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我が心の師である小林直人の語録より



現在スギの産直をすすめているが、流通コストを省けばその分だけ生産者の手取りが増えるので、その旨味をねらって始めたのではない。それなら、掟破りみたいなもので、いつの時代にもよくあることだ。しかしそうではなく、木材の原木市場が立派に流通機能を果しているのに(原木市場が無くなれば木を売る場所がなくなるという意味でも)、市場で売ったら間違いなく赤字になることがはっきり解ったので、黒字にする手段として産直を決意したのである。

間違いなく赤字になるとはただ事でない。もしそれが、ひとり原木市場の暴利が理由であるのなら、市場を省くこと即ち黒字となって簡単にけりがつく。ところが、原木市場は、原価割れにもかまわず流通している市場価格の責任者ではない。それどころか、とっくの昔に当事者能力を失っており、市場価格はもっと別なところで形成されている。それが、グロ−バル化の勢いなのか、あるいは、もっと別なところで「見えざる手」が働いているのか分らないが、原木市場はせいぜい10%そこそこの手数料を取っているに過ぎず、むしろ、荷主に先払いして売上金回収のリスクを負担しているだけの有様である。

それでも、木材が高く売れるのなら何も問題はなかった。いや、高く売れなくてもいい、それで人並みに生活することが出来、木材の再生産が生業として続けられるのなら問題はなかった。ところが、ただ事でないのは、事実上普通の値段で買ってくれる人達がいなくなった点にある(赤字販売は販売ではなく贈与である)。

何かが倒錯している。

普通の林業が行える手段としての産直は果たしてあり得るのか。日本中どこへ行っても安く手に入る国産木材がある。そして、その価格は生産者から見れば原価割れしているのだ。

物が交換される時は、物々交換でない限りお金で支払われる。ということは、 お互いが手にすることになった物と手放すことになった物の値打ちが等しかったと納得出来なければならないはずである。そして、支払われたお金の額がその気持ちを代弁しなければならない。ところが、現実にはそうなっていないのではないか。

「ともいきの杉」が定価販売している「定価」とは、山元に還元してもらうためのぎりぎりまで切り詰めた値段であり、生存価格である。山元ではそのお金を二つの目的のために使う。生活する為のお金と再造林する為のお金である。それがかなえられれば僕らは山村に住み森林を守ることが出来る。

流行の言葉に言いかえれば、サステナブル(持続可能)な林業を営むことが出来る。 再造林放棄はまちがっている。しかし、それは正しいことは正しいと言っているだけで、どうすれば正しいことが出来るのかについては答えてくれない。 

だから僕らは自力で答えを出してみた(手探りではあるが)。それが、「持続可能な最低限の定価」なのである。こうして、「ともいきの杉」は現代社会の「市場構造」から一歩抜け出してみた。間違っていると思われるがこれしか生き残る道がなかったのである。


→ともいきの杉と小林直人氏についてはともいきの杉HPをご覧下さい。


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 ©Tahara Architect & Associates, 2004