不動の滝

はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館」ではなっくって、
「バス停の不動の滝」に。

あ〜れ〜ここは、どこ、私は何処?
そ〜うなんです山本さん。
「バス停の不動の滝」は
今は場所がすっかり移動してしまったのです。
ほとんどバス停多武峰の近くに、
以前はバスを降りれば
「破不動」がお出迎えだったんですけど。

多武峰・談山神社を訪れるのは、
今日にて今年は四回目なんですけど。
ひとりにては五年ぶりとか?
自分ながらホンマかいなですが、
ホンマのようです。

そうです、あの台風以来です。
1998年の7号の痕に歩いた以来です、
まさしく跡ではなく痕でした。
明日香村の方々がバッサバッサと
倒れた木々を片付けてくれましたから。
念誦窟から飛鳥坐神社まで
下る事が出来たあれからですか?


なんか、なつかしモードになっちゃいましたが、
ここ不動の滝には不動磨崖仏「破不動」室町時代
そして、この道を登れば針道を通って大峠へと。
東へ行けば宮奥へ、
南へ参りますと竜門岳そして吉野へと。

みなさんも訪れてはいかがでしょうか。
けっして歩きやすい道ではありませんし、
派手な目玉があるわけでは無いのですが。
歩けば分かる、たぶん。

この不動の滝には、地蔵磨崖仏 天文二十三年(1554)も。

道の左と右に磨崖仏を見て、
多武峰に向かって歩きますと。
左手に法輪寺が、地蔵石仏と六字名号板碑二基が。


八井内地蔵堂

さらに上がって多武峰に着きますと、
工事中のトンネルの前に引っ越しされた八井内地蔵堂が。
中を覗くとラッシュアワー並みに石仏さん達がひしめいていました。
これは窮屈ですよね、予算の関係なんでしょうが、たぶん。

右から阿弥陀 永禄 地蔵が四体 永禄八年 天文十四年 永禄四年 天正七年
みなさん色白でんな。
お外にも、弾き出されたのか永禄四年の地蔵さまも。
その他のみなさんも見てやってくださいね。
庚申像もお忘れ無く。

八井内墓地

道路の向かいには八井内墓地が、
ここ大きな大きなイチョウの木があって、
晩秋にはみんなが真黄っ黄色に染まります。

真ん中に堂々たるそびえ立つのが、「受け取り地蔵」永正十七年(1520)
左へ真言板碑 永禄二年(1559)
地蔵 天文二十二年(1554)
地蔵 天文十三年(1544)
などなど広大な墓地入り口に、
石仏のワンダーランドとなっております、
ごゆるりご鑑賞の程を。

談山神社

ここまででバスを降りてから二時間弱。
ゆっくりにも程がある〜と。
念誦窟での撮影もありますし、
足早に談山神社へと向かうのでありました。

談山神社東門をくぐって登りを行くと、
昔あった赤い赤いあの郵便ポストの親戚のような
摩尼輪塔 乾元二年(1303)
一の鳥居からの五十二基あった町石の最終にあたるものだそうです、
旧妙楽寺の遺品。

ここからもうしばらく上がって左手に、
淡海公十三重塔 永仁六年1298)
伊派の石大工伊行元の銘があるそうです。

元の道戻って談山神社の入り口の手前に、
石灯籠 元徳三年(1331)
これはこれはの、
紅葉をバックに保存状態も大変良なる、
みごとなデザインの石灯籠を御覧アレ。
予定ではひさしゅうの談山神社の中へでしたが、
スケジュールが押してきました故に断念しました。

して紅葉の方はみなさん御存じのごとく、
ハズレですね、ハイ。
なんかな〜色は付いてるけど、色になっておりません。
残念ですガックリですね。(2004年11月)

こうして、トボトボと歩けば西門跡に到着です。
石垣の上に穏やかなお顔の
弥勒石仏 文永三年(1266)

ここからは飛鳥そして葛城金剛の山々が
ドーンと出迎えてくれますから、
ここで私は遅い昼食タイムです。
念誦窟

お腹が一杯になったら、
飛鳥では無く北山への道を進み、
眺めも最高ですね。

やがて念誦窟不動尊の石柱がある所を下って行けば、
不動磨崖仏 延文三年(1358)
怖いやら、おもろいやらのお顔が素敵です。
緻密なる彫りをジロジロ逆に睨んじゃって御覧アレ。
お不動様怖がらせて、ごめんなさいまし。

