どうして、今になって?
 大きな手が安心できる温もりだった。
 弱くて、泣いているだけだった自分。
 怯えて、震えているだけだった自分。

 そんな小さな自分を、いつも、大丈夫だと笑って抱きしめてくれていた腕。
 ずっと。あの人の傍にいたいと。
 ずっと、ずっとあの人の腕の中にいるんだって思ってた。
 
 小さな、自分にとって、あの人だけが世界だった。
 他に、何もいらない。
 自分より、一回りも二回りも大きな体が、それだけが自分の居てもいい場所。居るところ。

 だから、こんな風になるなんて。思っても見なかった。
 少なくとも、自分は。
 子供だった。何も知らないクセに、愛情だけは欲しがる、子供。
 それは今でも代わってない。
 

鏡の国のアリス
 
 ―愛してくれる?ずっと、傍に、傍にいてくれる?

 それなら、抱いていいよ?オレの体が欲しいなら、あげる。
 あげるから。
 一日中、抱いていてくれていいから。

 オレに。思い出させないで。

 忘れてたと思ってたのに。…忘れたいと思ってたはずなのに。






高められる体、熱っぽい吐息。
苦痛と快楽が頭を覆い尽くす感覚。命の、燃焼。
いつも以上に、何かが弾けるように体を高ぶらせるのは、なぜ?
まるで、二人から、攻められているみたいに。内側から、外側から。
閉じた目は、開かないで……ぎゅっと閉じて。



「いいか、カズマ?」

 低く、抑えられた声が、優しい響きを伴って自分の耳に届く。ベッドが、床が、キシっと鳴る。高く、腰を上げられたままの姿勢で、貫かれる体は、もっともっと苦痛と快楽を求める。

「いい…もっ…と……」

 もっと。もっと。

「カズマ…っ」
「ぅぁっ……」

 湿った音が軋む音に溶け込む。もう、耳に入ってくるのは、二人だけの吐息と、声。自分の、舌足らずな甘えた声。と、そして…あの人とは違う、男の声。


「っはっぁ!」

 びくんっと体が震える。体の奥底に、閉じこめていた快楽の渦。小さいときに、覚えさせられた甘い記憶が、カズマの脳裏に浮かび上がる。





『イタイ…、やぁ!もぉ…』
 ハジメテ、ハジメテ快楽を覚えさせられた。大声で、泣いて。でも、離して欲しくなくて、必死で縋り付いた。
 




誰?
オレは、今誰の腕にいるの?
この自分の中で暴れる、欲望の持ち主は、誰。

 大きくて優しい手。
 乱れて、涙を流す自分を、優しくさすってくれる手。目を閉じているから、それ以外の感覚がいつも以上に敏感に、その優しい愛撫を伝えてくれる。
甘えた声で。あの人が、好きだと言ってくれた、可愛い声で、鳴いて。


「もっと…して?」
と。


 胸の弱い部分を上手に撫でてくれる。気持ちよくて、声が抑えられない。
 けれど、もう繋がっているところも限界だった。自分の中で、彼がその狂気で猛り狂っている。

「目ぇ、開けろよ、カズマ」

 その声が…その、優しい声が。
 あの人と違うことを、感じてしまったから・・知ってしまったから。

 危険なシグナルが音を伴って自分に降り注いでくるように、頭で何かが警報を鳴らす。それでも、その声の持ち主の命令には、今は、どうしても体が従ってしまって。

 ゆっくりと、ゆっくりと、瞳を開く。

 感覚が、視覚優位に戻っていく。暗い空間が広がる、見知った場所。診療室の、壊れかかった診察用ベッドの上。

 激しくなる律動に、なされるがままに揺すぶられて。
 目の前の、自分を見つめてくる人に、カズマはにっこりと微笑んで。
 自分の手を、自分の中心に添える。


「カズマ?」

 不思議そうな声で、カズマの様子を見守るオトコに。
 艶やかに、微笑んだ。


「中で、出して」


 くっと。カズマは自分のソレを強く握った。



「・・!!ぁっ…!」

 甘い声が、ミダラに漏れて。ソレと同時に、自分を貫くオトコの口からも軽い吐息が聞こえた。自分の中にアツイ、欲しくてたまらないモノが最奥に突き刺さるように注ぎ込まれた。


 この、迸りは誰のモノ?

