光蓮寺跡

はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館」ではなっくって「光蓮寺跡」に、

ついに石仏の辻に登場です。
なぜに、ついになのか?それはわたしにとっての、
初恋の石仏でもあるからなのです。

この日のコースは天理ダムでバスを降りて、
竜王山そして下って長岳寺へ。

夕刻迫る中にて柳本へやって来て、
最後に訪ねたのが、ここ光蓮寺跡。

ハッキリ言ってもう、真っ黒毛の毛状態でしたが、
暗闇の中で、黄菊灯りに照らされた石仏に、
わたくしめは完全にノックアウトに陥ったのでございます、
TKO負けと言う奴ですね。

さらに建治形の阿弥陀石仏の後ろからは、
灯りのついた窓から夕飯の香りが〜
流れて来るではありませんか、

これ、これ、これですよ、
まるでわざとらしい「歴史街道」の一場面のようですが、

こちらはほんまもんです、
匂い付きなんですから、迫力がちがいます。
石仏の魅力はやっぱ生活感ですね。

このようなことを書くと、みなさんの中には、
わたしゃあ赤提灯で一杯やって、
家に帰ってから、タクアンをばりばりやんながら、
鮭茶漬けを食べる石仏さんなんぞ、
見たことも、聞いたこともないでと、
おっしゃる方もいようかと思いますが、

わたしは見てしまったんですね。
その石仏こそ、この光蓮寺跡のみなさん方なんですな、たぶん。

地蔵石仏

して初恋の相手の名は、地蔵石仏さんです。
向かって右側に、□治三年□□二月廿二日の名があるそうです、
貞治三年(1364)お顔から察するところの善教作ではないかと。
このお顔は一度見たら忘れられませんね。

まだわたしが石仏熱にかかる前から、
山の辺の道を歩いてる時から、
ぼちぼちあちこちでお見かけしてまして、
なんかええんとちゃうと感じてた訳なんですが。

そして運命の時がやって来たわけなんです。

もうあたりは夕刻のブルー一色の世界に中に、
うっすらと浮かぶグレーの地蔵さんと眩しいばかりの黄菊。
その時わたしのハートはキュ〜ン〜となっちゃったわけです〜


阿弥陀石棺仏

もうひとりもラブラブ状態ににと、阿弥陀石棺仏 建治二年(1276)
このお姿は、もはやタバコ屋のおウメばあさんさえも超越してますね、
降参状態です。

わたしの大好きなイカの刺身を食べた時の、あの状態です。
口の中にイカの甘みが溶け出して、
そして脳味噌の中まで、イカの甘みが侵入してきて極楽、極楽、極楽と、

建治形の阿弥陀さんが
脳味噌にペッタンコと張り付いてしまったのでございます。
これを南無阿弥陀仏と言わずして、
何を南無阿弥陀仏と呼ぶのでしょうか、たぶん。
五智堂

柳本と言えば黒塚古墳ですが、
一本足の傘オバケのような五智堂あたりもお忘れ無く、
ここから長岳寺の方に行った所にもありますから、
お見のがし無く。

あります、あります、ここにも善教作が見られます。
そして建治形のような、
建治形タイプと呼んだ方がいいのでしょうか、正確には。


専行院

そして専行院はまさしく建治形ワールドです、
石棺材を使った阿弥陀石仏は光蓮寺跡と姉妹形です。

右側が破損してしまった地蔵石仏 建治二年(1276)、
未完成の石仏と考えらている地蔵石仏は、
建治年代の造立と考えられるそうです。

みなさんの微妙なデザインの違いがミモノです。
ひとりの石工さんなのか、
はたまた石工チームなのか、
建治形はけっこうバリエーションがあるように感じましたが、
みなさんはどうですか?

善教作の方はひとりかなとも思ったりしてますが、
次回は仮題ですが「長岳寺あたりは、
けっこう毛だらけ善教作だらけ」です。
015
前に戻ります〜   石仏の辻    次へ参ります〜

夕刻の光連寺跡に黄菊を見た
見参 柳本町
専行院
専行院
五智堂前のの風呂屋
光蓮寺跡