●自由が丘の歴史と誇り
自由が丘(元自由ヶ丘)は、戦後名づけられた駅名・町名でないことを、古い住民は誇りにしています。
いつ行っても切り花は豊富、かつ良品で新鮮なものばかり。
写真には写ってませんが、左側には他の花屋さんにはない素晴らしい蘭がたくさん置いてあります。
家内と中学が同級生で気風のいいご主人はあいにく不在、これまた明るい奥様・ご子息としばし談笑。しっかりした跡取りが出来てK家も安泰です。
緑が丘商店街で一番繁盛しているお店が「みどり花園」さんです。
鉢花も切り花も驚くほど新鮮です。
それというのも、花市場から上等の花を仕入れ、切り花は地下の冷温倉庫に保管しているからです。
因みに、近くに住んでる有名女優Mさん(下記)が、ご自分のワインをこの倉庫にワインセラー代わりにして保管してもらっています。

こちらと我が家は50年近いお付き合いをしています。
というのも、昨年秋亡くなった私の母親が華道・小原流教授だったので、このお店へ教材の花をお願いしていたからです。
葬儀の際は、供花をすべてお願いしましたが、葬儀社が驚くような素晴らしいお花を納めてくださり、さぞかし母親も喜んだことと思います。
また、枕花や月命日にお花を届けてくださり、母の墓の写真を事務所に置かれているなど、家族・親族以上に故人を偲んで下さっています。
緑が丘で一番繁盛してるお店・みどり花園
みどり花園
小さな店が100軒(推測)くらい営業してます。外見はずいぶん変わりましたが、内部はゴチャゴチャして昔のままです。
時計宝石店。広場の角地にあって、おそらく自由が丘で最も地価が高い場所です。
ケーキのモンブラン発祥の店だそうです。当時は、東郷青児のパステルカラーの美人画の包み紙が、ハイソのシンボルでした。(後述)
●店構えは変わったが昔の所で営業してました。
改築中の自由が丘駅。東急東横線と大井町線、が交差。
途中、有名女優Mさんの自宅前を通ります。姪の結婚式でお会いしましたが、この方が上のみどり花園さんにワインを預けてます。
緑ヶ丘駅から自由が丘まで、昔、小さなな川だった所が暗渠になって、その上に造られた遊歩道を歩きます。
自由が丘には「Thanks Nature Bus」という、乗車も降車もどこでも自由という無料循環バスが走っています。
環境に優しい飲食店や家庭から出た天ぷら油などを精製した燃料で走っています。
この赤い車は、それではないようです。
自由が丘駅正面口ロータリーに立つ女神像。この周辺が50年前と比べて一番変わっていません。周囲には昔からある銀行・本屋・店舗等が建ち並んでいます
目黒線、実家から5分で踏み切りを渡る。
東横線
大井町線
●現在の緑ヶ丘を含む自由が丘一帯は、もともと荏原郡衾(ふすま)村字谷畑といった。
●1927年、この地に自由ヶ丘学園が開校された。
●1928年、東京横浜電鉄九品仏駅が自由ヶ丘駅に改称された。
●1932年(昭和7年)、東京市域拡張時に目黒区が出来て、東京市目黒区自由ヶ丘となった。
●1965年、住居表示に係わる法令により自由が丘となり、翌年、駅名も自由が駅と改められた。
第二次世界大戦中、地名改正を勧告されたが、住民達は同意せず、「自由ヶ丘」の名を守った。

因みに、大井町線の大井町側の次の駅は、駅の近くの高台の名をとって「中丸山」駅となったが、1933年緑ヶ丘駅、1966年緑が丘駅に改称された。その後、町名にもなった緑が丘(緑ヶ丘)も全国の緑が丘の先駆けとなった,ようです。
実家は目黒区の南部、ちょうど盲腸のようにほんの少し突き出た部分、幅50mほどで、東西が大田区と世田谷区に挟まれた地域にあります。