 目を閉じて、必死で考えて。
 間違っちゃダメダ、と。必死で、迷子にならないように、見失わないように、名前を呼ぶ。


「君、しまぁ…」

 抜かないで…と、もっともっと下さい。
 でないと、分からなくなるから。自分の、『アイシテイル』人の手の感覚を忘れてしまうから。

強烈な記憶を。
懐かしい記憶を。

どうか起こさないで。無意識の中に押し込まれた、記憶を起こさないで。


涙が一筋、カズマの頬を伝った。



どうして、こんなコトになっちゃったんだろう。
どうして、また会っちゃったんだろう。
弱い自分が、嫌いだ。ひとりぼっちの、自分が…嫌いだ。



 ゆっくりと、重ねられる唇。温かくて、大好きな感覚。


「カズマ、アイシテルよ。
 オレだけを、みてろよ」


 目を閉じても分かってたはずの、この声の持ち主。
 ああ、なんて哀しそうな声。全部、こんな風にしてしまったのは、自分。



―なんで、こんなコトになっちゃったんだろう。



「オレの、そばにいてくれよ…カズマ」

 こんなに体が熱いのに。冷たい指先。まるで自分は一生ぬくもりなんて感じることが出来ないんじゃないかって、思わされてしまう。冷たさが怖かった。

「冷たいよ、オレの指…」

 そういうと包んでくれる、『君島』の、手が。温かくて。ぎゅっとそれに絡ませる。取れない、手袋。直接ふれあえない、手と手でも。

 コレが、自分にとっては精一杯なんだということを、その手の持ち主は全部分かっているように握り返してくれる。




 この、優しくて大きな手を。自分にくれるなら…




 カズマは、再び瞳を上げて、うっとりと目の前の、ただ1人のあの人に。
キスをして。


「どこにも…もう、行かないでよ」



 ―クーガー……

・・・ と。










愛しげに自分を見つめてくる、黒い瞳。
大切で大事な、愛しい瞳。


 でも、その奥に映っているのは…オレ?

 オレなら、ずっと傍にいてやってるじゃないか。

 お前が望むなら、ずっとずっと抱いててやる。
…そんなコト、カズマは望みやしないだろうけどな。


 目の前にいるだろう?
 なのに、どうしてそんなに切なそうに見つめる?


 お前の体の中に注ぎ込んだのは、オレだよ?


「カズマ……」


―どこにも、行かないでよ……

 甘く色づいたカズマの唇が震えながら言葉を紡ぐ。微かな、吐息と間違えるかのような弱々しいけれど、必死で求めてくる、姿が。
 今まで知っているカズマの、どんな姿にも重ならなかった。



 カズマの唇が。自分の中の征服欲を誘う。
むさぼりたい、残虐な気持ちを、必死で押さえる。
 優しく優しくキスを。施そうとしたとき。
 頼りなげなカズマの唇が、小さく震えた。



 愛しげに紡がれた名前。
 それは。


 たった一度だけ、聞いたことのある名前。
 ホーリーに捕まったカズマを助け出した帰りに、出会った、赤い髪の男。



―…クーガー……



 苦くて、黒いものが、支配する。
 君島は、疲れ切って眠るカズマの寝顔を静かに見つめた。
 ベッドの横に、掲げられた大きな鏡。
 
白い素肌をさらして眠るカズマの姿が。鏡の中に閉じこめられる。
綺麗な、寝顔は直情型の性格を感じさせないくらいに穏やかで。さっきまでの痴態が別人のように清らかな姿のカズマ。


「このまま、鏡の中で。閉じこめられたらいいのにな」


 微かに部屋が暗くなったような気がして、ベッドとは逆サイドにつけられた小さな小窓に視線を遣った。空にのぼる月が、南へとさしかかる。その月を、大きな黒い雲の集団が横切っていった。
 月の光すら失った、部屋は、静寂だけが支配していた。



 初めて、カズマを抱いたときのことを思い出す。
 慣れたように、誘ってきたくせに、処女のように敏感に反応する。

 女で慣れていたオレも、一発で落ちた。

 夢中になって、愛した。
 何者にも屈することのない心を、瞳を、自分だけのモノに染め上げたくて、支配したくて。
 抱いて、喘がせて。


 でも、いつの間にか、支配されてしまっていたのは自分。


 淫らなくせに、穢れない少年。



 こんな少年にしたのは、一体誰なんだろうか。



 そう、思った。






「っんん……」

 小さく音をたてて、ベッドが揺れる。
 カズマが少し、苦しそうに寝息を漏らした。

 涙の跡が、微かに残るカズマの頬を、優しく撫でてやる。
 シた後は、すぐ眠ってしまうカズマを、自分は何度も何度も、何時間も見つめていた。
 そして、時折苦しそうに、哀しそうに繰り返される寝言。

