大塔村は人口が700名弱、野迫川村と並んで奈良県で最も人口が少ない過疎の村だ。
大塔村の地形は、国道168号線、新天辻トンネルを基点に、二本の足を大きく広げた形で、西で野迫川村、東で天川村、南で十津川村に接している。
この村の名を知ったとき、反射的に若い時代に読んだ吉川栄治の「私本太平記」に登場する大塔宮護良親王をはじめ、後醍醐天皇、楠木正成、足利尊氏等、建武中興に絡む英傑の名前を思い起こした。
後に村名がやはり親王に由来することを確認して、歴史の舞台の地に足を踏み入れたことを喜んだ。
廃業の温泉です。
天辻大師温泉 (奈良県)
大阪府枚方市から日本有数の秘境・十津川村を通過し、和歌山県新宮市に至る国道168号線は、深い谷の山腹を切り開いて建設された全長195km、かっては酷道と言われる難路だった。現在は1.5車線(両側合算)部分が少なくなり、いくつものトンネルも年月をかけて通じ、快適とは言えないが、中級運転者以上なら冷や汗をかいて運転する部分はほとんど無くなった。
それでもこの道路は、山岳部分の100kmの間、途中で盆地はもとより、猫の額ほどの平地も走らないので、初級運転者は避けたほうがよい道だろう。
本州の山岳・山間道路を数多く走ったが、これほど長距離、息を抜く暇が無い国道は、ここと東側を走る国道169号線しか知らない。

某日、この国道168号線を進み、超過疎の村・大塔村に入って新天辻トンネルを南に抜けたとたん、右手に手入れされていない古びた陰鬱な建物が目に飛び込んできた。
この日は、そのまま通り過ぎたが、それからしばらくして、奈良新聞社発行の「新大和の温泉」を購入したところ、どの温泉ガイドブックにも掲載されていない「天辻大師温泉」という名が目に飛び込んできた。
所在地を見ると、まさにあの建物が天辻大師温泉だった。以来、この前を通るたびに、車を泊めて入浴が可能か確認しようと思ったが、廃家と思われるような不気味な雰囲気に躊躇してそれを実行しなかった。


その後、インターネットで検索したり、温泉サイトの仲間に照会して、どうやらもう営業していないことは推測できた。
先日、奈良在住の「なんにもせんむ」さんが、「営業していない」との明確な連絡とここの写真をメールで送ってくださった。
私にとって幻の温泉となったが、こんな温泉があった、という記録を、頂いた写真をもとに留めおきたくてこの記事のアップとなった。
奈良県在住「なんにもせんむ」さんのご厚意で、廃業した天辻大師温泉の写真を頂きました。そこで、ここの温泉の記録を留めるため、本文を作成いたしました。
国道168号線沿いの気になる温泉
歴史の村・大塔村(おおとうむら)
大塔宮護良親王(おおとうのみや・もりながしんのう

後醍醐天皇の第一皇子(第三皇子の説有り)。
19歳で天台座主。
1331年、元弘の変が起きると、僧兵を率いて挙兵するが失敗。
楠木正成の赤坂城に逃れたが落城、逃れて吉野に潜伏した.。
その後、伊勢・熊野を含む周辺の反幕府勢力の武士に令旨をし、苦難の上、鎌倉幕府を倒すことに大きな貢献をした。

父・後醍醐天皇による新政後、征夷大将軍、兵部卿に就いたが、北朝の足利尊氏と対立をし、配下の結城親光に捕らえられ、東光寺に幽閉された後、殺害された。
天誅組

文久3年(1863)8月13日、尊王攘夷の断行を神武山陵に祈願するための大和行幸が朝議で決まった。この機をうかがっていた倒幕急進派の中山忠光、吉村寅太郎らが翌14日京都を発ち、千早峠を越えて当時幕府の直轄地であった五條に入った。
8月17日、天誅組志士30人は一斉に挙兵し、五條代官所を襲い代官鈴木源内を殺害、倒幕の旗を揚げた。ところが翌18日、朝議は一変して攘夷派が敗れ、大和行幸は中止。ここで天誅組の義挙はその大義名分を失ってしまった。その後、天誅組は十津川郷士960人の来援を得て、高取城に侵攻したが撃退され、
大塔村天辻に本陣を置き吉野各地で転戦するも、9月24日、東吉野村鷲家口に於いて絶望的な斬り込みを敢行して終焉を迎えた。
2004年8月、国道168号線の大塔村内で大規模な土砂崩れが発生し、復旧に数年を要するものとみられている。
国道168号線は急峻な谷間を縫って走る。
国道168号線沿い最大の名所、谷瀬(たにぜ)の吊橋(鉄線橋としては日本一)
「なんにもせんむ」さんから頂いた崩落写真
天辻大師温泉・松寿荘
行ってきたみたいな記事を書くわけにはいかないので、奈良新聞社発行「新大和の温泉」から抜粋する。

新天辻トンネルを南に抜けて最初の家屋がこの天辻大師温泉の建物である。
隣接して天辻はだか大師を祀る建物・拝殿があり、かって夢枕に大師のお告げがあって、掘ってみたら温泉が湧いたとかで、昭和59年(1984年)、温泉としてオープンしている。
本館から坂本地区への下り道の途中に、吉野奥山を眺められる別館があり、展望風呂からは大峯山を望み雄大な自然を楽しむことが出来る。
●2005年1月17日、「なんにもせんむ」さんから掲示板への書き込みとメールでここの写真を送付頂いた。
(掲示板記載)
掲示板で「天辻大師温泉は営業?」」について拝見しました。
今は既に本館、別館とも営業していません。
本館は、宗教施設らしきものと喫茶喫茶店がありましたが、昔の入り口は塀で囲われて駐車場に宗教上関係の車両が見えるだけです。
別館は宿泊施設でしたが、ロープが張られ営業はしていません。十津川村方面へ行く際に撮影した写真を送りします。

(メール記載)

掲示板でご報告した「天辻大師温泉」の写真です。
時期は定かではありませんが、本館・別館とも大分昔に入湯したことがあります。
別館の浴槽からの眺めは、真下にダム湖と木造3F建ての昭和館が見えて絶景でした。
昭和館あたりからみると、山の頂上付近の宿泊施設が見えます。