本堂
腰折れ地蔵
鎌倉後期の層塔二基が両脇
本堂下に
柳茶屋墓地
南椿尾の磨崖仏018 紅葉中の米谷町に「米谷庵山の双仏石」を見た!を御覧下さい
正暦寺

こうして正暦寺へとたどり着いたのでありますが、
残念ながら紅葉は終わりを告げている最中でしたが、
それはそれ人影も少なく、
聞こえるのは
散る散る赤や黄の葉の音だけです、たぶん。
こんなムードだと、
やっぱり恋する中高年の
逢い引きの場にもってこいですね。
文部省推薦間違いなしです、ハイ。

宝篋印塔

本堂下に、
たくさんの石造物が綺麗に並べられています。
上段にひときわ大きな宝篋印塔 鎌倉時代
大和郡山市額田部寺町 
額安寺の文応元年(1260)
とよく似た造りになっているそうです。

ここ上段にも大小四基の
宝篋印塔が並んでいますが、
みなデザインがちがうんですね、渋いですね。
その他に、笠が無くなった笠塔婆が二基、
ひとつに大永六年(1526)
四面上部に阿弥陀・十一面観音・薬師・地蔵が彫ってあります。
大変見にくいのですが、
首をひん曲げて是非御覧下さい。

鎌倉後期の層塔二基が両脇に。
本堂の中に三尊石仏 室町前期
勢至の替わりに地蔵が配置してあります。
などなど、まだまだ、
一杯石造物がみなさんをお待ちしております。


浄土院

本日は天理駅からスタートです。
上街道を歩いて北上へと。

このくねくね道がたまらなくいいんですねと思ってると、
あっという間に浄土院に到着です。
十三仏 天文八年(1539)シンプル イズ ベストな
十三仏さんですね。
地蔵石仏 大永五年(1525)豪快な厚肉彫りの矢田型です。
一石五輪塔 天文三年(1534)

花園寺

また道を歩けば、スグに花園寺が、
入り口左手にデパートのショールームの如く、
ズラリと並んだ石造物の数々、
六字名号板碑 永正元年(1504)
下部分が残念ながらありません。
六地蔵板碑 天正九年(1540)とても流線型なる板碑です、
本願成慶逆修三十三年の刻銘が。
阿弥陀石仏 永禄九年(1566)美しいお姿が眩しいですね。
六地蔵石仏 江戸初期 どう見ても、
上から、二、二、三の七地蔵に見えるんですが?
右手には、阿弥陀石仏 天文十二年(1543)
半分だけ阿弥陀さんですね。

他にもたくさんの石造物がお待ちかねです、
ごゆるり御拝見あれ。
和爾町のお堂の中に

櫟本町から上街道に別れを告げて、
目指すは弘仁寺です。
国道169号を渡って進路北東へ、
和爾町のお堂の中に、
丸彫りの地蔵 小柄な阿弥陀 箱型地蔵
味のある石仏さんたちが、お見逃し無く。

弘仁寺

しかし誰も歩いていません、
紅葉からは少し外れてしまいましたしね、
まあ、それはそれで、
あ、あ、あ、晩秋というムードですね。

弘仁寺には不動石仏が、
真っ暗な窟内におられます。
目を暗闇に慣らさないと、まったく見えません!
室町後期の作風とか。
すいません慣らしてもほとんど見えませんでした、
ごめんなさい。

