旧柳生街道ひとり旅               石仏の帰還
はあ〜るば〜る来たぜ〜函館ではなっくって、
「旧柳生街道ひと旅・石仏の帰還」に。

サァ〜寒う〜ムチャ寒う〜年末も年末の、
おケツの「の」の辺の所ぐらいの本日。

奈良からバスに乗ってやってまいりました。
およそ四十五分ばかしでココ「柳生」へ、
忍辱山で二人降りて、
またバスに乗ってるのは私一人っきりになってしまいました。

みなさんお元気だったでしょうか。
「旧柳生街道ひとり旅」から一年半ばかし、
「続 旧柳生街道ひとり旅」でございます。
今風で申せませば、
「旧柳生街道ひとり旅・石仏の帰還」こんな所でしょうか。

前回は余りにも駆け足でしたから、
今回はてんこ盛りで行くつもりですからよろしくお願いします。

柳生には「石仏の辻」を御覧になるみなさんなら、
一度や二度は訪れた事はあるでしょうが、
柳生から奈良まで歩いた事のある人は,
少ないのではありませんか。

元気のあるうちに!アタックしてみてはいかがでしょうか。
てくてくまっぷ24とはちがう、旧柳生街道を。

みなさんのお手元に
「柳生」の二万五千分の一の地図ありますでしょうか。

柳生から南西へと東海自然歩道を歩き、
大柳生の夜支布山口神社から円成寺ではなく上出へ、
下誓多林から中誓多林そして上誓多林さらに、おなじみの峠茶屋へと。

ここから地図「奈良」にバットンタッチして、
近鉄奈良駅までと。大回りになりますが、
みなさん納得の道になるかと思います。

コース自体は前回と全く同じではございますが、
枝道の石仏紹介をしっかりとしてますから、
歩き好きにも、石仏好きにも、
たまりまへんコースとなっております。

しかしながら、そのまんま歩きますとゲームオーバーに成りますので、
時間配分に注意願います。
あたや地蔵

バス停から、
左手に十兵衛杉を見つつ北上して、
笠置への道を辿れば。
「あたや地蔵」へと。
してその正体は地蔵さまでは無く、
阿弥陀さま磨崖仏 鎌倉時代後期

早くも寒さに負けて、
ホット、ホット コーヒーをチョットいただきつつ、
ついつい見入ってしまいますね、ハイ。
単彩の跡があるとかですが、
みなさん判ります?
わかりませんです、私は。
左手の地蔵さまは、
室町時代の追刻だそうです。
二代目十兵衛杉

東海自然歩道を通って、今度は南下して、
目指すは目前の十兵衛杉下の
一石六地蔵、延宝四年1676)
ラッシュアワー時の大阪環状線に乗った
六地蔵サラリーマンという感じでしょうか。

枯れてるのが初代、二代目が「小十兵衛杉」だそうです。
これはやっぱ「二代目十兵衛杉」と呼んだ方が、
すんなり気分なんですけど。
一刀石

また柳生の中心地に戻って、
陣屋跡の巨岩に阿弥陀磨崖仏が出迎えてくれます。
芳徳禅寺を訪ねれば、
柳生家墓地入り口に「石龕六地蔵」(江戸時代)もお忘れ無く。

山道を通って天乃石立(あめのいわだて)神社を目指しますが、
途中の柳生霊園にて、
阿弥陀石仏天文二十二年(1553)が。

茶畑を見つつ、
着いた天乃石立神社に巨石四体が、
みなさんもOH!っとの圧倒的なる迫力を持って迫ってくれます。

奥の一刀石を見て、
引き続きOH〜!ですね。
人の手が加わったものなのか、
はたまた自然のままなのか。
う〜ん〜と悩みましょ。
立野寺

ここから「ほうそう地蔵」に行く前に、
ここから南へ五百b程まいりますと。
辻村の「立野寺」へと。
江戸初期の地蔵石仏に五輪塔、
南北朝末から室町初期の十三重塔、
鎌倉時代と思われる地輪の、寄せ集め五輪塔が。
ほうそう地蔵