「大丈夫だよ、カズマ。
 オレは、お前の傍にいるよ」


 だから、早く。


―オレのトコロに、帰ってこいよ。





 その時、不意に後ろに人の気配を感じた。
 君島は、眠るカズマを守るようにその前に立ちふさがり、静かに月明かりの下で窓枠に背中をもたれさせて立つ男に視線を向けた。
 
「…やぁ、君が、キミシモくんだね?」

「………キミシマ、だけど」

 友好的とは言えない声で、君島はその男を睨み付けた。
 月明かりが反射して黒い影のように見えてしまうけれど。
 あの時の印象は、君島には深く、刻まれていたから。

「なんか、用っすか?」
「ああ、ちょっとね。オレの、気の強いコネコちゃんについてね」

 その言葉遣いに微妙な神経の逆なでする単語を感じ取ったけれど、君島は特に声を荒立てることもせず、静かに聞き直した。

「コネコなんて、ココにはいませんよ?」

 そう真顔で答える君島に向かって、男は軽い揶揄を含んだように口笛を吹いた。余裕を込めて、ぱちんっと指を鳴らした。
 微かな風が吹いたかと思うと、目の前から男は消えていた。

「…え?」

 はっと気付くと、ドアの所にその男は『不意に』現れた。
 しかも、その腕には。


「カ…ズマ?!」
「うーん、また世界を縮めてしまったよ」


 と訳の分からないセリフをはく男を、君島は険しい表情で睨め付けた。
男はくくっと笑うと、腕の中の「コネコ」を愛しそうに見つめた。

 シた直後だということで、そのカズマの体は何もつけられておらず、白い肌や腰がむきだしのままになっていた。

「…なかなかいい感じに育ったなあ…子供の時のは見慣れてるけどな。相変わらず肌もキレイだし、腰も細いな」
「…ざけてんじゃ、ねぇ!!」

 くくくっっとおかしそうに笑う男にカチンときて、君島はカズマを奪い返そうと、その男のトコロへ足を踏み込む。
 ふっと風が微かに君島の髪を揺らした瞬間、再びその男の姿は消える。

「チッ」

 この男の持つアルターに寄るモノだろうと、考えられた。こんなとき、じぶんにアルターがないことの悔しさを君島は痛感する。


「カズマを放せ!」


 そう叫ぶ君島に、男はチチチっと舌打ちしながら話し続ける。


「オレは何も君と戦いにきたワケじゃぁない」
「……」
「タダオレはね、文化的人間として、少し君と話をしたくてね」
 
 かつんかつんと低い音を床に響かせながら。


「…はあ?」

 疑り深い声色で自分から視線を外さない君島を、静かに見つめると、その赤い髪の男は言葉を、発した。

「オレは速さを追い求める人間だからね、余計なことは省かせてもらうよ。」
「……だから、何だよ!?」

 男の腕の中に、まるではまったかのようにすっぽりと包み込まれたカズマの姿が気にくわなくて、君島はいらだたしげに先を促す。



「じゃあ、言わせてもらうよ。
 君は、カズマを…裏切ることはないか?
………キミシマくん?」



 何を聞かれているのだろうかと。

 息が、止まるかと思った。
 







何かに追い立てられるように、走る。後ろから、何かが迫ってくる。
もう、イヤだ。怖いよ。
息が、出来ない。
走って、走って、走って。
目を閉じて、怖いのをガマンして、あの人のことを思い浮かべて。


パリン!


