民主党議員講演 :2006.10.8
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先月、民主党議員の講演を聞く機会があった。簡単に概要と感想を記す。
●9月11日 枝野幸男氏(民主党憲法調査会長)
[テーマ] 格差社会
[概要]
・明治維新後、アジアで唯一近代化できたのは、江戸時代から教育水準が
高かったことが関係している。また、戦後、経済大国になったことも教育水準
の高さが関係している。しかし、現在、その部分が崩れてきている。
・教育の内容が議論されているが、教えていることが生徒に伝わっていないこ
との方が問題。
・東京足立区で公立に通う半数が就学援助を受けているという一方で、塾に通
っている生徒が半数を超えるという状況がある。教育にお金がかかるという
のは、公立学校にまかせるだけでは不安で信用できないということを意味して
いる。
現在は、お金のある人は私立や塾に通い、ない人は公立に通うだけという2極
化が進行している。
・自民党が行ってきたのは、勝ち組をもっと良くして日本を引っ張るということ。
農業、特定郵便局、建設業が昔の勝ち組だったが、勝ち組でなくなったので
切ったというのが最近の改革と呼ばれていることの実態だ。
・競争はフェアであることが前提。例えば、タクシーの規制緩和が行われたが、
安い賃金のため長時間労働が必要になっており労働基準法が守られていない。
このような状況での競争はフェアと言えない。
・お金持ちになった人を褒め称えるのが政治ではない。一生懸命やってうまくい
かなかった人を自己責任の名のもとに切り捨ててはいけない。上を引き上げる
のではなく、下を引き上げるのが政治。
[感想]
退屈することなく話は聞くことができたが、後で考えると特に内容が豊富であった
わけでもなく、頭が整理できたわけでもない。枝野氏は元さきがけでもあり、期待
しているので少し残念だった。
●9月18日 菅直人氏(民主党代表代行)
[テーマ] 民主党が目指す政治
[概要]
(1)歴史
・今年は先の戦争を議論する機会が多い年になっている。靖国問題を発端とし、
読売新聞が戦争責任を議論する特集を組んだりもしている。
・明治以降を40年単位で考えたい。
@明治維新から日露戦争終了まで(1868〜1905)
西欧に負けない国づくりを目指し、近代化を図った上昇の40年
A日露戦争後から敗戦まで(1905〜1945)
B敗戦からバブル前まで(1945〜1985)
経済成長
C1985〜今までの20年。21世紀は日本の世紀だという人はいなくなった。
これからの20年は?
・明治憲法制定(1890年施行)
天皇に決めてもらうことはせず、輔弼の大臣が決め天皇が了解する
・大正初期までは立憲君主制が機能していたが、昭和初期からおかしくなった。
明治維新のリーダーは軍人であったが政治家でもあった。リーダーが残っている
間はまだおかしくならなかった。
・明治憲法11条「天皇は陸海軍を統帥す」 統帥権はある時期から政治的意味を持った。
陸海軍が大臣を出さないと言えば、内閣が成立しなくなった。
(1936年軍部大臣現役武官制)
明治憲法11条は憲法制定時からあったが、明治維新のリーダーが生きているうち
は大きな意味を持たなかった。しかし、いなくなってから政治的な意味を持ち、日本
自体がおかしな方向に進んでいった。
・今までは、戦争体験者がまだ残っていたため、歯止めがかかっていたが、その方た
ちがいなくなると方向性を誤る危険がある。
(2)国民主権
・「国民主権」が憲法に謳われている。しかし、日本の方向性を自分たちで決めたと思う
国民は少ない。これは国民主権になっていないということ。
したがって、憲法の表現上ではなく、実際に国民主権にすることが重要であり、これが
民主党の政治
・例えば、厚生大臣として薬害エイズの問題に直面したとき、厚生省は訴えられている側
だった。そこが訴えている側に有利な書類を捜し提供するすることは厚生省の利益に
反する。しかし、厚生省の利益ではなく、国民の利益を大切にすることが国民に選ばれ
ている大臣の役目だと考えて判断した。今、このことを忘れている大臣が多く、省庁の利
益を守る側に立っている。
(3)政治とは
・政治家の中には自己実現の場として政治を捉えている人もいる。しかし、そんなものでは
ないと思う。幸福を最大にすると言いたいがそこまでできないので、まず、不幸にする要
素を最小にすることが政治の役割だと考えている。
・「美しい国」は自分の美意識であり、どう思おうと勝手だが、誰にも判断できないものを政
治に持ち込むのは適切ではない。
[感想]
45分くらいの講演だったが、なかなか良い講演だった。わかりやすかったし、その中に菅氏
の考え方も含まれていた。ただ、日露戦争までは良くて、それ以降間違った方向に進んだと
いう考えは良く見受けられる考え方だが、私は連続しているように思っている。日露戦争後に
(またはもっと以前)、日本が取るべき道としてどのようなものがあったのかを考えることは、
今から日本が取るべき道を考えるうえでも大きな意味があるように思う。