紅葉中の米谷町に 「米谷庵山の双仏石」を見た!
はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館」ではなっくって、
「米谷庵山の双仏石」に。

二年ぶりのご無沙汰でございます。
前回は華々しくデジカメのデータが綺麗サッパリぶっ飛んだという、
あの日と同じく紅葉が綺麗な今日にて。
カムバック アゲイン米谷町と中畑町。

みなさんも天理インターからの
グルリ一周の上り道の名阪を通っても、
実際この地を訪れた人は少ないのではありませんか。

そして中畑町は
石仏の辻004号「涙に暮れる大和高原に「受け取り地蔵を」見た!」
紹介した「七廻峠」からの下り道が通じてた所でもあります。

お話を聞いたおばあちゃんによると、
お嫁に来た時は牛車が通ってたそうです。

なるほど、私の頭の中ではクネクネした山道を下る、
モーモーさんが現れたわけです。

わたしも行けるところまで行こうと思って歩いたんですが、
もう名阪の下を抜けた所から、
道が完璧に崩れていました。

だいぶ前から崩れてそのままだそうです。なお迂回路があるそうですが、
地元の人の山仕事用の道のようで遠慮さしてもらいました。
米谷庵山の双仏石

前置きが長くなりましたが。
「米谷庵山の双仏石」は
高さ150a、幅330aの花崗岩南面に、
右手に像高68a地蔵、左手に像高72a阿弥陀を半肉彫り、
天文十一年(1542)

通例ですと右手に阿弥陀さんが配置されるそうです。
このあたりは尼寺跡だそうで、
今は全く誰も訪れる人もいない気配が淋しいです。
みなさんも声を掛けてやってくださいまし。
はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館」ではなっくって、
「米谷庵山の双仏石」にと。
あめま
不動磨崖仏

ここより東へと上がれば米谷町共同墓地、
ここからの眺めはこれまた絶品でございます。
このあたりで標高400bばかしとか、

目指すは「不動磨崖仏」
薬師橋の下を通って山道を登れば、
小さな滝の手前に像高88a不動さんが、
岩の上の方でお出迎え。

怖さ控えめはございますが。
胸には「カーン」不動明王の種子が刻まれています。
スーパーマンみたいではございますが、
室町初期の作風とか。

そして右手に「バイ」薬師の種子も、
これから薬師橋の名が付いたんでしょうか。

なおこの道を登って行けば、
福住町の高峰山へと通じてるそうです。
行きたくなる道ではございますが、
今日はこのまま下りへの道へと針路を!
南椿尾の磨崖仏

みなさんは紅葉のまっただ中を歩いていると、
なんか体がオレンジ色になるような気がしませんか、

こういうのを保護色と言うんでしょうか。
カメレオンを落ち葉の上に置いたら、
ほんまに「変身〜」して落ち葉色になるんですかな?
ヤモリは?

などなど考えてるうちに「南椿尾の磨崖仏」
室町末期から江戸時代中期にかけて彫られたそうです。

バラエティ豊かな
パノラマ極楽立体石造物群といったとこでしょうか。

地福寺

ここまで本日磨崖仏のオンパレードでしたが、
最後はグッと渋い北椿尾の地福寺にて、
茶をいただきながら、

室町期の地蔵様に名号板碑
そして船型の不動石仏が
境内に行儀よく並んでおります。

なお、この北椿尾町あたりの、
まだむかしむかしの静かな佇まいを
存分に満喫してください。

正暦寺に来られたなら、是非お寄りください。
本日のコースは、
奈良駅から米谷町行き
8時42分発バスにて終点まで。

そしての、上がりあり下りありの
アップダウンのなかなかの道歩きコースですが、
見晴らしも良く、
「七廻峠」からの旅人気分に浸ることができます。

元気者なら正暦寺そして円照寺へと。
まだまだ歩き足りない人は、
山の辺の道を通って奈良までへと。

しかしながら石仏見物してますと、
奈良まで途中で真っ黒けのけになります。
夏時間帯でも。

でも、ほんのむかしまでは
(福住永照寺のおばあちゃんの子供の頃のお話)
一日で奈良まで買い物をして、帰って来るそうです。
(石仏の辻004号
涙に暮れる大和高原に「受け取り地蔵を」見た!

気の向くまま
足の向くまま
石仏の向くまま でございます

参考文献
奈良県史 7石造美術
奈良市石造遺物調査報告書

二万五千分の一の地図

大和郡山
大和白石
018
米谷町共同墓地から紅葉中の山々と生駒山が
七廻峠への道は、これより崩れてました。
前に戻ります〜   石仏の辻    次へ参ります〜

地蔵石仏  鎌倉後期

北椿尾町出垣内
お顔が残念ですが、
丸彫りで
味わいの地蔵様です。
よだれ掛けを取って、
是非御覧ください。