はっと、耳元で何かが砕け散ったような、鋭い音が。頭に響く。

足が、進まなくなる。
後ろから、「くる」のに。
進めない、もう。どうして、どうして?!
 ぎゅっと閉じていた目を、開いていく。



「…何だよ、ココは……」



 ずっと、ずっと道が続いている。前にも後ろにも左にも右にも。ずっとずっとずっと。


―違う、コレは。
続いているんじゃない。


 ゆっくりと、手を伸ばす。続いていると、思われた空間は。
 ひんやりとした壁で、その空間の存在を否定している。
 手の平を、付ける。


「……鏡」


 ずっとずっと続いているように見えたのは、自分の四方が鏡で覆われているから。じっと、その仮想空間を見つめる。ぼぉっと、そこに「見えるはず」のものを、見極めるために。

 自分の、姿を。


 周囲360度に、そして無限の鏡の奥まで、自分が、カズマの姿が映し出される。奥の方から、順に映し出されていく自分の姿。

 小さい頃の、泣いている顔。笑っている顔。怒っている顔。拗ねた顔。
 小さかった鏡像が、手前に近づくにつれて、大きくなって映っていく。

 そして、手を伸ばした目の前の鏡に、自分の顔が映し出される。
 成長した、今の自分が。表情が、消えた。


―人形のような。


 今の自分は、こんな表情をしているのかな、とカズマは思った。
 もっと、もっと恐怖に満ちた顔をしていると思ったのに。

 なんだ、オレ、結構冷静じゃん。
 そう思ったら、奇妙に状況を把握しようとする理性が働いた。自分にしては珍しいなとカズマも思ったけれど。とにかく、自分が鏡の中にいることは。感じられたから。


 いろんな表情の自分。

 同じ表情をしている鏡は一つもなくて。

 でも、共通しているのは。その、無防備な表情を、誰かに見せていること。


 きっと、同じ人だと、感じた。


―誰に、オレはこんな表情を見せているの?

 周囲を、ぐるっと見渡す。


 その中で、一つだけ。
 違う自分を見つけた気がして、その一点に目を留める。
 笑顔で、誰かとふざけているような自分。
 他にだって似たような表情をしている自分がたくさんいるのに。


― 何が、違うんだろう。


 考えようとするけれど、何かがジャマをして進めていけなくなる。
 




 なんとなく億劫になって、くるくるっと何度もその中で回っていたら、一体初めはどの向きに走っていたのかも分からなくなっていた。けれど、そんなことはもう、どうだってイイように思えた。進んでく前なんて、ココにはないんだから。

 鏡の世界は、無限に続いて居るんだから。


 そう、自分の。
 夢と同じように。


 誰かと、一緒にいた記憶がある。
 ひとりぼっちになった小さい自分を、見つけてくれた人。
 自分に、表情をもう一度、取り戻してくれた人が。


 きっと、きっと、この鏡の中の自分の視線の先に、いた。


 目の前に大きく映し出されている今の無表情な自分は、きっとその人がいなくなってしまったから。
 霞がかったような、記憶の奥に。その人がいた。

 初めて、安心できる人に出会った。

 鏡に映された、自分の唇が、小さく震えた。


― クーガー…?


 そのとき。



 パリン!



 再び、さっきの何かが壊れるような小さな音が聞こえてきた。
 今度はいくつもいくつも重なる音。


 パリン!パリン!


 どんどん、割れる音が、四方から、大きくなって迫ってくる。

「何だよ…!?」



 パン!パン!



 周囲の鏡を見てカズマは目を見開いた。
 奥の方から、鏡が割れていく。
 笑いかけてる自分、泣きベソの自分…


 誰かの腕で、安心して眠っている自分……


 パン!パン!


 破裂音と共に、それがいっせいに砕け散る。
 カズマは、その音を聞きたくなくて。

 割れていく、自分を。裂かれていく、「彼」との自分を見ていられなくて。

 耐えられなくて、耳を塞ぐ。しゃがみ込んで、小さい子供のように怯えて。誰か、オレをここから連れ出してと。


 何かに追いかけられていた。
 気付いたら鏡の中にいて、もう追いかける何かは消えていて。


 でも、違った。


 消えていたんじゃなくて、もう、自分は『囚われてしまっていた』のだ。

 周囲の鏡は、まだ残っていて。
 でも確実に割れる音が迫っている。
 しゃがみ込んで、小さくなって。耳を塞いだ。


「いやだ!やだぁぁぁ!!!!!!!!」


 パンパン!!


 パリン!!!!!!!!


