024  かいがけ道(傍示)から星田の薬師寺へ
はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館」ではなっくって、「薬師寺」に。
ここは交野市星田の地にて、
はるばる大和の傍示から、
河内の傍示をへてやって参りました。
そうです、,かいがけ道を歩いてそして星田へ。

ここが「薬師寺」ですか、
たしかにお堂に見えますが?
右手に入り口が、
開くんでしょうかとオープン座ドアでございます。
この瞬間にわたしは、
石仏のワンダーランドへと旅立った訳でございます。
これでみなさんも「薬師寺」を訪れない訳には、
まいりませんですね。

JR学研都市線星田駅から東へ600bばかしで、
あなたは、もう石仏天国へと召される訳でございます。
生駒の傍示

本日の出発は富雄からバスに乗って、
終着点の生駒の傍示です。

山里の集落がお出迎え。
この傍示には、辻本さんの門前に、
地蔵の種子が入った道標がエレガンスです。

天満神社が静かに佇んでおられます。
西方寺に天文二十四年年(1555)地蔵石仏も見逃さないように。
傍示墓地

生駒の傍示からはかいがけ道を歩いて傍示墓地へ。
途中右手に磨崖仏が、切りつけ地蔵と呼ばれてるそうですが、
してその正体は室町時代の阿弥陀さんとか。

それにしても、ほんとにこの辺りの佇まいがいいんです。
みなさんも是非、歩いて、感じて、触れてください。

この気持ちを表すと、仰向けになって、
背中を地面に擦りつけてグリグリするネコの気分です、ハイ。
大変分かりやすい例でごめんなさいまし。

そうこうしてるうちに傍示墓地の入り口に。
手前に阿弥陀さん天正四年(1576)奥に地蔵さまが永禄四年(1561)
ふたりのバランスが絶妙でビューティフルでございます。

墓地の中には膨大なる数の石仏さんたちがおられます、
室町末期らしいものが、かなり見られるそうですが、
紀年の無いものがほとんどとか。

素人のわたしでさえ見ても、これはこれはの石仏さんたちが、
静かにあなたのお越しを待ってます。

時が流れるのも忘れて見入ってしまいますね。
ほんとはもっとゆっくりしたいのですが、
道中はこれからでございますから、
名残惜しいのでございますがバイバイをして、
かいがけ道に戻って河内に入ると、
ごみの木地蔵

ごみの木地蔵が、
でも誰が見てもちっちゃな阿弥陀さんが座っておられますが。

味わい豊かなリトルジャイアントと申しましょうか、
南北朝時代とか。

このかいがけ道はその昔、大仏様が建立された時には、
仏師たちが行き交ったと伝えられてるそうです。

今は静かな山里の中のひとつの道ですが、
その昔には大勢の人たちが行き交う道だったんですね。
墾田地蔵

かいがけ道を下ってからは、
JR学研都市線にそって南下して、
私市の西念寺に墾田地蔵、室町初期とか。

スラリとしたそのお姿が、
まさに室町時代のスーパーモデルと言うところでしょうか
弘安地蔵

西念寺を出て磐船街道を南下すれば、
私市墓地に弘安地蔵さまが、
弘安四年(1281)右手に錫杖を持たない与願印の古い形式、

重厚なる存在感が、「オット〜これが地蔵だ!」
と鎌倉時代の想いをしっかりと感じさせていただきました。

なお弘安四年は大阪府下では最古の年号とかです、
ただし藤田美術館内と太閤園内石仏除くだそうです。

要するに大阪府の中で、無料又はタダでご挨拶できる、
銘のある石仏さんの中では最も古いと言うことですね。ハイ。
これでいいのか大阪府知事さま。
慈光寺

私市墓地からJR学研都市線星田駅の方向へと歩くと、
慈光寺に十三仏が、慶長十二年(1607)ようやく十三仏さまとご対面できました。
個性的で端整なお姿の阿弥陀さまが室町初期とか、
わたしのお気に入りでございます。

この足の長さが日本人離れしておりますが。
近くにある双仏石も、同じデザインかと思うんですがどうでしょうか。
薬師寺

そして、いよいよ冒頭の「薬師寺」のオープン座ドアとなるのでございます、
目の前に現れた石仏さんたちに、
目はクラクラ、心はユラユラ状態に、
行っちゃいましたね、石仏ワンダーランドへと旅立たれましたね、
南無阿弥陀仏でございます。

戻って来るまでけっこう時間がかかってしまいました。

狭い敷地内にズラリと並んだ、阿弥陀さま、
地蔵さまは弘安地蔵さまと同じ与願印の形式で、室町初期頃とか。
双仏石、九重石塔、板碑、慶長十二年(1607)などなど。

いずれも個性爆発であなたのお越しを待ってます。
星田駅の前にて「東高野街道」にほんのちょっぴりコンタクトして、
本日の旅は終わりを迎えました。
考文献
生駒市石造文化財 生駒谷 昭和五十二年
大阪の石仏 清水俊明著
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