ボルネオ島旅行 :2008.8.4
戻る
会社の組合主催の植林ボランティア活動に参加して、7月20日から25日まで、
ボルネオ島に行きました。ボルネオ島はインドネシア、ブルネイ、マレーシアの
3ヶ国の領土があり、今回は北部のマレーシア サバ州に行きました。
マレーシアという国は大きくはマレー半島の領土とボルネオ島北部の領土から
なっており、ボルネオ島北部の領土は東マレーシアと呼ばれています。
東マレーシアは面積ではマレーシア全体の60%、人口は20%を占めている
そうです。
参加人数は三十数名。家族など組合員以外を1人連れて行っても良いということ
でしたので、中学1年の長女を連れて行きました。
[20日:ボルネオ島到着 コタキタバル宿泊]
日本からコタキナバルの直通便なら5時間くらいで行けるようですが
クアラルンプールで乗り換えだったので、飛行機に乗っている時間が9時間半ほど
ありました。
クアラルンプール空港内を歩くと、そこにいる人たちを見て外国に来たということを
強く感じました。髪をスカーフで覆っている女性が目立ちますが様々な方がいます。
真っ黒の服装で目のところだけ開いている方もいれば、華やかな色合いのスカーフで
覆っている方、スカーフを着けていない方ももちろん多くいます。
コタキナバル行きに乗る際に4人のスカーフを身に付けた若い女性がすぐ前にいました。
スカーフに刺繍がしてあり、とても綺麗でした。今まで女性が髪を覆うことを女性差別の
ように感じていましたが、おしゃれの道具でもあることを知りました。
この日はホテル到着が現地時間で23時すぎでしたので、お風呂に入ってすぐ寝ました。
[21日:キナバル公園。ラナウ宿泊]
朝6時半ごろ起き、ホテルの部屋の窓から外を見ると、真ん前に水の上に建っている
家がたくさんありました。これらの家は水上族と呼ばれる民族の人たちの家で、漁師を
職としているそうです(バンチャオ族と聞きました)
また、水上族の家々のすぐそばで建築工事を行なっているところが多く見られます。
工事の現場事務所には中国語で会社名か何かが書かれた看板がありました。
このコタキナバルというところは建築ラッシュで、中国系企業が大きな投資をしている
ようです。
昨晩遅くに着いたので朝は10時半に出発。途中、ペカン・ナバルの民芸品店で休憩。
ここはキナバル山(標高4095m)がきれいに見える場所だそうですが、雲が覆っていて
山の形もわかりませんでした。
中華レストラン「仙園」で昼食後、キナバル公園で植物園散策。大自然の土地に来て
植物園を見て歩くのもちょっと変な気がしましたが、それだけ自然が失われていることを
表しているのかもしれません。ジャングルはボルネオ島北部にはもうほとんどないそうです。
植物園散策中に雨が降ってきました。ボルネオ島にははっきりした雨季乾季という区別は
ないようですが、今の時期はどちらかというと乾季に当たります。しかし、今年は午後2時
ごろから雨になることが多いそうです。
ラナウのホテルに向かう途中で、フルーツマーケットに寄りました。道路を挟んで
片側でフルーツを、反対側で野菜を売っています。フルーツや野菜がそのまま並べられて
いるのが多いのですが、一部はビニール袋に入っていたり、日本のスーパーの商品のように
白のトレイにラップを巻いたものも売られていました。ここの生活も昔とは違ってきている
ようです。
[22日:ロハン村で植林。午後、ポーリン温泉、キャノピーウォーク]
日の出の時のキナバル山がとても良いとの情報があったので、朝5時半からホテル
裏手に行きキナバル山を見ました。キナバル山に雲はかかっていませんでしたが、東の
空に雲があり、日の出の朝日はきれいに見えませんでした。このため、朝日に赤く照ら
されるキナバル山を見ることはできませんでした。
でも、東の下に雲海が見えました。最初は本当に海かと思ったほどで、とても綺麗でした。
8時半に出発し、植林を行なうロハン村へバスで移動。40分ほどの距離のところで
バスを降り、山道を15分程度上がったところが植林の場所でした。
この場所は山火事で木が失われた場所で、所々に黒焦げの木がありました。地元の
方々が二、三十人集まって来てくれていて、一緒に木を植えたり草刈をしてくれました。
植えた木はJATIという木で、チークだそうです。中国で6年前に植林したのは松で、
