許すということ :2009.6.25
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  1990年に4歳の女児が殺害された「足利事件」で無期懲役が確定して
  いた菅家さんが、最新のDNA再鑑定によって無罪が確定的となり、今月
  初めに釈放された。
  この事件では、初期のDNA鑑定精度の問題、自白に頼った捜査のあり
  方の問題、再鑑定までにあまりに長い時間を要した問題、そしてその間に
  時効を迎えてしまい真犯人を捕まえらなかった問題等々、いろいろな問題が
  指摘されている。

  無実の人を17年間も拘束し自由を奪ってしまったことは、どう考えても取り
  返しの付かないことだ。
  釈放後の会見で菅家さんも、「警察官や検察官は絶対許しません」と述べ
  ていた。
  ただ、釈放後にTVに出演されている菅家さんを見た時に、周りの人の期待に
  沿う意見を頑張って言おうとする傾向が強いように感じた。だから、「許しません」
  という強い言葉も、無理やり言っているような気がしていた。

  それが、17日に栃木県警本部長の謝罪を受けた後、菅家さんは記者会見で
  一転して、県警を「許します」と述べた。
  県警本部長の謝罪が心のこもった言葉だったのだろうが、社会的に取り上げ
  られる事件で、謝罪をはっきりと受け入れることは稀だと思う。
  謝罪を受け入れることができたのは、菅家さんと県警本部長の人間性による
  部分が大きいと思うが、一方で、謝罪が菅家さん個人に対するものだったことも
  大きいだろう。
  もし、菅家さんが社会を代表して、県警の社会への謝罪を受け入れるような雰囲
  気になっていたら、個人的に謝罪を受け入れる気持ちがあったとしても社会に
  配慮して出来なくなってしまったのではないか。

  謝罪を受け入れるということは、謝罪することより、はるかに難しい。
  菅家さんの謝罪受け入れを見て、社会が判断するのでなく謝罪された個人が
  判断できるような状況を作っておくことが重要なことなのではないかと思った。