屈辱の事件(1953年「世界」より) :2006.4.14
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月刊誌「世界」に今までに記載された憲法に関係する論文を選んだ本が2月に
出版された。その最初が1953年に載った「屈辱の事件」と題する竹内好の文章
だった。
竹内氏は、敗戦の8月15日を屈辱の事件、民族の屈辱と書いている。最初に誤
解のないように書いておくが、彼は戦争に敗れたことを屈辱と感じているわけで
はない。
彼は敗戦を予想していたが、国内統一のままの敗戦は予想していなかった。主
戦派と和平派に支配権力が割れ、革命運動が猛烈に全国に拡がるという夢想を
描いていた。しかし、実際は8・15の時に人民政府樹立の宣言がないばかりでなく、
失敗した運動すらなかった。政治犯の釈放の要求さえ、8・15直後にはなかった。
私たちは民族としても、個人としても、8・15をアホウのように腑抜けて迎えた。朝
鮮や中国にくらべて、これはたまらなく恥ずかしい。
当時は共産主義と結びついた抵抗運動が世界中で起こっていた。本論文中に、
毛沢東が抗日戦争の勝利の理由づけの一つとして、日本の人民の抵抗が戦争を
失敗に終わらせるだろうと考えていたことを紹介している。
日本で国家指導部に対する抵抗が全くなかったわけではないだろう。共産主義の
運動家などで獄中に捕らえられていた人はいたのだから。しかし、国民全体として
は国のすることに疑問は持ったにしても従っていたのだ。運動が広がることはなか
った。
このような視点で敗戦時の状況を見たことがなかった。これは過去の話だけではなく
今同じ状況になったとしても、同じことを繰り返すことになるような気がする。情報化
社会になったからといって思考力が増すわけではない。共産主義もなく、フランスの
ようなデモを起こす力もなく、抵抗する力はますます弱くなっている。