原子力発電と核兵器 :2011.7.31
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  原子力発電反対という論理には、安全性と、核兵器との類似という2つの観点が
 あるように見受けられる。後者の論理には前者を含んでいることが多いが、前者の
 論理には後者を含まない場合の方が多いようだ。

 東日本大震災後の福島第一原発事故の報道を見ると、安全性に問題があったと
 言わざるを得ない。同時に、安全対策を多少充実させたところで絶対的な安全は無いと
 考えておかなければならないことを今回の事故は示している。
 日本では全交流電源喪失という事故が起こる確率は非常に低いと見られていた。
 普段から停電が少ないことに加えて、非常用電源の稼動しない確率が他国に比べて
 圧倒的に少ないと考えられていたからだ。
 今となってみれば、それは通常の環境下での確率であって、10メートル以上の津波が
 押し寄せて周辺の設備が流され非常用電源も浸水した場合にどうなるかという想像は
 誰もしていなかった。
 今後、非常用電源を分散させたり高い位置においたり数を増やしたりという対策は
 なされるだろう。けれど、絶対的な安全が無いのだから、事故が起こった場合を想定した
 対策を考えなければならない。
 これまでは、メルトダウンを起こさないための対策を考えているだけで、起こった場合の
 対策は不十分だった。メルトダウンした場合に放射線漏れが起こらないようにできない
 現在の状況では、原子力発電は安全とは言えない。
 基本的にはできるだけ早い時点で、全原発を停止させるのが正しい方向だ。

 上記の安全性の議論とは別に、そもそも原子力の平和利用という考え自体が間違って
 いたという批判もある。
 例えば、作家の村上春樹氏は6月のカタルーニャ国際賞の受賞式で「非現実的な
 夢想家として」と題してスピーチを行い、次のように話している。
  「これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、
   今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身が
   そのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、
   我々自身の生活を破壊しているのです。」
 原子力エネルギーは非常に大きく、制御が困難なことは確かだ。けれど、このエネルギーを
 平和目的に利用するという考え自体は決して間違っていない。
 いったん現行の原子力発電所は数年内に停止させる一方で、再度一から見直して
 事故が起こっても抑え込める新たな原子力利用を研究していくことは否定されるべきでは
 ない。

 これまで核兵器廃絶を訴えている人たちがみな原発に反対していたわけではないが、
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が今年になって初めて「脱原発」の方針を
 取ったように今後、核兵器反対の人たちが原発反対の声を強めることになりそうだ。

 現在、脱原発を支持する国民が多くなっている。しかし、脱原発を支持しているからと
 いって核兵器廃絶に賛成しているかどうかは現時点ではっきりしない。
 核兵器を利用した場合の放射能被害は今回の比ではない。一度に大量の放射線を
 浴びた場合の人体の破壊は「朽ちていった命(新潮文庫)」に書かれていたように
 人間の尊厳に関わる大問題であり、もっとひどいことが広島・長崎で起こったのだ。
 
 原子力発電を危険だと考えるなら、核兵器をそのままにしておくのは論理的に間違って
 いる。
 核兵器廃絶は脱原発を含まないが、脱原発は核兵器廃絶を含んだ考えのはずなのだ。