米軍が意図してか
どうかには関係なく、虐殺である。
(追記)ファルージャでの経過を記憶に留めるため、少し書き残す。
・2003年4月23日 米軍 ファルージャ進出
4月28日 ファルージャ占領に対する抗議デモ。米軍発砲15人殺害
6月30日 米軍 ファルージャのモスクを襲撃
(米軍とレジスタンスとの戦闘激化)
・2004年3月31日 米軍の傭兵会社の社員4名の焼死体が橋に吊り下げられる。
4月 大規模な米軍の爆撃が再開される。
(この本はこの時期を扱っている)