森鴎外「沈黙の塔」 :2011.1.7
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 大逆事件で幸徳秋水らが捕らえられたのが1910年6月で、死刑が
 執行されたのが1911年1月である。
 この間に森鴎外は「沈黙の塔」という作品を発表している。掲載された
 のは「三田文学」の1910年11月号で、発行禁止などの処分はない。

 この作品も『逆徒「大逆事件」の文学』(インパクト出版)に収められて
 いる。10ページほどの短い話だ。

 パアシイ族が危険な本を読んでいるという理由で殺されている。危険な
 本とは自然主義と社会主義である。文芸も学問も少しでも価値を認めら
 れているもので危険でないものはない。その価値が因習を打ち破るとこ
 ろにあるからだ。
 このようなことが書かれていて、危険な書を禁止することを批判している。
 ただ、寓話的で対象がはっきりしないため、批判する力は強くないように
 感じる。社会主義を取り締まる時に周辺の文芸や学問までもが禁止対象
 に加えられていることが批判の中心になっているようで、社会主義自体を
 擁護したり大逆事件自体を批判しているわけではないようだ。

 私は明治時代後半をかなり自由な時期だと思い込んでいた。夏目漱石の
 「三四郎」などを読んでも、日露戦争後の風潮の批判は書かれているものの
 精神的な自由は感じられた。その感覚と大逆事件は結びつかない。この
 ギャップをどう捉えたらよいかがわからないので、当時の作家の文章を
 いろいろ読んでみたいと思っている。

 なお、ウィキペディアで調べると、「沈黙の塔とは、ゾロアスター教における
 鳥葬を行う施設である。」と書かれている。死者を鳥についばませることに
 よって処理するらしい。
 パアシイ族は、「イスラム教徒による迫害を避けて8世紀ごろインドに逃れた
 ペルシア系のゾロアスター教徒」と本の注釈に書かれている。
 沈黙の塔、パアシイ族という言葉の他に、危険な書として挙げられている
 洋書もロシア文学、フランス文学、イギリス文学、ドイツ文学と様々だ。
 本作品の批判力はいま一つだが、知的レベルは嫌味なほど高い。