宝山寺 正面参道
+朝日地蔵
「宝山寺 正面参道」この甘美なる言葉の響きに魅せられて、
どれだけたったのでしょうか。

そして、はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館」ではなっくって、
「宝山寺 正面参道」に。

「宝山寺 正面参道」とは、
宝山寺信仰への主古参道は、正面、
辻子越え、荒池道八丁門峠越えの三参道である。

正面参道は、奈良・郡山を起点として、砂茶屋・富雄を経て、
椚峠(奈良市と生駒市の境界)から宝山寺に至る道である。
「宝山寺への道 古道に残る信仰の文字 今井正弘著」 より

まさしく「庄兵ヱ道」のお父さんと言うべき道なんですね。
大正三年に大軌電車(近鉄の前身)が開通して、
生駒駅から大正五年に新参道が完成し、
大正七年には日本最初のケーブル線が開通すれば、
瞬く間に忘れ去れていった道、それが正面参道。

これでみなさんは何故にわたしが、
「宝山寺 正面参道」に魅せられたのか、
クッキリ、ハッキリと理解されたかと思います。
東菜畑地蔵堂

本日のスタートは椚峠の西の、東菜畑地蔵堂です。
(東生駒駅から1q余りです)
船形地蔵 紀年なし
むかしのみなさんもここで地蔵さんに拝んで、
いざ宝山寺へと旅立たれたことでしょう。

歩けばスグにこの旧道のクネクネ道が、
あなたを江戸時代へとお運びするでしょう。

あれ、まあと右手に大規模な住宅地開発工事が目に入りますが、
とうとう緑に人間の手が入ってしまいましたか。
前々から、よくもまあ、こんな所で緑が青々と残ってるなと見てましたが。
おじいちゃんおばあちゃんが亡くなって、
若夫婦がついに土地を手放してしまったと、
そんなストーリーが頭に点滅しましたが、
みなさんはどう思われますでしょうか。
西ノ地蔵堂

しばしの旧道歩きも168号線(清滝街道)と出合って終わりを告げます。
この辻のスグ北に、菜畑身替地蔵 紀年なし
室町から江戸期の頃でしょうか。

河内の枚方から磐船、南田原、そしてココ菜畑に、
南下して龍田へと。
今歩いた道を東へ行けば、富雄、砂屋、
その先には郡山、奈良へと。

この西ノ地蔵堂前に大正十年の道標が、
もちろん辻からの引っ越しだそうです。
水越峠

この辻に別れを告げ近鉄生駒線を横切って、
いよいよ山岳地帯にアタックです。

しかし、みなさん御安心あれ、
今は昔、今は今、
訳の分からない言葉を並べ立てていますが。
早い話がここから宝山寺まで、
すっかり、ほとんど住宅地なんですね、ハイ。

「宝山寺への道 古道に残る信仰の文字」に
昭和三十八年五月七日水越峠附近よりの写真があるんですが、
畑をモーモーさんとおじちゃんが、
畦道をのんびりと登ってます。
東京オリンピック前の年ですね、
みなさん!生まれてました?
私は威風堂々の小学生でしたが?

水越峠には、生駒市では最古の在銘の道標だった
享保九年(1724)があったそうですが、
失われたそうです。

まったく残念無念珍念でございます。
世界のみなさんの世界文化遺産が消えたわけです。
別れてから気づく大切な人、
涙を流しても二度とは戻ってはまいりません。
さあ、いつまでも涙の世界に浸っているわけにはまいりません。
未来に向かって歩こうではありませんか。
しばしの「冬のソナタ」タイムも終わって、
いよいよ登りです。

敷石道の由来

新たなるスタート地点には、
説明看板「敷石道の由来」と
おニューな道標「奈良宝山寺旧参道」が。

左手のガードレール横には灯籠(明治三十五年五月)
元々この灯籠は、このスグ下の水越峠にあった
山口氏経営の茶屋(休場・やすんば)にあったそうです。
いやいや、みなさんもイメージが湧きましたでしょうか。
休場で用意万端、
宝山寺へと最後の頑張りでございますと。

女人堂跡

右手にリッチな住宅地を見ながら登ればスグに、
一丁の道標が。
こうして三丁、
四丁と標高にして百メートル程登ってまいりますと、
生駒駅に続く自動車道路に出て、
スグに灯籠(明治十三年)と女人堂跡。

女人堂はもと参詣者の茶屋(休場・やすんば)
として設けられたらしいが、
いつ頃からなのかは定かでない。

江戸末期になって、
女人の参詣者や修行者が増えたが、
寺内では女人の宿泊が禁じられていたので、
女人堂を女性の宿泊所(参龍所)として使用したのであろう。
以来、大正初めまで大繁盛したという。
「宝山寺への道 古道に残る信仰の文字」から

