矢立砂捏地蔵は泣いてまっせ

そして矢立に到着、
矢立砂捏地蔵は厳重なる封印され、
全く確認不可状態でした。
何のための地蔵さんなのか、
矢立砂捏地蔵は泣いてまっせ、
わたしも泣きました。

矢立を発つ頃には、
疲れが顔を出す頃でございます。

そんなことお構いなしに、上がり上がり、また上がり、
笑って誤魔化しましょう。

笑い疲れた頃に高野山道路に出て、
大門まで一直線のあと一息ですが、
何故か長く感じる道程でもありました。

そして今日のクライマックスの最後の登りにて、
もはや笑う余裕は「ゼロ」だったと付け加えておきましょう。

まさに町石卒塔婆の金太郎飴状態の町石道、
もうあなたも歩かないワケにはまいりませんね。

おまけ

毎年四月に町石道を、
慈尊院からスタートして大門まで走る(20`)、
クロスカントリーマラソンが開催されてるそうです。
ある人は2時間20分だそうです。
わたしはこれを聞いて、町石になりました。
181基目ですね。ハイ
永遠と続く町石

九度山から永遠と続く町石を辿って、
えっさ、えっさとひたすら登ってまいりますと。
遙か彼方前方に明日登る楊柳山が。

そして、振り返ると目の前には大パノラマが,、
あれが岩湧山で、これが金剛山ですよね、
と言いながらここでキッチリと休んどきましょう、
道中これからが本番ですから。

やがて山中へ、元気者は雨引山へと、
見晴らしは今ではイマイチながら、
雨乞いの地でもあるそうです。
なるほど何故に雨引山なのか、とくと理解できました。

丹生都比売神社も見逃さないように、
ただし自己責任で。

雨引山と丹生都比売神社への道は、
アップダウンがあります故に、
この二つがやがて、
ボディーブローのように効いてくる、
場合がありますから(わたしの事)

丹生都比売社から町石道へのカムバックの道が、
とてもナイスです。

珍しい横並びの二ツ鳥居で、
天野の里を眺めながらの昼食をどうぞ。

心和む風景を満喫したなら、一路大門へと。
右手にゴルフ場を見て、
まさか空海もここまで作るかとお嘆きでしょう、たぶん。

やがて笠木峠へ、ここからも上古沢へ戻れます、
笠木集落からの眺めがとてもグーです、
カメラマン集まれと言うときましょ。

大門までは「ちょっと〜」と申される方は、
古峠から上古沢ではなく、ここ笠木峠から上古沢です、
文句なしですね、ハイ。
慈尊院から大門までの百八十基の町石卒塔婆を訪ねて。

最初に一言「長いです」
山道の20`ばかしではありますが、
道草(雨引山、 丹生都比売神社)を入れるとそれなりそれなりと。

そして、大門への最後の登りがファンタスティックでございます。
登りきって目の前には黄金に輝く大門が、
ドーンとそびえ立って迎えてくれました。

ライトアップされ、降り注ぐ雨が輝いています、
いつのまにかに雨が降り始めていたようです。

ここで、あらためて、
はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館」ではなっくって、
「周りは真っ黒けの毛でございますが、ライトアップされた大門」に。

全身から力がヘ〜ロ〜ヘロ〜と抜けて、しばしの休息をして、
本日の宿坊へと後2`ばかしの道のりを傘を差して、
トボトボと急いだのでございます。

補足 宿坊ではビールもありました、
最初に「あっと驚く為五郎」しばし経って、
「弘法大師は我を見放さなかった」

はあ〜るば〜る来たぜ〜

「函館」ではなっくって、

「高野山への町石道」に。

019
町石卒塔婆

慈尊院から大門までの180基、
そして御廟まで36基が立ち並んでいるそうです。

正直なところ一基一基確認して歩くだけでも大変ですが、
歩くだけなら一日でも、どうにかこうにかではありますが、
ここは、前半、後半に分けて、
じっくりと町石を見て歩くのがベストです。

元々は木造だとか、
高野山遍照光院の覚きょう上人が、
石造の町卒塔婆建立を発願され。
200余基が発願後20年の歳月をかけて
弘安8年(1285)に完成。

町石寄進者の中には、
無名の庶民の集団が寄進したと思われる、
町石も6基あるそうです。

わたしと同じの無名の庶民が、うれしいですね。
みんなで力を合わせて、
いろんな困難な諸問題を解決しての、寄進!
権力者や金持ちだけでは無く!
黄金に輝く大門が、ドーンとそびえ立って迎えてくれました
前に戻ります〜   石仏の辻    次へ参ります〜

転軸山
楊柳山