松とわかるものを植えたように記憶しています。今回のJATIの苗はまだ小さく、木に
なる苗かどうかわからないほどです。
中国の砂漠では植えた後、バケツリレーをして水をやりました。ここでは雨がよく降る
からか植林後の水やりはしませんでした。
休憩時間にココナツを切ってもらい、ストローをさしてジュースを飲みました。
1個のココナツの中のジュースの量はかなり多く、娘と2人で一つを飲みました。
植林はささやかなものですが、良い経験をしました。
昼からはポーリン温泉に行きました。ポーリン温泉は日本軍が作った場所だそうです。
日本軍は1942年から1945年までボルネオ島に駐留しました。どういう想いで作った
のでしょうか。今の源泉の温度は46度ですが昔はもっと高かったそうです。
そこから1時間ほどのジャングルコース(キャノピーウォーク)があり、途中のつり橋が
特徴です。ちょうどつり橋に着いたときに雨が降り始めました。つり橋は地上40メートルの
ところにあり、5つのつり橋が連続しています。30センチほどの板の幅しかない橋を渡る
ので結構怖く感じます。本当は橋の上から周りを見て楽しむようですが、雨の影響もあり、
周りを見る余裕がありませんでした。
[23日:地元の小学校で植林と交流]
この日も朝5時半からキナバル山を見に外に出ました。山頂付近にも雲が薄くかかり
あまり良い状態ではありませんでした。ただ日の出からしばらくして朝日が差したとき
少し山肌が赤みを帯びたような気がしました。
8時半ナポリ小学校に向けてバスで出発。今日は小学校との交流の日です。
小学校の方々の前で 「幸せなら手をたたこう」をマレー語で歌うことになっていて、
それまでもバスの中で現地ガイドのタニスさん指導のもと、歌っていましたがあまり
声が出ていませんでした。でも当日になると、練習にも力が入り、今までとは全然
違ってとても良くなりました。
小学校に着くと、運動場で民族舞踊で歓迎されました。教室でのあいさつの後も
子供10人くらいの踊りがあり、その後、「幸せなら手をたたこう」を歌いました。
思っていた以上に受けが良かったように感じました。
その後、外に出て子供たちと一緒に木を植えました。土が固いところもありましたが
現地の小学生が大きく鍬を振り上げて掘ってくれました。
現地の方が用意してくれた食事をとった後、子供たちと遊びました。凧や竹とんぼ、
折り紙、紙風船、サッカー、ビーチボールなど、交錯しながら遊んでいました。
この小学校の子供たちはとても人なつこく、こちらが何もしなくても寄ってきたり、
ボールを投げてきたりします。おんぶやだっこしてのジャンプなどもせがまれたり
するなど、なかなか大変です。僕は体力に自信がないので、途中隅っこで休みました。
何か新鮮な気がしました。
[24日:リゾートホテルで自由行動。夕方帰国の途に]
最終日は帰国の途に着くまで自由時間でした。午前中は自然保護区でリハビリ中の
オランウータンを見学しました。(もちろん有料です。2000円程度)
その後、ビーチで波遊びをしました。波が強めだったようで、砂を巻き上げるために
水は砂混じりでした。熱帯のためだからか、海水が冷たくなかったです。
プールでもしばらく遊んでから、ビーチサイドカフェで昼食を取りました。
ピザとバーガー、スプライトとジンジャエールを頼みました。2人で85リンギット。
日本円で3000円くらいです。やはり高い。
注文してから食べ物が来るまでの時間が長かったうえに、食べ切れそうにないポテトを
包んでもらったりしたために、カフェを出た時に集合時間まで1時間を切っていました。
部屋に帰って大急ぎで交代で風呂に入り、荷物をまとめ、集合時間に間に合わせました。
帰りもクアラルンプールで乗り換えでしたので、計9時間近く飛行機に乗っていました。
飛行機の中ではなかなか寝付くことができませんでした。
[25日:朝 関西空港着、自宅へ。]
朝7時ごろ、帰国。7時半解散。バスの時間を見に外に出ると、朝なのにとても暑い。
そのうえ、セミの鳴き声がものすごい。そういえば、ボルネオ島ではセミの鳴き声は
聞かなかったように思います。四季がはっきりしないところにはセミはいないのでしょうか。
終わってみればあっという間の6日間でした。ただ、このまま終わってしまうのは惜しい気が
しています。もっと調べてみたいことがたくさん出てきました。わかってきた範囲で何回かに
分けて書いてみようと思います。