また元の道に戻り念誦窟の入り口ほんの直前に、
誦窟不動尊と同じように、怪しげな谷を下ってまいりますと、
不動磨崖仏 こちらは可愛らしい系です。
戊午の干支(室町時代?)が刻まれているそうです。

五年前は入り口に塩が盛ってあってすぐ分かったんですが、
今日は全く何も無しで、
しばし、ここか〜と迷いました。
とても入り口とは思えない入口となってますから?
しかしなんで御案内版が無いのか、不思議なんですけどね。

ダブル念誦窟不動尊として売り出せばいいのにね。
訳ありなんでしょうか?
ともかく石仏ファンは見逃すな!

念誦窟のあるこの地は、
談山神社の全身である妙楽寺の奥の院の紫蓋寺があった所だとか。

入り口に、重厚なる五輪角板碑 室町末期
堂々たる地蔵石仏 弘治四年(1558)と
阿弥陀 天正十一年(1583)が出迎えてくれます。

長い長い石段を上がれば、
増賀上人のお墓が静かにお眠りなってます。

この墓地には膨大な石仏が眠ってます。
落ち葉に埋もれつつある地蔵さんとか、阿弥陀さん、などなど。
足早に御拝見するだけでも一時間以上はタップリかかりそうです。

石段の左手に十三仏 永禄元年(1558)
右手にも十三仏 永禄十年(1567)

ちょうど訪れた時に、
まるでスポットライトの様な太陽光線が、
ふたつの十三仏に降り注ぎ、

あ〜あ〜私を待ってくれたんだなと、
感謝感激十三仏アラレでございます。
「ありがとう十三仏様」と誰も誰も居ない念誦窟で
雄叫びを上げたのでございます、たぶん。
万葉展望台

こうして石仏漬けとなった私、後は帰るだけでございます。
当然ココからの道は、東山へ飛鳥坐神社への山道を、
辻まで来ると、万葉展望台へと道案内が。
以前にはなかったのですが。

道の方もすっかり広くなって、ありゃあ〜らら。
そうなんです、この道を行くと三体の石仏さんがあるんですが。
この道幅ではやっぱムードぶち壊しですね。
以前はシットリとした味わいのあるムードの中、
役行者と二体の地蔵さんが待っててくれてたんですが。
これも万葉展望台を作る為なんでしょうけど、複雑な気分ですな。

その万葉展望台にてコーヒーでも戴きながら、
残りのパンをモグモグやりながら、
ここからの大パノラマを満喫さしてもらいました。
左手から金剛葛城そして生駒山へと、
眼下には飛鳥が御所へと。
岡寺へ

予定では飛鳥坐神社への道をとる予定でしたが、
上居への道がOKになってましたから、
迷わず岡寺へGOです。
急降下な道がナイスですね〜ワケありまへんがな。

つうわけで今日の「030紅葉の不動の滝から談山神社」
終わりでございます。

オイオイ岡寺の石仏は無視かいなと言う声もありましょうが!
その通りでございます、キッパリ。

本日疲れちゃいました。
撮影枚数五百九十六枚、撮影疲れでございます。
歩き疲れなら何回でもありますが、
撮影疲れなんて生まれて初めてです。

私のデジカメ代々何故か、何の縁か、同じメーカーさんなんですが、
最近デジカメ四代目襲名にてお初のレンズ交換式に、
ありがたやありがたやの待望の広角28_からとなり、
崖から転けそうになる事も少なくなるかと思っておりましたが、

腰の方が疲れてしまいました。
中腰に斜め腰に逆さ腰?の連続に、撮影疲れにて、
あっけなくテクニカルノックアウト負けですな、ハイ。

岡寺からバスで帰宅と相成りました。
いつもなら、石舞台 亀石 猿石 飛鳥駅でご帰還ですが。
岡寺は次の機会にと言う事でどないでっしゃろか、皆々様方様!
前に戻ります〜   石仏の辻    次へ参ります〜

八井内墓地
030
紅葉の不動の滝から        談山神社
弥勒石仏
摩尼輪塔
石灯籠
地蔵磨崖仏
破不動
八井内墓地
不動磨崖仏 延文三年
不動磨崖仏 戊午の干支(室町時代?)
念誦窟
十三仏 永禄元年
十三仏 永禄十年