70年ほど前、祖父母が移り住んだ頃は野ウサギが跳んでいたそうです。

写真は家のすぐ横を流れる呑川(のみがわ)。

小学生の頃まで、両岸は自然の土手、祖父母の敷地の竹やぶからそのまま川に入って遊べました。
川には、ウナギやエビガニも見られました。

今の呑川には、昔の面影が全くありません。
左が目黒区・右が大田区。
家から徒歩5分ほどで、大田区にある理工系国立大学の雄・東京工業大学のキャンパスに入れます。
今年は超暖冬の異常気象。2月3日、キャンパスの梅が満開でした。
東急・大井町線緑が丘駅まで徒歩6〜7分。昔は、ここで映画の撮影がよくされていました。近く改修の予定だそうでその前に撮影。
緑ヶ丘駅すぐ近くのちゃんこ料理の「芝松」。黒柳徹子さんはじめ芸能人も利用されています。
我家から徒歩で12,3分の隣町・「自由が丘」は、1961年、有閑マダムを描いた武田繁太郎のベストセラー「自由ヶ丘夫人」(後映画化)で全国的に知られるようになり、全国に「〜ヶ丘」の町名が出来る走りとなりました。
現在の自由ヶ丘は、駅近くの住宅街(世田谷区奥沢・目黒区緑ヶ丘を含む)を侵食して、ブランドの服飾・雑貨店や洒落たレストラン・パティスリー(ケーキ店)・カフェ等が軒を連ねる洗練された街並みが形成されています。

また雑誌などのアンケートでは、「住みたい街」として上位に名を連ねることが多く、最近はしばしば1位に選ばれており、隣の田園調布とともに城南地区を代表する住宅街でもあります。
 HP
自由が丘
●パティスリー
ケーキ屋さんと呼ぶのは気が引ける店が、自由が丘には沢山あります。
ケーキ屋と言えば、上記の「モンブラン」以外知らなかった私ですが、近くに住む家内の妹に教えてもらったお店が何軒かあり、それらを周ってみました。
東急目黒線大岡山駅から緑ヶ丘へ
かっての自由が丘夫人ご愛用のお店で日本型モンブランケーキ発祥の地。
常時100種類以上のケーキが並び、奥には巨大な東郷青児(二科展主催)の絵が掛けられ、100の椅子席を持つ喫茶室があります。
昔は東郷青児の包み紙がステータスシンボルでしたが、今は使われてないのでしょうか。
昭和8年創業、自由が丘の顔とも言うべき老舗ケーキ屋。自由が丘駅から一誠堂の手前・右手の道を徒歩1分。
モンブラン (MontーBlanc)
モンサンクレール (Mont St Clair)
洒落た建物が並んでる一角。何のお店か確認しませんでしたが、ここも住宅区域だったと思います。
自由が丘がベニスになっていました。良く見ると右側はゴンドラのように思えます。
位置関係からすると、ここらはたしか閑静な住宅地だったとように思えますが、昔を知る者にとっては、なんだか成金趣味でいい気持ちがしません。
●昔の面影が全くない場所もたくさんありました。
たいしたことないマンションの前の駐車場ですが、車はベンツ・BMW・ジャガーだけでした。
因みに自由が丘は駐車場が少なく、あっても満車がほとんどです。電車で出かけましょう。
これはウソです。
でも、町を走る車、住宅街に駐車している車は、ほとんど外車と言いたいくらい多いのです。

