ボルネオ島マレーシア・サバ州の華人 :2008.8.16
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 先日宿泊したマレーシア・コタキナバルのホテルから見えた建築工事現場では
 現場事務所に中国語で会社名か何かが書かれた看板がありました。
 マレーシア・サバ州では中国系の企業が多数あり、経営に携わっている人々に
 中国人が多いそうです。
 いつからボルネオ島に中国系の人たちが住むようになったのかを知りたくなり
 少し調べました。

 最初に、「華僑」とはどういう人をいうのかを広辞苑で確認すると、次のように
 書かれています。
 【華僑】
  「中国本土から海外に移住した中国人およびその子孫。東南アジアを中心に、全世界に
   散在する。
   牢固たる経済的勢力を形成し、その本国への送金は、中国国際収支の重要な要素を
   なしていた。第二次大戦後は二重国籍を捨て、現地の国籍を取得する者が増加し、
   彼らを華人と呼び、中国籍を保持したままの者を華僑と呼んで両者を区別する場合がある」
 
 サバ州の中国系の人たちは既に長く住んでいて、マレーシア国籍を取得しているようなので
 「華人」に該当するのだと思います。ただ、コタキナバルの開発が進んでいることを見ると
 新しい投資先としてボルネオ島を選び、最近来た中国人もいるのかもしれません。
 
 このあたりのことをもっと知りたいのですが、今のところ、下記の2つの文献しか
 入手できていないため、よくわかりません。

    上東輝夫「マレーシア・サバ州の華人社会形成の歴史と現況」
    上東輝夫「東マレイシア概説(同文舘)」

 この文献によると、中国とボルネオ島との最初の関係は5−6世紀頃に遡ります。そして、
 本格的に中国人がボルネオ島に移住するようになったのは、19世紀半ば以降、日本の
 明治時代以降です。
 当時の北ボルネオは形式的にはブルネイ王国がありましたが、実質的には英国の支配下に
 ありました。英国支配にあるボルネオにうまく適応した形で中国人が移住してきたようです。
 このため、第2次世界大戦が始まり、日本が北ボルネオを占拠するようになると、
 華人の反発は強かったようです。

 私はなぜ植民地支配する英国への反感が少なく、日本への反感が強いのか、疑問に思って
 いたのですが、既に英国が植民地支配している場所に中国人が移住してきたということを知り
 納得しました。


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[サバ州と華人](メモ書き)
 
 ・5−6世紀に中国の商人がサバ州を訪れて交易
 ・9世紀後半の唐朝の史書にボルネオ島の有力部族国家「勃泥」記載あり
  後のブルネイ王国と繋がりがある国と思われる。
 ・明朝時代(1368-1640)、関係活発化
 ・1644年成立の清朝は中国人の海外渡航を禁止。ボルネオ島との交易も激減
 
 ・1864年ラブアン島に移住した中国人集団
  (ラブアン島は英国が貿易拠点として割譲させた地)
   英国人等の日常生活品の小売と、欧州系商社の仲介業
   石炭鉱山採掘のクーリー(下層労働者)
 ・1877年 英国北ボルネオ会社設立
 ・1881年 英国北ボルネオ特許会社に発展。
   北ボルネオの経営・管理を行なう。
   華人の組織的集団移住の幕開け
   ・・・ゴムのプランテーション開発と労働力の不足
     (1891年でサバ州人口6万7千人)
 ・1905年 北ボルネオ鉄道開通
 ・1920年代以降、華人の一部は事業経営で財をなす
 ・1942年 日本軍北ボルナオ占拠
    食料・物資の強制調達、住宅の強制収用、軍用道路建設のための
    住民強制使役により、住民の反感強まる。
 ・1943年 華人系住民による抗日地下組織形成
 ・戦後、再び英国の保護領に。
   経済復興に際し、ゴムと木材の生産・輸出に傾斜
   華人系住民は英国より、木材の長期伐採権や遊休地の長期開発権を取得し
   経済活動と富裕層家系の基盤を作り上げる契機になった。
 ・1963年 マレーシア独立
 ・1967年 ブーミプトラ政策
    マレー語の国語化
    マレー系住民に経済上の優遇策を与える
  →華人に不公平感はあるものの、結果的に華人社会の安定度を高めた
 ・課題 :華人系住民の相対的人口比率の低下(マレー系住民の人口増加)
       華人社会における富裕層と貧困層の2極化
       (フィリピン、インドネシアの労働力が華人の労働力の競争相手に)

サバ州の人口と華人比率

人口 華人系 華人系割合
1891 67,062 7,156 10.6%
1901 104,527 12,282 11.8%
1911 208,183 26,002 12.5%
1921 263,249 39,256 14.9%
1931 269,969 47,799 17.7%
1951 334,141 74,374 22.3%
1961 454,421 104,542 23.0%
1971 665,304 138,512 20.8%
1981 955,712 155,304 16.3%
1993 2,108,900 237,700 11.3%
1996 2,522,700 269,700 10.7%

*1993,1996年データの出典は別。