岡真理さん講演会参加(暴力の連鎖を越えて) :2004.5.30
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2月末に太田昌国氏の講演会に行ったことをこのHPでも以前に書いた。
その時に司会をしていたのが、岡真理さんであった。
その後、著作の「記憶/物語」を読み、出来事を語ることができるのか、または
どのようにすれば語ることができるかという非常に難しい問題を、具体的に考えて
いる人がいることを知った。
その岡真理さんの講演会が立命館大学であることをインターネットで知り、
直接話を聞こうと思って参加した。


(日時)5月29日(土)15時〜17時半 ビデオ上映
              17時半〜19時半 岡真理講演会
(場所)立命館大学存心館803号教室
(講演会演題)暴力の連鎖を越えて:パレスチナ 歴史の根源へのまなざし
(参加者) 60人くらい?(講演会時)

岡真理さんは、京都大学総合人間学部助教授で、さすがに話慣れているようで
整然と話をされた。内容は、パレスチナ難民キャンプが中心で、上に書いた著作内容に
関係する箇所は少なく、下記項目(6)で少し関係するニュアンスが感じ取られた程度だった。
予想していた内容とは少し違ったけれど、非常に密度の濃いパレスチナの解説だったように
思う。
内容に勝手に項目を付けて整理すると下記の通り。

(1)イラク戦争の背後に隠れたパレスチナ
 ・2001年のアフガニスタン空爆開始から、まだ2年半しか経っていないのに、遠い過去の
  ように感じられる。
 ・イラク戦争直前に、イラクに関心が集まる中で同時進行しているパレスチナが忘れ
  られていることを訴えるメールがパレスチナから届いていた。
 ・イスラエルは大規模殺害をせず、日常的に小規模殺戮を繰り返しており、それが
  日常になるがゆえに、ジャーナリズムの注意を惹かなくなっている。
(2)難民キャンプに見られる高層住宅が意味すること
 ・今回ビデオ上映した映画に出てきたレバノンのシャティーラキャンプは、高層アパートに
  難民が住んでいて、難民キャンプという言葉のイメージと違うと感じた人がいただろう。
  1948年に難民キャンプができて以来、すでに50年以上経過し、3世、4世も生まれている。
  300m×400m程の敷地から成るシャティーラキャンプには1万6千人が住んでおり、敷地が
  増えないために、上へ上へと伸びていかざるを得ない状況である。高層アパートといっても
  ブロックを積み重ねただけの建物だ。50年以上故郷に帰ることができない状況を象徴している
  のがこの高層アパートだという捉え方をすべきであろう。
(3)難民とはどういうことか
 ・1948年イスラエル建国に伴って、パレスチナ人80万人のうち、70万人が難民となって
  周辺国に避難した。
 ・現在、世界中に約400万人のパレスチナ難民がいる。
 ・レバノンには40万人難民がおり、そのうち56%が難民キャンプで暮らしている。
  経済的に少しでもゆとりが出た人々はキャンプを出るので、難民キャンプにいる人たちは
  非常に貧しい人々である。
 ・ヨルダンには約160万人の難民がいるが、キャンプで暮らすのは十数%に留まる。
  ヨルダンでは難民全てにヨルダン国籍が与えられ、パスポートも取れ、高等教育も
  行政サービスも受けられる。さらに、公務員にもなれ、閣僚にもなっている。
  この状態は、在日朝鮮人より良い環境と言える。
 ・一方、レバノンでは、70種以上の職種にパレスチナ人は就くことができない。その職種は
  医者や高等技術者などの専門職だ。レバノンにいる限り、専門的な知識を身に付けても
  能力を生かすことは不可能である。
 ・では、なぜ、その国に留まるのか。海外に出稼ぎに行く人たちはいる。しかし、家族を置いて
  家族離散の状態を選択して海外に出ることはしない。家族を支えるために留まる。
  それは、家族のきずな、親族のきずな、共同体のきずなの下で、生き抜くことが民族的な
  抵抗だからかもしれない。
(4)難民に繰り返される虐殺
 ・1979年イスラエルとエジプトは平和条約を締結する。1982年イスラエルはレバノンに
  進攻し、2万人のレバノン市民が殺害される。エジプトとの平和条約は、別のアラブの国を
  攻めてもエジプトが手を出せない効果があり、平和と名の付くものが大虐殺を可能に
  したことになる。
 ・上記レバノン進攻に関連して、シャティーラキャンプで2千数百人が殺された。この殺害には
  レバノンのファランジストと呼ばれる一派が関連しているが、レバノンの中枢を占めているため
  処罰されることも無く、責任を問う議論もない。
 ・思い起こせば、日本の関東大震災時の朝鮮人虐殺に関しても、責任を問われた人はいない。
  今でも、チマチョゴリを着た人が切りつけられたりしても、検挙されないという話も聞く。
  こういう時、嫌なら帰れ、というような脅迫がある。安全に道を歩くというような人権でも
  これは人間の権利ではなく、国民の特権としてしか存在していない訳だ。
(5)占領とはどういう状態か
 ・「戦場のピアニスト」という映画の中で、ユダヤ人が踊らされる場面がある。占領は
  人間性の剥奪である。(イラクでの刑務所での米英軍による不当な扱いもその一種だろう。)
(6)自爆テロに対する人間としての共感
 ・28歳のパレスチナ人の女性弁護士が、ハイファで自爆テロを行った。彼女がなぜ自爆テロを
  行ったかの検証記事が約1週間後朝日新聞に載った。彼女の弟や従兄弟はイスラエルにより
  殺されており、彼女はイスラムに深く傾注することになる。その記事は最後をその母親の「敵を
  殺せというのがイスラムの教え」という言葉で締めくくっている。つまり、この記事はイスラムに
  答えを求めたわけだ。しかし、30数年組織的に抑圧され、日々パレスチナ人が殺されている
  状況の中で、最愛の弟を殺された場合、その立場にある人が自爆テロを行うことは、是非を別に
  して、共感の範疇に入るのではないだろうか。
(7)テロと報復の連鎖と呼ばれる時の暴力は同じものか
 ・イスラエルの組織的な圧倒的な暴力と、周りの数名を巻き込む自爆テロを同じ暴力という言葉で
  語られ、暴力の連鎖と呼ばれている。これは同じ暴力という言葉で平準化されうるものなのか。
(8)パレスチナ問題の歴史はせいぜい百数十年
 ・あたかも数千年の問題のように考えられがちだが、それは近代の神話であり、実際は百数十年
  くらいの歴史の問題だ。東ヨーロッパでのユダヤ人迫害を発端としてヨーロッパにおける反ユダヤ
  主義が起こる。近代になって宗教差別がなくなっていく中で、人種の概念が生まれ、ユダヤ教徒で
  なくても、ユダヤの血を引くものはユダヤ人となった。そして、ナチスはホロコーストという形で、
  最終解決を図ろうとした。戦後ヨーロッパは、この問題の最終解決を、ヨーロッパのために、ヨーロッパ
  以外の土地にユダヤ人の国家を建設するということで実現しようとした。
(9)最後に:パレスチナ問題の希望
 ・近代以前、アラブ人として、ユダヤ・イスラム共存の歴史がある。
 ・イスラエル人の中にも、ポストシオニズムを考える人々や、パレスチナに対する不当な攻撃に加わる
  ことをいやがり兵役拒否する人が現れている。まだまだ非常に少ないがこれらの動きを支援していく
  必要がある。