 一際大きな音が、自分の前後左右から、耳元でキモチワルイくらいの震動を伴いながら破裂する。
 嫌な残響が耳元で反射し続ける。
 でも、もうその割れる音は聞こえてこなくなって、静寂を肌で感じ取った。
 視線を伏せて、膝を抱えて。ゆっくりと顔を上げる。
 あれだけあったはずの鏡は。
 目の前と後ろに一枚ずつ。


「……ぁ」


 そして目の前の鏡には、変わらず無表情の自分がいて、じっと怯える自分を見下ろしていた。けれど、さっきと違うのは。その無表情な瞳から、紅い涙が一筋こぼれ落ちているところ。
 キモチワルイとか、そんなことは思わなくなっていた。
 無表情だからこそ、余計に哀しそうに見えた。
 きっと、ずっと泣きたかった。でも。自分には、アルターがあったから。
 1人になったからと、泣いていても仕方ない。
 建設的なことを考えていかないと生きていけないから。

 その鏡の中の自分が、ゆっくりとその指を後ろの方に指し示した。
 カズマはその指されるところを目で追っていく。
 自分の後ろの、残ったもう一枚の鏡。
 映し出された鏡像は、一つだけ。


「これは……」


 みたことのある、鏡像。
 いたずらっぽい表情で、安心しきった笑顔を向けている自分が、見えた。

 そう、さっき、他とは「何か」違うと心に留めていた姿。

 何が違うのかと、カズマは視線をゆっくり進めると。ちいさく、その表情が変わっていく。
 にっこりと、満面の笑みが。そして、その唇が、紡いでいく。

 コトバが。


「き、み、し…ま」


 ひゅんっと、何かが頭を、視線の前を横切ったような、感覚。
 いくつもの、鏡の中の自分が浮かんでは消えていく。

「何、なんだよ、コレ?!」
 
 笑ってる顔、声。泣いている顔、涙。
 いくつもいくつもが重なって、螺旋形に渦を巻いて頭の中でぐるぐると描いていく。

「――――――――――――――――――――!!!!!!!!!!!!」

落ちていく。床が崩れて、2つの鏡が自分より先に飲み込まれていく。
それを目にして、イヤだと思った。
もう、失いたくない、失いたくなかったから。

 必死で、目の前の。

 『君島』に笑いかける自分に、手を伸ばした。
 鏡に、指先が触れ合った。
 瞬間。ゆっくりと、ゆっくりと。
 落ちていく。

 けれど、怖くないと思った。鏡の中から、あの人の手が。
 力強く自分を握りしめてくれたから。


「きみ、しま……」


 カズマは安心したように呟くと、温かい指先を感じながらゆっくりと目を、閉じた。

 






―カズマ、カズマ

 誰?誰?オレ、どこにいるんだよ?!
 ワケ分かんないよ、ねえ、オレ…

―カズマ

 ぎゅっと、誰かに包まれる感覚。
 知ってる、知ってるこの腕の感じ。
 小さいとき、怖がる自分を優しく抱きしめてくれた、人。


(クーガー…?)


 自分は小さな子供になっていて、その人の腕で眠っていた。
 その腕があったかくて、勝手に涙が溢れてくるのが分かった。
 安心だと、思った。大丈夫なんだと。
 泣いてもいいんだと、そう思った。


―なあ。カズマ。


 そう言うと、クーガーは小さなカズマの脇の下に腕を差し入れて、そのまま自分の目線まで抱き上げた。じっと見下ろすカズマを見て、少し笑う。


― 変わってねーな、お前


 相変わらず生意気な目、してるな
 ムカツクコトバも、今はカズマの癪には触らなくて、こくんと小さく頷いた。

―さっきの、見ただろう?
 崩れていくの、見ただだろう

 そう、最後に最後に手を伸ばしたモノを。思い出す。


― なあ、お前さ…同じように、笑えてたんだぜ?


 そのクーガーの言葉の意味が分からなくて、カズマはちいさく首を傾げる。
そんな幼いカズマの仕草に、笑顔をむけながら。
もう一度、今度はしっかりと伝えてやる。

―オレにだけ、向けてくれていた表情をさ。アイツにも


『君島』にも。


 カズマはぎゅっと、反射的にクーガーの首筋にしがみついた。
 急に、怖くなったから。
 ゾクっと背中に悪寒が走ったから。


―怖くねーよ、カズマ


 ぽんぽんと、優しく力強く撫でてくれるクーガーの手を背中に感じる。
 それでも、怖くて。


「くーがー…いつもの、しよ?」

 ぎゅうううっとしがみついて、そう誘う。
 コワサを忘れられる、コト。クーガーが教えてくれた、コト。



―カズマ。



 ちゅっと、子供の額にキスを落とす。
 いつもと違う、感覚に、カズマはびくんっと震える。


 『いつもと』違う、のは…なぜ?
 (だって、おれは、クーガーしか・・知らないのに)


 本当に?
 頭の隅で、何かが小さく弾ける。


― なあ、カズマ。

 お前、失いたくなかったんだよな。だから、認めたくないんだろう?


