ロケット地蔵

はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館」ではなっくって、
「ロケット地蔵」に。

まずはミロク辻弥勒磨崖仏から進路を東にとって、
大畑大福寺へと旧道を通って、
大畑大福寺地蔵石仏 室町中期 永享十三年(1441)

わたしは「ロケット地蔵」と命名さしてもらいました。
この手のデザインはめずらしいと思うんですけど。

この地蔵石仏をお世話してたおじいちゃんに、
集会所の中にある大福寺の「仏様見てくか〜」と、
ありがたやありがたやです。

小さな村の中にずらり並んだ仏様たち、
当尾のみなさんは、
昔も今も心を大事に見守っているようでした。
ほのか ほのか地蔵

大畑墓地の前を通って一路勝風へと、
ここからの見晴も良く、お弁当を食べるのにお勧めです。

勝風墓地参道に立は赤地蔵 永禄八年(1565)
わたしは「ほのか ほのか地蔵」と命名しましたけど。

墓地の中には迎え地蔵 元亀二年(1571)
私もみなさんも、いつかはお世話になります地蔵さまですね。
なるたけお先にしてくださいねと、お願いしときました。

これではわたしは「不死鳥」までいかなくっても
「不死蝶」位に長生きまちがいありません!たぶん。

赤地蔵のお次はお約束どうりの青地蔵
地元では北向き地蔵 室町時代、

仏像が北向きに安置されることは珍しいそうですが、
岩船寺から鬼門の方位にあたりますが。
ずんど坊笠塔婆

森八幡宮の前を通って、
裏手へと進路はずんど坊笠塔婆 鎌倉後期 へと。

オモテ当尾に笑い仏あるなら、
裏当尾にはずんど坊笠塔婆あり!

裏当尾のスターと申し上げても異論は無いと、
これを見ずして「利家とまつ」は見ないでくださいまし。
大蔵墓地

ずんど坊笠塔婆からは地道を歩いて大蔵墓地へ、

種子十三仏板碑 永禄六年(1563)と
阿弥陀板碑 慶長十五年(1610)に
五輪塔 鎌倉後期  その他。

私の大好きな十三仏ですが、
この面影はむかしどこの家庭の台所に常備されていた!
あのお徳用マッチの桃デザインを沸々と想う、
このわたしは十三仏おバカなんでしょうか。

種子配列が変則的とか、
どこがどう変わってるのか、
なにも知らなかったわたしはチョッピリ勉強になりました。

十三仏おバカなら種子配列ぐらいは記憶するように、
塩ジイじゃあないんですから。
まだ大臣してるんでしょうか?塩ジイは、
はたまた更迭されたんでしょうか、

更迭されたのは小泉さんでは?
いや田中真紀子さんでは?
と謎が謎を呼んで来月号へと続く、たぶん。
青地蔵
赤地蔵
あとがき

どうでしたでしょうか、裏当尾の旅第一回目は。
キンチョウの夏、日本の夏。
では、ありませんが。
石仏の道、日本の道。
地図を片手に、歩いてみませんか。
参考文献

当尾の石仏めぐり  中淳志著
前に戻ります〜   石仏の辻    次へ参ります〜

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迎え地蔵
みなさんは当尾の里といえば「わらい仏」に
大門阿弥陀?磨崖仏を頭の中に思い浮かべますね、
わたしもそうなんですが、でもそれはほんの一部なんですね、
当尾の石仏さんの。こりゃ、またと!

事の起こりは、岩船寺さんで百円で買った
当尾の石仏ガイドブックです。

あるはあるは、黄金の国ジパングにも匹敵でスルであろう、
金銀ダイアモンドでできた石仏?
もとい、ただの石でできた石仏!

これは探検せねばと、
思い立ったら一日目ということで、名付けて裏当尾の旅でございます。
当尾の里は泣く子も笑い仏

しかし今回は

泣く子もずんど坊笠塔婆