須賀谷温泉 (滋賀県)

所在地 :長浜市須賀谷町 (旧)東浅井郡浅井町
温泉名 : 須賀谷温泉
施設名 : 須賀谷温泉 (入浴日 2003・11・4)
住 所 滋賀県長浜市須賀谷町36番地
(旧)滋賀県東浅井郡浅井町須賀谷36
電 話 0749−74−2235
交通機関 北陸自動車道長浜ICから県道37号線・国道365号線で約10km
JR北陸線河毛駅からタクシー約10分(宿泊の場合送迎有り)
施 設(日帰り) ロビー、食事処、喫茶、駐車場(約30台)
宿泊 和室31室。(収容人数は150名) 10,000円〜
泉 質 炭酸鉄泉 (源泉は無色透明、空気で酸化されて赤茶色になる)
適応症 不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照)
入浴時間 9〜21時
定休日 無休
入浴料金 大人1,000円 
入浴施設 内湯男女各1、露天風呂男女各1  
浴室備品 シャンプー、ボデイソープ、ドライヤー
観光スポット ・渡岸寺(高月町)の十一面観音像(国宝)
孤蓬庵・・・枯山水、池泉回遊式庭園、小室城主で、日本三大茶人として名高い小堀遠州(1579〜1647)の菩提を弔う寺として1653年に建立。
長浜、彦根城、伊吹山
お土産・食事 土産・食事は当施設で可。また長浜に行けばバラエティに富んだ土産・食事が可能。
近くの温泉 長浜太閤温泉、尾上温泉、笹々谷温泉
長浜市HP
須賀谷温泉HP
http://www.city.nagahama.shiga.jp/
http://www.sugatani.co.jp/
雑記帳 小学校高学年から中学時代、講談社の講談本を読み漁った私にとって、織田信長・徳川家康(3万4千人)VS浅井長政・朝倉義景(1万8千人)の姉川の合戦は、信長配下の木之下藤吉郎(豊臣秀吉)も参戦しており、三英雄が揃った血湧き肉踊る大合戦であった。
また、この合戦後、戦国時代最大の悲劇の女性となったお市の方に哀れ
を覚えた。織田信長の妹(他の説もあり)であるお市の方は、信長の意により近江小谷城主・浅井長政に嫁ぎ、長政との間に一男三女をもうけた。しかし夫・長政と兄・信長との対立が激化し、天正元年、織田軍に攻められた長政は小谷城で自害、お市は娘たちとともに信長のもとに送り返された。その後、本能寺の変で信長が没した後、柴田勝家に再嫁、しかし半年後、羽柴(豊臣)秀吉に越前北ノ庄城を攻められたとき、娘たちを逃した後、夫とともに自害した。(このときの戦地、同じ湖北の賊ケ岳で活躍した秀吉旗下の加藤清正、福島正則、片桐且元他の七本槍にも心を躍らせた。)長女・茶々は秀吉の側室淀君、次女・於初は京極高次の正室、三女・於江(おごう)は徳川秀忠の正室となった。後、淀君は大阪城落城とともに命を絶っている。
50年後、須賀谷温泉の帰路、この一大戦国ドラマの縁の地、姉川の辺に立ったとき、歴史と時の流れに深い感慨を覚えた。
(旧)浅井町(あざいまち)は、奥琵琶湖東岸の観光地長浜から約10kmの所にあり、草野川の扇状地と伊吹山地に続く山地により構成されている。滋賀県北部は「気流の三叉路」になっていて北陸型、瀬戸内型、東海型の気候区が重なり合い、浅井町は北陸型でいわゆる裏日本型の気候地域である。
温泉名となっている須賀谷は、小谷城の南麓にある。
この城は、浅井町の名前の由来となる戦国時代の武将「浅井長政」や「お市の方」の居城であったが、西暦1573年8月、織田信長の総攻撃にあい落城し、現在はその跡を残すのみとなっている。 歴史上有名な姉川の合戦の古戦場は、この町内にある。(雑記帳参照)
尚、須賀谷は「賊ケ岳七本槍」の一人、片桐且元の出生地でもある。

姉川の合戦の記念碑横には、そのときの陣形が表示されている。
滋賀県には温泉が少ない。最も大きい雄琴温泉は、残念ながら「風俗温泉地」のイメージが浸透してしまった。しかも資料で見る限り、立ち寄り湯の旅館は皆無である。湯量が少ないためだろうか。
須賀谷温泉は、小谷城の南側真下、上述の通り戦国時代に縁の深い地にある。車で15分の長浜観光や西国観音巡礼30番札所・宝厳寺参詣後に立ち寄るに絶好な場所にある。
この温泉には派手さはないが、温泉好きな人にはよく知られた温泉であり、平日にもかかわらず、中年女性の団体や若い女性グループが前後してやって来た.。
晩秋にもかかわらず汗ばむような平日、温泉仲間のAR・AK・SUさんと初めて滋賀県の温泉にやって来た。
県道から少し奥まった開けた場所、手前の広い駐車場の向かい側のやや古ぼけた建物の壁に「秘湯・須賀谷温泉」の看板がかけてあった。場所的に秘湯とは言いがたいが、たしかにその雰囲気はある。雑然としたロビー(雰囲気があっていい)で1,000円を支払うと、浴衣・湯上りタオル・ハンドタオルが手渡される。浴衣は内湯から少し離れた露天風呂に行くときに使う。中型の石造りの内湯には、珍しい炭酸鉄泉、湧き出たときは透明だが、時間の経過とともに茶褐色に変化しするいかにも効能がありそうなぬるめの湯が満たされていた。「温泉に入っている」という実感が湧く湯だ。彦根から来たという老人とともにしばしの温泉談、それから小型の露天風呂に移動した。
炭酸鉄泉の茶褐色の湯、湧出直後は透明だ。
温泉仲間の三氏
露天風呂のAKさん
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長 浜
豊臣秀吉が初めて自分の城を持った地が長浜。
北国街道の一角、昔から長浜の中心地だった札の辻に誕生した「黒壁スクエア」は、町全体が黒漆喰、洋館風土蔵造りの本館に合うモダンな建物で統一されている。ガラス館、ガラス工房・美術館、レストラン、和風喫茶などが立ち並び、見る、買う、食べるの三拍子が楽しめる。
町興しの成功例として、全国の町村からの見学が相次いだ。
「毛利志満」(近江八幡にもあり)で牛生姜焼きの昼食を取った。
一部

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