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私の仲間である小林直人の語録より



スギの枝葉を挿木する、やがて根が出る、それを別の場所に床替えし根がしっかりした苗になってから、それを山に植林した。

林業であるからには、高く売れないと話にならんのは確かだが、生業こそが人格を創るとずっと昔から思いつづけているので、そこから外れたら自分が自分でなくなってしまう。

だから意地になってやるしかない。

町に住んでいる人々にとって便利な生活、そして大量消費と大量放棄、そのことによって「忘れられてしまった」中に、林業問題の全ての原因が潜んでいる。

そこにまた色んな政策が関わったり、業者が商売だけで絡んだりした結果、外材輸入が8割を占めてしまった。

自分たちの背後には、どんな山があるかなど関係無しに、何処の国の木だろうと安く沢山使えればそれでめでたしで、誰も何も文句なし。

これを絵で示せば、丸々と変に肥え太ったオタマジャクシで、腹の方は圧倒的多数の消費者(日本国としての扶養家族)が犇いており、我々生産者は尻尾のほんの一部に過ぎない。

この「おかしさ」は林業の立場だけでなく、日本全体のおかしさであって、人間、生業を営む空間は、結局は「腹」なんだろうなぁ。

山でたった独りで黙々と仕事をしていると、時々生命の不思議さにハッと打たれて畏敬の念に駆られることがある。

或いは、雑木林だと柿や栗が実を生らして人間や他の動物を喜ばせる、「ほんまに木というのは無限に色んな事をしよる」と驚いてしまう。

こういう木と一緒にいたら人間それだけで生きていけるんではないだろうか。

僕は作業中は何も考えないタイプで、考え事をするとしたら早朝4時に起きて、動き出すと頭も感覚も冴えて自分ながら頼もしいもんだ。

その代わり夜はグッタリボンヤリで目を瞑っていると山の情景の中に漂って、そのうちに眠りに落ちる・・・・・それがまた僕の幸せかもしれない。


→ともいきの杉と小林直人氏についてはともいきの杉HPをご覧下さい。


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