宝山寺

やがて六丁が、
急な坂を頑張って上がれば、
大正五年に完成した新参道と合流です。

こうして宝山寺はもう目の前。
本日の石仏の辻は、まだまだ続きます、
お楽しみはこれからだぁ〜

スタートからここまで、
ゆっくり見物しながら歩いても一時間半ぐらいでしょうか。
大規模な住宅地開発工事
旧道のクネクネ道
大正十年の道標
山岳地帯にアタック
ほとんど住宅地
説明看板「敷石道の由来」とおニューな道標
四丁
三丁
女人堂跡
東生駒方面 茶色いのが住宅地開発工事中
荒池道(八丁門峠)越え参道

ここから後半です、みなさん準備よろしいでしょうか。
宝山寺でしばしの休息をとり、
ココまで来たのなら朝日地蔵を目指さにゃあと、
みなさんもそうですよね。

今度は荒池道(八丁門峠)越え参道に入ってまいります。
今風で申しますと「山麓公園コースB」と言うわけです、
ハイキング道には最適な。

そしてズズイと進めば「生駒山麓公園・ふれあいセンター」
残念ながら温泉ではありませんが、
お風呂があるんです。
そして食堂も、プールまでもが。

けど、けどですね、
本日は朝日地蔵への旅でございますから、
禁欲の旅、修行の道です。

朝日地蔵

宝山寺を出て生駒山麓公園までの道案内を見つつ、
およそ十五分ばかし歩くと。
左手に朝日地蔵へと上がっていく道がさり気なくあります。
しかしながら道案内なんぞ皆無、
この道自体は荒池道(八丁門峠)越え参道の近道(バイパス?)になってます。
最上部にて全く分かり難い辻がありますが、
よく見て赤テープを探してください!

ココをさらに上がると朝日地蔵へと。
帰り道だと自然に出るんですが、
ホントに山道はファンタスティックですね、
くれぐれも迷わないように。

朝日地蔵の手前に道標だと思うんですが、
ぽつーんと寂しく佇んでいました。
痛みがとても激しく、「道」だけが読みとれますから、
宝山寺道なんでしょうか?

ようやく朝日地蔵に到着です。
彫りの深い舟形地蔵さんが私は好きなんですけど、
残念ながら紀年は無しです。

スグ下には宝山寺への自動車道路が走ってますから、
怪しげな山道初心者は上からの、
アタックをお奨めいたします。

何を隠そうこの私も、最初は上からの御訪問だったんです。
詳しくは「007 今も生駒山中に眠る 北嶺の三地蔵 」を御覧下さい。
朝日地蔵からさらに道を登れば、
水の神 中倉さんへと、生駒川源流の地。
この先スグ先にさり気なく
さり気なく
沢下りモドキ道

こうして荒池道(八丁門峠)越え参道に戻って、
今日の私はお帰りです。

暑いのなんのってもう、
七月初めというのに真夏の太陽がジリジリと、
私焼けてます。そんな感じでしょうか。

そんなわけで帰り道は、
とっても涼しげな沢下りモドキ道です。

三方向道標のある所まで戻ったら。
一番左手の道をドンドン下ると、
民家がこの横をドンドン下りましょう。

あまりこの道は知られてないのか、
通る人も少ないようですが、
生駒駅に行くにはけっこう近道になります。

途中にはスリリングな下り所もあって、
いい感じなんです。

なお、この辺いろんな道があって面白そうです。
変な道を歩こう会の皆々様にはお勧めです。
なにしろ生駒駅からスグソコで
楽しめる山道気分ですから。

枯木薬師坐像

山道から出た所は北新町、
この道を少し下れば右手に元信寺さん、
奥に枯木薬師坐像 紀年なし
静かにみなさんをお出迎えです。
このまま下れば、そのまま生駒駅にと。
三方向道標のある所
沢下りモドキ道
枯木薬師坐像
歩いてみませんか

みなさんも歩いてみませんか、宝山寺への道。石仏の辻では、
002 魔境の生駒山系 「峰の薬師跡十三仏」を見た!
003 魔境の生駒山系に「庄兵ヱ道」を見た!
007 今も生駒山中に眠る 北嶺の三地蔵
022 続 魔境の生駒山系に「庄兵ヱ道」を見た!
などなどで御紹介してます。

参考文献
宝山寺への道 古道に残る信仰の文字 今井正弘著
生駒市石造文化財 生駒谷 昭和52年
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東菜畑地蔵堂
朝日地蔵