晩秋の陽を浴びて

弘仁寺から降りてくると、
目にも鮮やかな渋柿が、
ぶらぶらと、つやつやと、
きらきらと、晩秋の陽を浴びて、
葉っぱはもう全て散ってました。

上街道「馬出」の町並み

また上街道に戻れば、天理市の説明版が、
「馬出」の町並み 上街道と高瀬街道の辻で
古くから市場が開かれたそうです。

ここを東へと歩けば、
私の大好きな七回り峠のある福住なんですね、
高瀬街道は桃の尾滝、大国見山からの帰り道に一部歩きました。

上街道

西名阪の下を通って櫟本町と入ってまいりました。
ほんと上街道いいですね、
古い町並みがしっとりと佇んでおります。

みなさんは上街道を歩きましたか?
私はまだほんのちょっぴり、虫食い状態にしか歩いてませんが、
いつの日にかは奈良から桜井までと考えてます。

山辺の道はよく歩いているんですが、
なかなか上街道をフルに歩く機会がありませんでしたが、
伊勢参りの人や、初瀬詣での人が歩いたこの道を、いつかはと。
柳茶屋墓地

高樋町へと歩けば、柳茶屋墓地に。
入り口のお堂の中に丸彫り地蔵石仏 江戸時代初期
右手は垂らして与願印
和爾町も丸彫りでしたが、
見にくいのが残念です。

墓地内に阿弥陀石仏 享禄二年(1529)
地蔵石仏 弘治三年(1557)
他にも多数の石仏さん達が静かに佇んでおられます、
話しかけてやってくださいまし。

元祖丸彫り地蔵さん

ここからは菩提山川を右手に見て正暦寺へと、
まま長い道程ですが、のんびり参りましょう。

やがて 018 紅葉中の米谷町に「米谷庵山の双仏石」を見た!
で紹介した、北椿尾町出垣内 地蔵石仏
この辺りの元祖丸彫り地蔵さんと言うとこでしょうか。
何度見てもええでなもですね。
南大門跡

そして、ようやく着いた南大門跡に、
正暦寺の仁王像の如く堂々そびえ立つ二つの地蔵。

左手は享禄四年(1531)
右手は室町末期頃とか。

なんか、泣き笑い地蔵とか書いてありますが、
見なかったことにしてくださいね、みなさん。

左の無縁仏の中央の宝篋印塔は、文亀二年(1502)
まるで菩提山の六本木ヒルズタワーと言うとこでしょうか。
全高138センチでございます。

本堂前

そして、石段を上がり本堂前にて
晩秋の佇まいを満喫いたしましょう。
皆々様が、たぶん、あくまでもたぶんですが。
日本に生まれて良かったと思うでしょう。
日本の秋、石仏の秋ですね。

腰折れ地蔵

みなさん、どうでしょうかすっかり正暦寺の秋を満喫されたでしょうか。
帰り道は山道を西へと円照寺と参ります。
やや登りがありますが、後はなだらかな下り道が続きます。

やがて左手に民家が見えると、
草むらの中に、
腰折れ地蔵 応永十二年(1405)
お顔が消えかかっていますので、
さっそく失礼ながらお地蔵さんのお顔に触れ、
流れ去った月日が走馬燈の様に、
手のひらに感じさせていただきました。
みなさんも触れてみませんか。

山道が終わると里山の道へと、
そして右手には後水天皇の第1皇女文智女王のお墓が。
しばらく行くと円照寺へ、
残念ながら公開されていません。


こうして本日の「晩秋の正暦寺へと」は一応はここにて終わりです。
しかしながら足は自然と「山辺の道」を辿り奈良へ奈良へと。
今思えば「上街道」を歩けばよかったと、
後の祭りですね。

みなさんなら帰り道はどちらを選択しますか?
ここを御覧のみなさんなら、
もう奈良から桜井までの「山辺の道」を歩かれてると思いますから。
「上街道」でしょうか。


参考文献
奈良県史 7石造美術

二万五千分の地図

大和郡山
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035
浄土院
宝篋印塔
秋深し   芋蒸かし   腹空かし そんな時には、 晩秋の正暦寺へと 歩いてみませんか。  天理駅から浄土院   花園寺  弘仁寺   柳茶屋墓地  正暦寺   円照寺(非公開)と訪れます。
晩秋の正暦寺へと
柳茶屋墓地
和爾町のお堂の中に