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技術者は弱い立場にあるから集うのか?



現在、日本の色々な職種において、その職業における団体が存在しているが、この団体の中で、特に建築業界は施工分野と設計分野において、それぞれの団体が各種存在している。

これらは、政界と繋がっており、特に20世紀から問題となっている公共事業の談合に関わっていたことがあると言われている。

その中で、団体をピラミッドの形態とすると、そのピラミッドの上位20%以内の人々によって行なわれていたと思われ、さらにその下位の30%程度の人たちが上位のおこぼれ的な公共の仕事を分かち合っていたといえる。

これは、21世紀の現在も少なくなったとはいえ、全国各地に存在しているのが実態である。

施工者レベルでは、非常に多くの問題がマスコミ等に取り上げられたが、設計業務を専門とする建築士事務所協会・建築士会等は、本来ならばそれぞれ建築士として、独立した技術を持つ職能であると思われ、そのような人々が集まって団体を組む事にどのような意味があるのだろうか?

上記のような問題を引き起こす可能性を指摘されているが、さらにどこの業界でも言われている事だが、団体としての数を活かし、政治家への票を取りまとめたり、献金する事によって、その見返りに団体への利益誘導を願うつまらない団体になっている恐れがある。

建築士等の建築家及び構造技術者は、その言動及び業務内容をもって、社会からの評価を受けることが本来のあるべき姿であり、自分達の利益になる事を団体として求める事自体が、本当に必要なのだろうか?

それよりも建築士個々のスキルアップ等をして、最低レベルの建築基準法をクリアすることを日々の業務とするのではなく、いかに最低(ザル法)といわれる建築基準法に対し、それ以上の能力を身に付け、その技術を活かし社会に貢献する事のほうがより重要ではないだろうか?

それほど建築士と呼ばれる職能は社会的に認知されない低い地位にあるのであろうか?

21世紀となった現在、建築士と呼ばれる総数は40万人を超えていると思われる。

これからその数を満たすだけの仕事がなく、設計業界で生きていけない人たちが転職等をしているのに、その業界を目指そうとして毎年希望をもった数多くの学生が社会に出ている。

その人たちにも言いたい。

組織の中でしか出来ない事もあるだろうが、本来建築士と呼ばれる職能は、個人の努力によりその職能が尊敬される職種となったのである。

建築基準法が仕様設計から性能設計へ移行している現在、能力の向上に努力をしない20世紀型(研修会参加型{昼寝型})の建築士がまだまだ多数なのが現実である。

現在行なわれているCPD制度が建築士の能力アップに繋がるかは定かではないが、このような研修型制度を行なうより、もっと建築士の能力評価型の制度を導入した方が、良いと思われるのであるのだが・・・・。


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 ©Tahara Architect & Associates, 2003