朝日新聞社説「無期でよかったのか」 :2006.7.5
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今日の朝日新聞の社説は、昨年広島で起こった女児殺害事件に対する広島地裁の
判決に関するものだった。被告はペルー国籍で判決は無期懲役だった。
この事件は小学1年生の女児が性的暴行を受けた後殺害されるという悲惨な事件で
あり、親の心情は想像を越えている。したがって、関係者が死刑を求める心情は理解
できる。しかし、「ジャーナリズム宣言」などと謳っている新聞なら、感情だけで裁くべき
ではないということは充分わかっているはずだ。それなのに、今日の社説は冷静さ、公
平さを見失っており、「社説」に載せるレベルのものではない。
社説の一部を引用する。
「裁判所は死刑を選択しなかった。被害者が一人だったことや、前科がないことなど
を理由に、更正の可能性がないわけではないと述べた。だが、前科がないという理
由には疑問がある。ヤギ被告は母国ペルーで女児に対する性犯罪で2度告発され
ている。(中略)犯罪歴をきちんと審査していれば、結論が変わったかもしれない。」
「子どもをねらった凶悪な犯罪が各地で相次ぎ、親たちの不安が募っているだけに、
それも考慮した判断があってもよかったのではないか。」
最後は次の文章で締めくくっている。
「もし仮に一般の人々から選ばれた裁判官がこの事件を裁いたとしたら、果たしてど
んな判決が出ただろうか。」
私がこの社説がひどいと感じるのは、ペルー人に対する差別意識を感じるからだ。
この社説は、被告が日本人でも書けただろうか。日本人が犯人でも、「親たちの不安が
募っている」からという理由で、死刑にすべきだという主張をできただろうか。
もっと言えば、犯人がアメリカ人だったら書けただろうか。イギリス人だったらどうだろうか。
きっと書けなかったはずだ。ペルー人だから書いた可能性が高い。つまりこの社説には
普遍性が全くないのだ。
普遍性が無いから、最後に主張の根拠を一般人の感情に求めている。朝日新聞は法
の下の平等より世の中の感情で裁きを決める方が良いという主張なのだろうか。