これは自由が丘だけでなく、私がアッシー役として出かける碑文谷(ひもんやー歴史ある町名)のダイエーでも、二子玉川(通称ニコタマ)の高島屋でも同じ状態です。
前者は2台に1台、後者は3台に2台がベンツ・BMW・アウディ・ボルボ・ジャガーと思える位です。
たまに小さい車があるとホッとしますが、良く見ると、フォルクスワーゲンだったりルノー・プジョー・シトロエン・フィアット・アルファロメオだったりします。
ここでは、シーマやクラウンが野暮の極みに見えてしまいます。
たまに我が愛車・オデッセイを見かけると、感激して泣きたくなります。
(ちと大袈裟)
それに、軽自動車が少ないのに驚かされます。
これらの理由は、東京はお金持ち、見栄っ張り、敷地が少ないので複数台もてないので1点豪華主義、国際化されている、などが考えられます。
いずれにしても、東京に帰ると外車が多いこと、それに外人が多いことに驚かされます。
●自由が丘に住む人は外車に乗らなければなりません。
フランスで修行した金子美明さんのお店。パリの日常が味わえる店だそうです。自由が丘の西側、大井町線踏み切り横にあります。義妹と一緒にケーキを買うために入ったとき、喫茶席の客は全員女性でした。
パリセヴェイユ
ダロワイヨ (DALLOYAU)
HP
フランス本店と同じレシピで作られるケーキ。日本のスーパーパティシェの多くが本店で修行しているようです。
右下は私が好きな「オペラ」。
濃厚なチョコレートケーキなので、これで6人分になります。
フランスのケーキ・チョコレートなどの老舗。都内に6店舗、銀座・日本橋三越・自由が丘(駅前・女神像広場前)などにあります。
遊歩道の中央にかなり長く設けられた喫煙コーナー
自由が丘は禁煙地区です。

禁煙マップをどこかで見かけましたが、かなり広範囲です。
罰金があるのか定かではありませんが(この場合は法律の裏付けが必要)、ユニフォームを着用した監視員が巡回しています。
喫煙場所が4ヶ所か5ヶ所ありますが、一番ゆったりと吸えるのは大井町線の南側に設けられた場所で、ベンチも置かれてます。

駅前は、三菱東京UFJの前に灰皿が置いてありますが、立ったままの喫煙です。
●自由が丘は禁煙の町です。
東横線のガード下から先の東側の密集した飲食店街の雰囲気は、昔のままで,した。
ロータリーは、よく見れば建物が変わってますが、凹凸のある店舗・ビルと女神像は昔と同じです。
熊野神社。自由が丘で唯一昔のままの場所です。ただ、遊具だけは変わっていましたが。
●雰囲気が昔と同じ場所・地区もありました。
魚菜学園
当時、ローターリーの一角にある「亀屋万年堂」のオーナの息子・H君が小学校で同級でした。
彼のお姉さんが巨人軍のK選手と結婚。
その縁でしょう、王選手(当時)が、ここのお店の商品を「ナボナはお菓子のホームラン王です」とテレビで宣伝(関東ローカル)してました。


「魚菜学園」はテレビでも有名だった田村魚菜先生の経営する料理学校でした。
ネクタイは、いつも旬の食材の柄でした。だから先生のネクタイを見れば、旬のものが分かったのです。
家内も短期間、ここに通っていました。
亀屋万年堂
自由が丘駅から徒歩10分くらい、バス通りを北上、目黒通りにぶつかる手前、左手ににあります。(渋滞で、自動車が主役の写真)
スーパー・パテイシェの辻口博啓さんが経営しているお店です。
この方はフランスで修行し、5度の世界大会に出場し、優勝も経験しています。
日本で最も有名なパテイシェの1人のようです。

毎日170種類に及ぶお菓子つくりの傍ら、コンセプトの異なる7ブランドを次々と展開しています。
各店舗の製造・運営の傍ら、各企業とのコラボレーションやプロデュース、講演やテレビ出演、著書出版など幅広く活躍中です。

姪の結婚式にも参加し、ウエディングケーキとデザートを提供してくださいました。

とにかくいつ行っても混んでいて、その人気度が窺い知れます。
HP
上記モンサンクレールのオーナー・辻口さんが経営しているロールケーキ専門のお店です。
自由が丘駅から徒歩6〜7分の距離にあり、三角屋根の小さな建物です。
営業開始時間には、いつも行列が出来ています。

種類はいちご、木の実とハチミツ、紅茶とリンゴル、かぼちゃ、洋ナシなど数多く目移りがします。
創作意欲が高い辻口さんは、次から次と新製品を作っていて、たびたび足を運んでも新しいロールケーキを買うことが出来ます。

