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「阪神・淡路大震災」の10周年とは


2005年1月17日で、「阪神・淡路大震災」が発生してから10年が経つが、この10年間の意味について少し私見を述べたい。

10周年と言うが、その10年と言う時間経過だけで、区切りをつけようとする動きがあるが、「建築防災」特に、木造住宅における構造安全性能の確立が、21世紀になって色々と体系化されたが、既存(2000年6月以前)の木造住宅は、まだほとんど手付かずと言っていい状態になっており、決して終わりとか区切とか言えないものである。

マスコミでは、神戸の事とか中越の事を中心に記事にしているが、全て「お涙頂戴の話」や「地震被害における問題の提議」等のくだらない話に終始し、それに乗っかった防災学者が「予知体系のシステムの構築が必要だ。」とか、「救助を迅速に行える機動的な救援隊が必要だ。」または「常に防災意識を心がけて非常用の食料や貴重品類を防災バックに入れてすぐ持ち出せるように用意しておきましょう。」等とのんきなことを言っている。

そんな事で、地震に対して対策を取ったつもりで、事後対策しか策が無ければ、人命を重視した対策とは言えないであろう。

とにかく、家族が住む住宅は、「阪神・淡路大震災」クラスの地震であったとしても、軽微な被害で済むような性能を持っていなければ、安心して暮らせるシェルターとは言えないのである。

それが出来ないような住宅であれば、社会資本的に見て危険な社会資産というべきで、その様な性能を持った木造住宅を新築及び改築等を行った設計者や施工者は、私財をもって賠償し、2度とこの業界に参入できないようにすべきであると思う。

本当を言うならば非常に能力のある設計者(全体の数%程度)が個人の住宅を設計しなければ、安全を確保する事は出来ないと思われる。

「阪神・淡路大震災」、「新潟県中越地震」の災害直後の調査より実感したことであるが、倒壊して身内が死んだり、または死者は出なくても、再利用できないような被害を受けた人々の悲しみは、実際に当人になってみなければ分からないことであるが、元の生活に戻るには10年ではない。

最後に、この1.17のマスコミ報道には、これからの防災および減災に対し、何の役にも立たない情報しか無いので、単なるセレモニーでしかなかったようである。

その為に、国や県は、儀式の費用として、数億円費用を使っているものと思われ、その費用を全て中越地震の被害者に送るべきではなかったのではないだろうか?

もっと、木構造技術者が重要であると言う事を、マスコミは世間に対し訴えるべきで、木造住宅の安全性は、木構造技術者でなければ確保できないと言うことを広めて欲しいのだが・・・


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©Tahara Architect & Associates, 2005