ミヤマグチの地蔵は何処に
十三峠への道  前編
はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館」ではなっくって、
「ミヤマグチの地蔵」に、
磨崖舟型地蔵立像 天文十二年(1543)

これまた探しました。
アタックは三回目にてです。

今はこれは、これは地元の人しか、
通らない畑道または山道の脇に静に佇んでおられます、
灰田川の近く、福貴から福貴畑への旧道のようです。

近くには住宅街があるんですが、
ここから見えるのは360度山、やま。ヤマでございます、

しかし、どこからとなく工事中の音が聞こえてきてます。
河川工事か、はたまた、
地獄の使者である人間の侵略の成せる業でありましょうか、たぶん。

みなさんなるべく早く「ミヤマグチの地蔵」さんに逢ってください。

みなさんは十三峠は知ってても、
平群から歩かれる人は少ないのではありませんか、
ほとんどの方は大阪側から。

歴史がある平群はどこを切っても、
まさに石仏の金太郎飴状態となっております。

まあこのフレーズもマンネリにはなってますが、
みなさんは、しかとその目で
石仏の金太郎飴状態を確認してください。
北福貴の地蔵堂

全国一千万の石仏ファンのみなさん今日は!
本日は平群の駅から十三峠へ
太陽ギラギラの中歩いてきました。

もちろん歩くのは石仏の道でございます。

お初に北福貴の地蔵堂、
舟型名号碑 永禄九年1566)
舟型地蔵立像 紀年なし
自然石舟形彫込阿弥陀三尊像 紀年なし などなど、

蔵さんの迫力のある彫りがヨッシャーですね?
ここを見ずして平群を語るなです。


福貴寺跡

藤田家住宅の前を通って、
福貴寺跡は今は白山神社となってます。

法隆寺の高僧「道詮律師」の隠居寺として栄え、
盛時には六十坊を数え、
境内奧に、中ノ坊 西ノ坊等の塔頭跡が残るそうです。

当時の風情が頭の中でクルクルと再現されましたが、
みなさんはどうでしたか。

ラッキーにも弥勒堂にて
本尊の弥勒菩薩立像ご対面できました、
年代は未詳だそうです。

白山神社さんが電気工事してまして、
管理人のおじいちゃんが見てくか〜
飛んで火に入る夏の仏とはこのことですね。

しかし普門院の聖観音立像 平安初期は
残念ながら御対面できませんでした、
一般公開はしてないみたいですが。

重要文化財になっちゃったからでしょうか、
仏は人がいてこそ仏なんですけどね、キッパリと。

聖観音立像もみなさんと逢いたがってると思いますけど。
中ノ坊の石造物

ここで気を取り直して
中ノ坊の石造物を、
笠付角柱、
笠付来迎石柱碑 延宝二年(1674)が
竹藪の中でそのまま、
そのままでございます。

高ノ坊跡の石仏群

すぐ近くに高ノ坊跡の石仏群が、
畑の傍らで
みなさんのお越しを待っておられます。

船型発心門種子板碑 寛文七年(1667)
船型地蔵立像 室町中期
ハッキリ クキッリの深彫りの
矢田形の地蔵さんです。
半部埋まってしまっているのが残念ですが、

わたしはこの場所が大好きなんですけど、
時の流れの中で、
だんだんと仏たちが、
畑と一心同体にへと自然のままに、

このあたりから飛鳥への
眺めがとてもいいですから、一服どうぞ。

この道を上がりて行と
怪しげな入り口が左手に、
この道が「ミヤマグチの地蔵」への扉です。
紙面が着きましたゆえ後編へと。
前に戻ります〜   石仏の辻    次へ参ります〜

013
北福貴の地蔵堂
高ノ坊跡の石仏群
中ノ坊の石造物
高ノ坊跡の石仏群