冬のソナタ最終回 :2004.8.28
                                             戻る

この数ヶ月、土曜夜は「冬のソナタ」を見て楽しんだ。
ただ、終盤(最後の2回)の出来はあまり良くなかった。

最終回に限って言えば、最後のシーンはもったいないことをしたと思う。
終わり方としては、「ユジンなの?」というチュンサンの問いかけに「そうよ、
チュンサン」と答えたところで終わってよかったのに、余分な映像によって、
視聴者の想像する余地を無くしてしまったように思う。
ノベライズ本では、余分な映像分がなかったので、惜しまれる。

もし、僕が、最後のシーンを作るなら、ロバートデニーロ、メリルストリープの
「恋におちて」を真似して、次のようにして終わりたい。
(ほぼ、最後まで、番組通りのストーリーで進んだとして)
 ・3年ぶりに、海辺の家で再会し、チュンサンは「ユジンなの?」と訊ねる。
  ユジンは再会に驚きつつ、「ええ」と答える。この段階では3年間の空白の
  重みのため、以前の想いが一瞬では蘇らない。
 ・「元気にしていた?」とチュンサン。「ええ」。ユジンはチュンサンが目が見えなく
  なっていることに気づいているため、近況を訊くことができない。
  「サンヒョクはどうしてる?」「元気よ」「そう、それは良かった」
 ・ここで、チュンサンのお付の人がやってくる。「そろそろ戻りませんと帰りの便に
  乗り遅れてしまいます。」
  「そうだね。ユジン、さようなら」 「さようなら、チュンサン」
  そして、お付の人と一緒に、チュンサンは家を出て行く。
  チュンサンは残りたかったが、目が見えなくなってユジンを守ってあげられない
  という思いのため、自分からは大事なことは何も言い出せなかった。
 ・残ったユジンは、一人で夕暮れの海を見つめる。そこで、3年前の初めての
  海を思い出し涙を流す。
  チュンサンを追って走り出すユジン。
  カートのような車から降り、船を待っているところ(場所は島とした)で、チュンサンに
  追いつく。チュンサンに呼びかけるユジン。振り返るチュンサンの目には
  涙が浮かんでいた。

書いているうちに、だんだん恥ずかしくなってきたので、この辺で置くことにする。
このあと、2人の想いがいっしょになって、余韻をもってめでたく終了と持っていきたい。

要は、再会して一瞬で3年前の気持ちに戻って欲しくないし、またその気持ちを
いきなり相手にぶつけるのは、あまりに身勝手だという気がする。3年間の思いが若干の
タイムラグを置いてから湧き上がってきてラストを迎えるというのが僕の好む形だ。

でも、これを妻に話すると、「冬のソナタ」は再会時に一瞬で蘇るのが良くて、
「恋におちて」の形は駄目、と言われてしまった。
確かに、記憶は、一瞬にして、時間の経過を忘れて、目の前に蘇るものかもしれない。
だから、番組通りで良いのかもしれない。ただ、離れて生きることを決意して3年間を
過ごした時間の重みを出した方が、3年後の設定をした意味が出てくるのではないかと
どうしてもこだわってしまう。

ところで、このドラマを見て、韓国も日本とあまり変わらないことがわかった。携帯電話、
車、スキー場など、各シーンのバックに見えるものに差を感じないのが意外だった。
もちろん、考えてみれば当たり前なのだが、そういうこともあまり知らなかった。
ここしばらく、韓国のドラマブームのようで、冬のソナタ以外にもいろいろやっている
ようだし、本屋にも韓国のドラマや俳優を扱った雑誌がたくさん置いてある。
こんなところから、他国への理解は変わり、壁が低くなっていくんだなと感じた。