性同一性障害特例法施行 :2004.7.20
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 先週の16日、17日の新聞に考えさせられる新聞記事が2つあった。
 その一つは、「性同一性障害特例法が施行」になったという記事。
心と体の性が一致しない人に性別変更を認める法律で、昨年の通常国会で
成立しており、16日に施行となった。性別変更を認める条件は、@20歳以上
A独身、B子供がいない、C生殖能力がない、D変更後の性別の性器の部分に
近似する外観を備えている、という5つの条件を満たしたうえで、医師2人が性同一性
障害という診断で一致した場合、となるそうだ。
 僕は概してこういうことには保守的な面が強く、生まれながらに受け容れざるを得ない
ことの中に性別も含まれるだろうと思ってしまう。また、性別を変える選択肢を増やすことで、
一層迷いが増し苦しむ人たちも出てくるだろう。
 とはいえ、心の性との違いで苦しむ人がいて、社会生活に困難が生じていたならば、
何らかの手段が必要で、それがこの法律となった訳だ。でも、法律が社会の理解より
先行した形となっているので、この法律施行後、性別は絶対のものでなくなり、例えば
生まれた時からの女の人と、大人になってから変更した女の人とを同じ目で見ることが
当分はできそうにないことからある種の差別問題が生じる可能性もある。できうるならば、
さまざまなことに対する社会の受け入れ範囲が広くて、その土台に乗って法律が整備
される方が望ましい。
  
 2つめは、高松高裁が「夫の死後に凍結保存精子で体外受精で生まれた子供を、
夫の子として認知した」という記事である。裁判所は、”認知を認めない特段の事情も
ない”として認知する判決を下したらしい。
 裁判所が認めるかどうかという以前に、このような妊娠に非常に強い違和感を感じた。
しかし、新聞に書かれた経緯を読むと、反対できなくなる。書いてあった経過の流れに
不自然さを感じなかったからだ。
(98年に夫は無精子症になる恐れのある放射線治療前に、医療機関で精子を冷凍保存した。
 99年に夫は病死し、妻は夫の精子で体外受精により男児を01年に出産。嫡出子として
 出生届を出したが受理されなかったため、この裁判になった。)
 結果だけを見ると非常に不自然だが、経過は誰にでも起こりうることで、誰でも同じ判断を
する可能性がある。その意味で今回の判決は正当なものと言えるだろう。しかし、例えば
夫は死んでいるのに、長男、次男、三男が生まれるという事態を考えると、どこかで
線引きがいるようにも思う。当事者の想いをいかに社会が受け容れるか。そして、どの
あたりからは受け容れないようにするか。漠然とそのラインが見えるような気もするが
はっきりはしない。