憲法について :2007.5.9
                                          戻る

 先日、ある公式の場で
憲法に関する意見を話さないかという話を頂きました。
数日しか時間がないこと、平日であったこと、20年勤続で1週間休んだ直後
だったことから、お断りしました。憲法に関して確たる考えを持っているわけでは
ないので、内心断る理由があってホッとした面もありました。一方でせっかく機会を
もらったのに、自分の考えがないという状況から機会を逸してしまったことを情け
なく思いました。
 昨年から「平和に関する市民勉強会」を行ない、さまざまな面から学んでいるのに
自分自身の考えを整理し深めることができていないことに改めて気付かされました。
そこで、深くはないですが、現段階での私の考えを書こうと思います。

 まず、先月衆議院を通過し参議院で審議中の「国民投票法案」についてです。
 焦点の一つは、「最低投票率」になっているようです。投票率が40%なら過半数は
全体の20%となり、国民の20%しか賛成しないのに憲法が変わってしまうのは
おかしいという論理です。この考え方は間違っていないと思います。しかし、あまり
にも情けない話です。憲法が変わるかどうかという投票で、投票率が50%にも至ら
ないというのはどういう状態でしょうか。
 憲法を変えようという考えもないし、現憲法を守ろうという考えもないという状況、
それは、既に「憲法」という存在が国民の中で死んでいるということです。憲法を
変えようが変えまいが関係ない状況です。こんな状況を想定した「憲法改正」論議
自体がナンセンスです。
 ナンセンスだから「最低投票率」が必要と考えるべきかもしれません。しかし、私は
敢えて「最低投票率」は規定すべきでないと考えます。うかつに「最低投票率」を決め
ると、憲法を変えたくない人の中には、投票を棄権することで改正反対の意思表示を
したと、自己満足的な勘違いをする人たちが現れます。そういう無責任さを防ぐために、
しっかりと賛否を議論して問題点を理解し合うプロセスが不可欠です。

 その他に「テレビ・新聞への無料枠当て」や「TV有料広告」なども議論になっている
ようです。お金に頼った運動を避けるという目的で無料枠などが考えられているよう
ですが、意見が自由に言える環境を守りさえすれば、あとの運動はお金をかけようが
構わないと思います。むしろ変に規制を設ける方が悪用されやすいのではないでしょうか。

 国民投票法案は可決され、憲法改正論議が進められることになるでしょう。ただし、
本法案の施行は3年後ですから、改正は早くても3年後になるようです。私は今から5年
(または10年)後に憲法に関していったん決着を付けることを政府が目標として宣言し、
その間に国民の間でもしっかり議論することにしたら良いと思います。
もちろん、改正するかしないか、改正する場合での条文の議論も含めてです。その過程で
この問題を通じて私たち市民が民主主義的に成長できるかが重要になります。

 さて、憲法改正、特に9条の改正に関して今の考えを書きます。自衛隊の必要性を
認めるならば、現在の憲法とは整合しませんので改正の必要があります。私は現状では
自衛隊は必要と考えていますので、憲法は将来改正すべきだと思います。
 しかし、憲法改正の必要を説く安倍首相自ら、集団的自衛権に関して、憲法の解釈
変更を指示したように報じられています。つまり、憲法を改正してもしなくても、解釈
変更で何でもできるということになります。すると、憲法で自衛隊の存在を認めた場合、
いくら条文に活動の制限を明文化しても、解釈変更でさらに活動の範囲を拡げやすく
なる可能性が極めて高いことになります。(なお、安倍首相の憲法改正は、押し付けら
れた憲法から自主憲法にすることが目的のようで、あまり憲法で権力を制限するという
視点は感じられません。)
 9条に関しては、憲法の制限の範囲内で法律が作られておらず、憲法の解釈を変更
することが続けられてきた結果、憲法によって権力を縛ることができてこなかったことが
国民に知れ渡っています。この状態のままで9条を変えると海外派兵もしやすくなり戦争
に繋がる可能性があると考えるのは当然のことでしょう。
 そこで、憲法を変える場合も変えない場合も、いかにして憲法を(変えた場合は新憲法を、
変えない場合は現憲法を)守っていくのか、ということが最大の課題になると思います。
特に憲法を変えようという人たちは、この点についてもっと考えなくてはいけないと思います。
 憲法を改正しようと考えている人は、限界を明記したうえで自衛隊を認めることにより、
しっかりした立憲主義を取り戻そうとしているように見えます。そのようにできれば良いですが、
立憲主義が根付いていない日本で、再度拡大解釈に進まないかの不安は解消されません。
 では、どうするしたら良いのでしょうか。しっかりした考えはありませんが、少なくとも次の
2つは考えなくてはいけません。
 一つはシステムの問題です。現在、9条に関連する法律が合憲か違憲かは最高裁
判所が判断せず、行政内の組織である内閣法制局が解釈という形でどこまでが合憲かを
決めるということになっています。憲法の制約を受けるべき行政が、合憲かどうかを決める
というのは、立憲主義に反しています。これを改めなくてはいけません。
憲法を変える場合は特にこの部分をしっかり議論する必要があると思います。
 二つ目は国民の意識です。今まで憲法が厳格に守られていなかったため、憲法の重みが
失われています。このままでは、憲法改正しても、改正しなくても、憲法の制約は薄れ続け
ていくでしょう。憲法とはどういうものかを学び直すことが必要です。5年後に憲法改正に
ついて判断すると考えて、5年かけて国民全体で取り組んでいければ少しは良くなるのでは
ないでしょうか。私がやっている勉強会でも5年後くらいを見据えて議論していきたいと思って
います。
 憲法に対する意識が変わった時点で、ようやく憲法改正かどうかという話になるべきです。
それまでに慌てて改正すると非常に危険だと思います。同時に改正論議までに「解釈変更」
を行なうことも避けなければいけません。先に述べたように「解釈変更」を言いながらの
改憲というのは、矛盾した行為だと思います。

 まだ、私の考えはこの程度で、これ以上のものは何もありません。いろいろな考えを聞き、
勉強会でも議論しながら考えを深めたいと思っています。