私も話の種に一度買いました。
たしかに美味しかったですが、値段も結構でした。

スイーツフォレスト (Sweets Forests)
HP
大井町線の南側、緑が丘駅よりに出来た「スーパー・パティシェが贈る夢のスイーツテーマパーク」・・・ホームページの謳い文句です。

モダンな建物は外付けエレベーターや階段状の滝があって豪華です。

常時5店舗が入居していて、ケーキ・タルト・チョコレート・スフレ・アジアンスイーツ・アイスクリーム等が楽しめます。

また、3つのステージがあり、期間限定でいろいろな店が出たりするようです。

カフェ
日本中、スターバックスやドトールばかり増え、従来型の喫茶店が消えつつあります。

自由ヶ丘も馴染みの喫茶店が1つ、また1つと廃業していますが、幸いまだ落ち着いてコーヒーが飲めるところが何店か残っているのが有り難いです。
よく利用するカフェ・モーツアルト
オープンテラスでもコーヒーを飲める。
HP
自由が丘ロール屋
特に変化が激しい大井町線側の通り。

昔は小さな川が流れ、小さな家や一杯飲み屋などが少し、といったうら寂しい区域でした。

今は区画整理がされ、川は暗渠となって、マリークレール通りといった洒落た名前のショッピングゾーンに変化しています。
●ファッショナブルなブティック・雑貨品店が多くのマダムや若い女性を惹き付けます。
この方面は全く疎いので、目に付いたお店の写真を貼りつけるに留めます。
自由が丘で一番入りにくい店
ショッピングゾーン・グルメの「自由ヶ丘」という場合、自由ヶ丘・奥沢に広がる商業地域をさします。
しかし、近年ますます、まるでアメーバーの如く増殖していて、奥沢をさらに侵食し、これからは緑が丘まで伸びていくと思われます。

文字通りのウインドーショッピングだけで半日、店を覗いたり、買い物・喫茶・食事をするとなると、3日間は必要と思います。

掲載した写真は、見栄えのする店の紹介が大部分ですが、昔からの個人経営の店や飲食店も頑張っていて、活気ある自由ヶ丘の街を作り上げています。
たしか、ここで長女の通勤用バッグを買いました。
自由ヶ丘の散策を終えて、家内の実家方面から帰途につきました。
卒業した緑が丘小学校。昔の面影は皆無です。校歌にある紅梅が色濃く咲いていました。
石坂洋次郎の「陽のあたる坂道」(後に映画化、主演は石原裕次郎)の舞台である緑が丘の高台。因みに私の実家は見下ろされる方にあります。
中学時代の友人・M君の林の中の広大な敷地は、分割されて瀟洒な家が建ち並んでいます。
家内の実家に、日中預かってもらっている愛犬・アルを引き取って、もともと呑川だった暗渠の上に設けられた遊歩道を歩きます。両側は東京工業大学のキャンパスです。
呑川を跨ぐ境橋(目黒区と大田区の境)。
戦後、私の小学校入学にあわせて、疎開先の栃木から戻ってきたとき、家財道具を満載したトラックが橋を渡りました。
ところが重みで橋が崩落(同乗していた父と弟が軽症)、私の目の前で、トラックが川に落ちました。

これで緑が丘・自由ヶ丘の散策はお仕舞い、育った町を再発見した2日間でした。
2007.2.7作成
目黒区緑が丘・自由ヶ丘
我が町散策
それでは散歩に出かけましょう。
ここ4,5年、両親の介護・看護で、東京の実家で過ごす時間が増えました。でも、この期間は、家を空けられるのは2時間程度。
従って都内観光など望むべくもなく、近所を散策するのが限度です。
そんな折に撮影した写真を貼って、ローカルなお話ですが、我が町をご紹介します。
とは言っても、住所の緑ヶ丘にはこれといったスポットはないので、自由が丘の紹介が中心になります。
住みたい町No1
モンブラン
一誠堂
自由が丘デパート
HP