また元の道を戻り民家の横から、
かえりばさ峠を目指せば。
スグに寝仏さんが、見落とさないようお願いします。
時には半分位埋まっている時もあります。

しばし歩くと、
「中村六地蔵磨崖仏」明応十年(1501)
可愛らしく、携帯のストラップなんかに、もってこいのデザインですね。

途中みなみなさんにも、
お馴染みのポンコツ軽トラックなんぞを見つつ
「ほうそう地蔵」元応元年(1319)
すぐ右下に、
ほうそう地蔵よりも有名な?徳政銘文も。

道側の阿弥陀さんに 天正三年(1575)
五輪塔には天正二年 永禄十二年(1569)
などの年号が刻まれてるそうです。

今では立派な屋根もできまして、
ほうそう地蔵も暖かそうですね。

私の体も登りで段々エンジンも掛かってきてます。
そして、一気にかえりばさ峠へと。
下りは足下滑りやすいので注意してください。
阿弥陀磨崖仏

峠を下れば、左手に南出。
右手に阪原町がみえてます。

ここからはスペシャル・コース又はオプション・コースです。
目指すは阪原町北出橋の
「阿弥陀磨崖仏」文和五年(1356)北朝方年号を刻む。

白砂川東岸に静かに佇んでおられる姿は天使のごとく!
仏さんですけどね。

対岸から写真を撮れば、
みな名カメラマン!
私は迷カメラマンですけど。

北出橋から上がって西へ行けば、
阪原墓地の入り口に「足いた地蔵」天文五年(1536)
見にくいのが残念ですが、どっしりっと、
下から見れば、ズドーンと構えておられます。

みなさん、必ず拝みますようお勧めいたします。
何故ならば、奈良までまだまだ遠いからです。
効き目、絶大でございます。
経験者が語る!
阪原墓地

そして阪原墓地に入れば、
これはあ〜ホントに〜、
こんな書き方は変なんですが。
自然の中で、
勝手気ままに集う石仏さん達と申せばいいんでしょうか。

いつの時代にここの地に集められ、
そして時が流れて・・・

これからも、
このままにしてやってくださいとお願いいたします。

銘があるもので、
阿弥陀石仏 延徳三年1491)
地蔵石仏 天文八年(1539)
十九夜観音 寛政十一年(1799)
他に、十一面観音石仏など。

私はしばし、
この石仏ワンダーランドに酔いしれておりました。


一石六地蔵石仏

やがて我に還りて還りて、
再び西へと行けば、
墓地の入り口に「一石六地蔵石仏」明応五年(1496)

みなさんも「盗難にあった六地蔵さん」と言う事で、
御存じの人が多いのではありませんか。
元は北出橋のたもとにお立ちだったとか。
しかし、よく帰って来てくれました。
この三角マーク風のモダン・クラシカルなるデザインがいいですね、
この形式の六地蔵石仏としては、県下最古銘だそうです。

しかし、ほんとはやはり、
北出橋のたもとの六地蔵石仏さんと逢いたかったです。

造物ミュージアム

今度は北西へと北西へと
ゴルフ場・奈良柳生カントリークラブへと接近して、
ゴルフ場の中と申してもいいんでしょうか、端っこにて。
石造物が集められています。
当然のごとくゴルフ場造成の為に、
ここ藤尾城跡に引っ越されたと言う事のようです。

この中で梵字で不道明王を彫った
「梵字不動磨崖仏」(室町末期)が大注目です。
このナイスな表現力はトレ‐ビアンでございます。

他にも六地蔵、阿弥陀、地蔵と芝生の上に、
まさしく石造物ミュージアムの様相を呈しております。

なおゴルフボールには注意だそうです!
と言う事はですよ、
石仏さん達にゴルフボールが当たってると言う事ですよね、
バチ当たりまへんかゴルファーのみなさん。

むかしこの辺りに「薬師堂」があった可能性が高いそうです、
なお、このゴルフ場横の道は「たらの芽」宝庫だそうです。
私はまだ未だかつて食した事が無いのですが、
旨いそうです・・・

かえりばさ峠からは、
ここまでかれこれ2`ばかしでしょうか。

また道を戻りましょう。
帰りにもう一度「一石六地蔵石仏」を御拝見して、
長尾神社への道へと。
境内に「四角型石灯籠」享徳三年(1454)
月待板碑安永二年(1773)

ここ中村から南出の南明寺へ行く途中の、
白砂川にバス道が通る橋のたもとに
「双仏石磨崖仏」桃山時代とか。
畑道から川へと降りて、御覧ください。
休憩でございます

みなさん元気ですか〜
けっこう、ここまででも有りますよね。
歩くだけならともかく、
石仏を御拝見して写真撮って、
そして今一度またジロリと名残惜しゅうございますと見ちゃうと言うのが、
石仏好きのコースではありませんか。
そんなわけで「前編」はこれにてと言う事で、

待たれ「後編」奈良までの道は、
まだまだ距離的にはこれからです、キッパリ。
前に戻ります〜   石仏の辻    次へ参ります〜

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