 そう、自分に語るクーガーの言葉を聞きたくなくて、カズマはぶんぶんと首を振る。けれど、そんなカズマの頬を片腕に座らせて、そして開いた手でしっかりと少年の頬を、包み込んだ。
 そらせない、視線。


―お前が、一番失いたくないのは、何だ?
―お前が、今一番求めているのは




 誰の、腕だ?




(誰の…腕……)

 短い髪の、人のいい顔の男を思い浮かべる。
 屈託なく笑う、彼の笑顔が。
 どうしてそんなに、脳天気に笑えるんだろう。それが、羨ましくて。
 でも…ひどく安心できた。

 一度止まったはずの涙が、また溢れてしまう。
 どうして、こんなに涙もろくなったんだろう。
 悔しいからとか、そんなのでもなく。
 ただ…
 

 クーガーの優しい大きな手が、頭を撫でてくれる。

 
― 安心しな、アイツはお前のことを、離したりしないさ

 確信に満ちた、柔らかい表情で、クーガーはカズマの涙を指で拭ってやる。
 触れられた場所に、温かい感覚が残る。

― だから、お前も信じてやりな、アイツをさ
 

 ふわぁっと体が浮き立つような、感覚にカズマは包まれる。
まるで、背中に羽根がついたように、体がふわふわと宙を舞う。
絡めていた、指が。クーガーの首から離れそうになって、カズマはイヤダと抵抗する。しかし、それに反して、絡めていた指が外され、ふぅっと飛ばされるように高く体が舞い上がった。


 空に浮かび上がっていくカズマを、クーガーは優しく笑って見送る。
カズマの涙が頬を伝って、雨のように一粒落ちてきたのを頬で受け止めた。

(クーガー!!)

 必死で伸ばすカズマの指を、クーガーは最後に強く握り返して、その耳元で。伝えられなかった言葉を、カズマに刻み込ませた。


― お前がオレを呼んだら。
 お前のもとにすぐ、行ってやるよ。


 指で、カズマの体を引き寄せて。軽く唇にキスをした。
 兄としての、愛情。親としての、愛情。同じアルター遣いとしての愛情。
 そして。

 恋愛の対象としての。想い。



― それなら、怖くないだろう?カズマ



 唇が離れていく瞬間に、呟かれた言葉を、カズマは強く刻む。
 そして、鏡の中に映されたあの、想いでの笑顔以上に、鮮やかに、無邪気な微笑みをカズマはその表情に浮かべた。

 それから。絡め合っていた指が、離れていく。
 もう、過去に。囚われることは、ないよと、言っているように。


 今、一番求めているのは。
 今、一番守りたい自分の、『表情』は。


 誰に、向けられたモノ?


 ふぅっと意識が薄らいでいく、感覚がカズマを静かに目を閉じさせる。
 頭の中で、誰かが呼んでいる気がして、耳をすます。

 もう、怖くないと思ったから。
 その声に、自分をありのままみせても大丈夫だと。
 一度は失った感情を、もう一度くれたのは、誰?


 それは。


 鏡の中で自然にじゃれていた、自分を。認めて。
 アイツを、信じられるくらい、強く、なれ。












『裏切るとか、そんなのわかんねー。
 ただ、アイツがオレに向けてくれる笑顔が嬉しいから、それは守ってやりたいし、誰にも渡してやんねぇ。』

『ヒトリニなんて、させないさ。
 迷子にも、させねー。』

―だから。自分がどこにいるのか分からなくなったら。
 オレを呼べよ。
 絶対、探し出して。連れ出してやるよ

 なあ、カズマ。





誰かが、遠くで呼んでいる気がする。早く、帰ってこいよと。
その方向に、視線を向けた。
そして、自分の手を、初めて、『自分から』
あの人の処へ。差し出した。


「きみ…しま?」

 ゆっくりと、意識が浮かび上がっていく。冷たい空気の感覚が、温かい肌を刺激する。

「カズマ、起きたか?」

 既に服を着て、ベッドの横のイスに座っていた君島を、カズマは静かに見つめた。なんとなく、キミシマの表情が今までとは違うような気がして、小首を傾げる。

「なんだろ…キミシマ、お前オレが寝てるウチに…変わった?」

 鈍感なクセに、こういうところはやたらと鋭いカズマに、君島は小さく笑ってカズマの顔を自分の胸元に引き寄せた。
 うぷぷっと突然の行動に慌てふためくカズマを力づくで自分の腕の中に閉じこめると、その頬を強引に上に向けさせる。

