磐船街道から「大角墓地」へ
生駒谷街道シリーズ  その一
025
はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館」ではなっくって、「大角墓地」に。
ここは奈良県の端っこ、そして生駒市の端っこ。北田原の端っこ、
磐船街道に接する「大角墓地」に。
いよいよ待望の?
生駒谷街道シリーズがスタートです。

誰が名付けたのか、
不明(私でっけど)の生駒谷街道シリーズとは?
生駒山と矢田丘陵に挟まれた地の、
石仏紹介シリーズです。

いつものわたしの命名パターンではございますが。
一応北から南下の順路で進めてまいります。
歩けば石仏と出逢う生駒谷街道は、
「あなたにも、歩けます!」

おおまかな順路としては、
枚方からの磐船街道が下田原で清瀧街道を横切って、
森山で龍間越古堤街道を横切って、
そのまま南下して、

東生駒 南生駒 平群そして、竜田越奈良街道に出逢う、
斑鳩の竜田辺りまでの、あちこちを予定してますので、
こう御期待お願いします。
ほんとに、おおまかですね。

大角墓地

さてさて、余りにも長い前置きに、
すっか り忘れされてしまってる「大角墓地」ですが、

ほとんどが無紀年ではありますが、
そして小石仏でありますが。
末永くみなさんの想いでの中で、
生きること間違いないかと。
田原台霊園(照湧墓地)

大角墓地から小さな橋を渡ると、
ここは四条畷市の下田原、
そしてこの磐船街道を南下、

やがて田原台霊園(照湧墓地)入り口に、
堂々そびえるは、六地蔵 元禄九年(1696)
その姿がクッキリ、ハッキリと拝見できます。

東手には、十三仏 永禄二年(1559)
六地蔵さんの様に、
姿がハッキリしないのが残念ですが。
住吉神社

生駒山を前方にに見つつ、
残り少なくなりつつある古い民家を見ながら、
磐船街道を下ってまいりますと。

やがて龍間越古堤街道と交差してます、
ここを右に行くと「住吉神社」

ちっと野性派な十三仏 元和八年(1622)
見事までにも、まっぷたつに割れた名号碑 永禄八年(1565)

なんと鎌倉期作の石の風呂もあります。
祭祀用とか、お風呂の歴史なんかも
気になったりしますね。

日本人はいつごろから湯船の風呂に
入るようになったかとか?
温泉好きには、
決して見逃すことが出来ない石の風呂に別れを告げて。
龍間越古堤街道を東に行けば、
法楽寺

「法楽寺」またの名を「シンドンドン」
五輪塔残欠 地輪 鎌倉(紀年なし)
この上に地蔵菩薩像 室町(紀年なし)
六字名号板碑 天文十一年(1542)

この法楽寺さんは心なしか、
チョット右に傾いている、ナイスなお堂です。

わたしの大好きな木枯らし紋次郎が、
土砂降りの雨を避けて、
丸くなって雨宿りをするお堂が、
まさしくこの「シンドンドン」にまちがいないかと思っております。

さらに東へ行けば、
木々の生い茂る崖が、住宅開発のために無惨にも、
丸裸にされしまいました磨崖役行者像 安永七年(一七七八)

アフリカのコンドルさんさえも、
ココまでは食い散らさないと思いますが。

人間には限度というモノが無いようです。ハイ、ほんと。
神を創作した人間の気持ちも大変わかりますが、
それを隠れ蓑にして悪行三昧では、
神も草葉の陰で泣いてますよね。
蔵寺

今回ラストを飾るのは、「岩蔵寺」
わたしのお気に入りの場でございます。

真言宗御室派仁和寺の末寺。
かっつては真言密教の行場を
兼ねていた寺だったそうですが。

今は小さな小さなお堂だけが静かに、
岩山の前で佇んでいるだけです。

そのむかしは清瀧街道(磐船街道)の、
長楽寺の南からの道を上がって行ったんでしょうが、
今はバイパス道が岩蔵寺の前を通ってます。

よっぽどのお寺と石仏好きしか、
訪れなはしないというムードがムンムンしております。

長い石段を上がると
磨崖役行者像 江戸時代(紀年なし)がお出迎えです。
滝の横に十三仏種子碑 天文十四年(1545)

両者とも生駒山あたりのあちこちにて、
みなさんとの出逢いを、
いつまでも、いつまでも、お待ちしております。
参考文献

生駒市石造文化財 生駒谷 昭和五十二年
生駒市石造遺物調査報告書 平成八年
大阪の石仏 清水俊明著

前に戻ります〜   石仏の辻    次へ参ります〜

ちょっと前まで
今は、こんな〜なっとりますけど
大角墓地
大角墓地
十三仏
六地蔵
十三仏
名号碑
法楽寺
地蔵菩薩像