「一ヶ月のごぶさたでした。司会の石置宏です」
さあ今日の一枚目は、
逢おうと想っても、逢えない。
歩きたくとも、歩けない。
あの道は、何処に。

さあ書いてもらいましょう。
続 魔境の生駒山系に「庄兵ヱ道」を見た!
みなさんお元気でしょうか。
「石仏の辻」始まって以来の、初の続モノ登場です。
なんか自分ながらワクワクしております。
とうとう続モノが出来るまで続いたか「石仏の辻」かと!

ところで、みなさんの中には「庄兵ヱ道」とはなんでっか?と仰る人とか、
そう言えば、むかし読んだけど、
「キッパリと大体忘れました」と声高々と仰る人がおられるかと思いますが。
そんな、みなさんのために、
石仏の辻 003 魔境の生駒山系に「庄兵ヱ道」を見た!の触りをどうぞ。


アンコール

 「庄兵ヱ道」この甘美なる言葉の響きに魅せられて、
どれだけたったのでしょうか。

そして、はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館」ではなっくって、「庄兵ヱ道」に。
お約束どうり探しました、ほんまに。

鳴川千光寺からの入り口が見つからず、
どこやの〜と探すこと、またの名を「アタック三回目にて!」

 「庄兵ヱ道」とは、生駒の宝山寺から、鳴川千光寺間の信仰の道。

鬼取村の庄兵ヱさんが、宝山寺の湛海律師より道を賜り、
清掃管理していたところから、
「庄兵ヱ道」の名で、呼ばれるようになったと伝えられる。
往時は「ションべ道」とも呼ばれたそうです。

これでみなさんは何故にわたしが、
この甘美なる言葉の響きに、
魅せられたのか、クッキリハッキリと理解されたかと思います。

なお「庄兵ヱ道」は、半分位道が残っているようです。
千光寺からは山中歩き、暗峠道に出るまではどうにか残ってますが、
鬼取から小倉、そして門前町にかけては消滅してる様です。

今の自動車道の西の方あたりを北上し、
宝山寺へと続いていましたが。


庄兵ヱ道探索へと

そして今回は、生駒民俗会のみなさんと、
庄兵ヱ道探索へと行ってまいりました。

この記録はその時の「愛と涙の感動の物語」でございます。
それではみなさん用意はいいでしょうか、始まり始まりでございます。

あ〜ったんですね、まだ!
宝山寺から暗峠道までの部分は、
ほとんど消滅状態ではと思っていたんですが。

かすかではありますが?
歩ける道が残っていたというのには、
「感動した〜」と言うのが正直な気持ちです。

今回のスタート地点は、
ケーブル線梅屋敷を下った宝山寺職員駐車場。
すぐに道標「左鳴川元山上道」がお出迎えで、
いよいよ「庄兵ヱ道」がと言うムードが、
いやが上にも盛り上がります。

ここからしばしコンクリートの道が続きますが、
眺めも良く矢田丘陵が、さらに木津に奈良方面が一望できます。
350から400bラインの間のようです。

そしてどん詰まりの場所に、一見民家の敷地のような。
立ち入り禁止と!が〜ここは法的にも立派に道路だそうです。
そう言えば、よく見ると道路になってます。
天下御免の道路ですからずずいと歩いてOKです。
あとがきとお知らせ を読んでください

ここから地道です、そして藪こぎを覚悟してたのですが。
わりとスムーズに歩けるのには驚きました、
と申しても所々に崩れた場所もありですが。

やがて地道に入っての始めての交差する道に出ますが、
ここから教弘寺までが大変分かり難いです。

たぶん今まで何回も道が、分断されたんではと私は解釈しますが、
みなさんはどう思われるでしょうか。

道無き道を、かまわずこのまま進めば、
スグに、また交差する道に、どうにかこうにか出ます。
ここをチョット上がれば、
左手に下りの道が、ここが教弘寺への道でございます。


教弘寺

教弘寺には、石龕の「役行者」桃山時代 天正六年(1578)
「五輪塔」北朝年号 正慶二年(1333)
「十三重石塔」鎌倉末期頃、
ここで一休みして、しばし石造物を御覧ください。

再スタートは教弘寺の境内をこのまま南下、
きちんと道がありますが、そのうちに、自然消滅気味に。
ともかく、前へ進めば、
そのまま小さな池がある所で道に出て、
南下の道を探すモノのアタック失敗です。

結局はご近所のおじいちゃんのアドバイスにしたがって、
鶴林寺から池までの北上コースを確認。
こりゃあ分からわんと 、途中からほとんど道が消滅してますから。

鶴林寺には、六字名号板碑 永禄十年(一五六七)がひっそりと佇んでおります。
ここから千光寺までは地図通りの道なのが、ちと残念です?


大福寺

鶴林寺を出て一路大福寺への道をとり、
大福寺には、十三仏 元亀四年(1573)、
五輪塔 永享五年(1433)、
天文十三年(1544)と慶長十一年(1606)の六字名号板碑が、見逃すことなく。


藤尾峠の阿弥陀石仏

大福寺の手前で右手の道へと、
ここでようやく暗越え奈良街道(国道三〇八号線)に出ますが、
目の前に、藤尾峠の阿弥陀石仏 文永七年(1270)
来迎印の阿弥陀立像が薄肉彫りが、

近年この国道三〇八号線も、道路工事が頻繁に行われて、
むかしの佇まいが消えつつあるのが、ちと悲しいのでございますが。


神田川へと降りて

ここからは神田川へと降りて、
後は山道を辿り千光寺へと行くわけですが。

今回の道と、石仏の辻 003 魔境の生駒山系に「庄兵ヱ道」で紹介した道とは、
微妙に?いろいろと?違うのが気づかれたと思いますが。

実際歩いてみると、みんな「庄兵ヱ道」でもいいんとちゃうと思ってしまう反面、
ほんまはどれやねんと知りたがります。

いずれは生駒民俗会から調査発表があると思いますが、
わたしも続々「庄兵ヱ道」をまた書きますのでお待ちください!

みなさんも是非、自らの足で体で歩いてください、
庄兵ヱさんの心意気が、歴史の時空が 、石仏の心が、
それとなく感じ取ることが出来ると思います、たぶん。
2003/05  記録



あとがきとお知らせ
5月下旬に、 逆コースでから宝山寺まで歩きました。
しかし、わかり難いです、一ヶ月でもう、草木も生い茂り、
アレ〜と迷う場面も。
夏場は辛いかと思います。

そしてどん詰まりの場所に、一見民家の敷地のような。
立ち入り禁止と!が〜ここは法的にも立派に道路だそうです。
そう言えば、よく見ると道路になってます。
天下御免の道路ですからずずいと歩いてOKです。

ここの部分は、相変わらず、堂々と立ち入り禁止と。
その上に、ワンコ軍団が、ワンワンと。
不気味ですね、怖いですね。

そこで、ここの出逢いの道を、チョット上がると。
小さな小さな道が、バイパスのようです。
ちゃんと用意してありますから、
ここから入って行けば、スグに合流しますから。
この道が無難ですね。
この道を選択してください。


宝山寺から歩くのも良し、
千光寺から歩くのも良し、
庄兵ヱさんが、みなさんを待ってますよ。


参考文献
古代の残る信仰の文字 宝山寺への道   今井正弘著

平群谷 平群町石造文化財   平群町教育委員会
 続 魔境の生駒山系に       「庄兵ヱ道」を見た!
すぐに道標「左鳴川元山上道」がお出迎えで
探索中
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