タイトルは「ADIOS DIANA

 

 

1997831日―。この日のことを覚えているでしょうか。

この日は世界中が悲しみに包まれた日、そうダイアナ元皇太子妃の悲劇の日である。私はこの前日パリに入っていた。ちょうどヨーロッパ旅行中だったのだ。その日は友人たちとエッフェル塔に登るなどパリを満喫しようと比較的夜遅くまで遊んでいたのだった。その数時間後にはここパリでこの事件が起こる事など知らずに・・・。

翌朝目を覚ましてふとテレビをつけると何やら騒がしい。よくよく聞いてみるとダイアナさんが死んだと言っている。

「ダイアナさん?どこのダイアナさん??」

っとのんきな事であったが無理もない、ここでは日本語放送がないのだ。しかし流れる映像も見ているうちにすべてが分かった・・・そう元皇太子妃のダイアナ妃だったのだ。しかもパリで事故―、今私たちのいるここはパリではないか!

時間になって集まってもこの話題で持ちきりだった。それもそのはずである。実は数日前にはこんなことを話していたのだ。その時ロンドンに滞在していた私達はケンジントン宮殿に行きそこで

「ここってダイアナ妃の宮殿だったよなあ〜」

「ダイアナ妃に会いたいね~」っと。

もちろんこの時会ったりはしていないのだが、たった数日前のこの時には想像もできなかった事が起こってしまっていた。こんな事もあってなぜかとても身近に感じられるのだった・・・。もっと詳しく話が聞きたいと思うところだったが、この日はスペインへの移動の日。予定が詰まっていた私達は移動するしかなかった。

そして駅への移動の途中今度はパトカーに囲まれた騒々しい病院の前を通りかかった。10台ほどはいたであろうかパトカーが並び、警官らしき方々も何名か、そして近くの住民らしき人々も数名・・・。ここは事故後ダイアナ妃が運び込まれた病院なのであった。これはたまたま通りかかったのであったが、信じがたくまた悲しすぎる光景であった。しかし私達はあまりの出来事に手を合わすことすら忘れていた・・・。そしてこの時私は思った。悲運の最期をとげられたダイアナ妃には冥福を祈ろう。心から祈ろうと。

そして私達は心の中で手を合わせたまま、パリをあとにした―。

 

▲ケンジントン宮殿(ロンドン)

 

 

 その日もようやくお昼を過ぎた頃、スペインに到着した。さすがは情熱の国。強い日差しとともに活気があふれ人々も陽気だ。レストランや街中でもスペイン語の分からない私たちに声をかけてくれ遊んでくれる。レストランでもウェイターが一緒になって遊んでくれるのもめずらしくない光景だった。

 しかし昼間は暑い。とりあえず暑い。日差しが本当に刺さるようである。そのためか建物にも工夫がなされている。中庭をつくり日の光と風を取り込みつつ、直接は日差しをさえぎるようにつくられているのだ。しかも中庭には噴水などによって水をもちい、見た目にも実際にも涼しさを味わう事ができるというのである。そのため建物の中では比較的快適に過ごすことができる。これは日本のように蒸し暑くないからでもあるが。

 そして私がスペインで最も訪れたかったところの一つである、サグラダ・ファミリア教会へ。もう今から120年程前から建築が始まり、今なおつくり続けられている。未完でありながらもどの角度から見ても美しく、また細かく施された彫刻が印象的。私は早速階段を駆け上がり上まで登った。非常に狭いらせん状の階段に息が切れる・・・。しかし上まであがるとその疲れもどこへやら。予想以上の高さとその爽快な気分。心地よくスペインの風に吹かれるこの場所は未だに完成せず―。

そしてもう一つの注目はやはりこの教会を含めスペイン建築にかかわりの深い、アントニオ・ガウディ。不思議とも言えるデザインが建物に溶け込んでいる。そしてまた子供の遊び場となっても馴染んでいるのにはこちらの心がなごむ。

 このスペインを歩き回っているなか、よく目にしたもの。街中で、駅でそして売店で―。それは、「Adios! Diana」っと表紙に大きく書かれた雑誌である。これくらいのスペイン語であれば私でも分かった。思わず雑誌を手に取った。 Adios=さようなら”である。雑誌は買わなかったが、今でもその表紙は目に浮かぶ。

 

 しかし私達は次へと進もう。これからの行程へと・・。

 

▲フラメンコ(スペインにて)