「な、なにしやが…ぁん!!」

 強引にこじ開けられた唇から、君島の舌が素早く侵入してくる。カズマは、一瞬逃げてしまいそうになったけれど。なんとなく、その君島の舌に答えてしまう。
 自分から、絡めていく舌を。
 君島はゆっくり味わっていく。

 カズマは、長いキスをされながら、ちらりと視線を横に向ける。生理的な涙が既に、彼の正常な視界を奪いつつあったけれど。

 鏡に映った自分たちの姿を捕らえることは、出来て。
 そこに映る、自分の姿。


 キスを奪ってくる、君島の姿。


 そう、コレは、君島、だと。


 長い、キスが終わり。カズマは、ゆっくり目の前の男を見た。


「…きみしま…だったんだな」
「…?」

 そういって艶やかに笑うカズマに、君島は不審に思ったけれど。
 その幸せそうな笑顔が、確かに自分だけを見て、自分だけを映していることを感じて、もう一度、唇を近づけた。

「もう、迷子になんて。なるなよ?」

 そういって笑う君島にカズマは驚いたような顔をして見つめるが、子供っぽい表情で、舌をぺろっと出す。

「迷子になったら、オレを見つけてくれるんだろう?」

 ニっと、可愛い言葉で可愛く挑発してくるカズマに、君島は叶わないな、といった表情で笑う。

「分かりましたよ、オヒメさん。いつでも、行ってやるから。呼べよ?」
「おっけー、下僕♪」

 ふふんっと甘えたような表情で、高飛車にいうカズマの声が笑い声に重なる。
 下僕でもいいから、なんて思うくらい、カズマにイっちゃっている自分が情けなくもあるけれど、それでもカズマが自分に向けてくれている笑顔を守りたいと思う気持ちはもちろん本物だから。
 誰に負けるつもりもなかった。


「きみしま」

 ぐいっとカズマは突然君島の体を自分の体の方に引き寄せる。
 ぎしっというスプリングのきしみが、軽く響いて君島がカズマを組み敷く形になる。カズマの紅い唇が否応なく、目に飛び込んできて、今さらながらに体が熱くなる。
 カズマの方はそんなつもりはないようで、君島の頬に両手を添えると、無邪気ににっこりと笑いかけた。

「うっそだよ、君島。下僕なんかじゃねーよ?」

 その言葉に君島は、ドキっとする。
 オヒメサマは、罪もない微笑みで。
 『奴隷』の耳元で可愛く囁いた。


「ナイト、くらいにはしてやるよ」


 そう言うことを言えるのが、既に君島が自分の下僕だと分かっているからの言動だと思えるのだけれど。
 君島は、まあいいかと思いつつも、それじゃあ騎士として、しっかり姫を守らないとイケナイから。

 にやっと人の悪い笑顔を浮かべて、カズマを組み敷く腕に力を入れる。
不穏な何かを感じたのか、ひくっとカズマの笑顔がひくついたが、もうこの状態で抵抗してもあとの祭り。

「…き、きみしま?」
「すーぐにどっか行っちまうヒメサマをしっかり守らせてもらうために」


― ベッドに縛り付けさせてもらうぜ!


 カズマの弱い箇所を少し刺激すると、感じやすい体は即座に反応を返してくる。ぎゅっと、目を閉じたカズマの可愛い姿に、君島はこのままもう一回…と、カズマの素肌に自分の指を這わせようとした瞬間。


 バコン!


 ぎゃあっとカエルが潰れたときのような声がしたかと思うと、のしかかられていた体重が不意に消え去り、その直後ばったんと派手に床の上に何かが倒れる音が部屋に響いた。
 異変に気付いてカズマは慌てて目を開ける。


「だぁぁぁ!!?き、きみしまぁぁぁ!?」


 仰向けに床に、まさにカエルがひくついているような無様な姿で倒れている姿に、カズマは慌ててシーツを適当に巻き付けて、ベッドから降りる。

「……き、きみしま…?」

 よく見ると完全に意識を飛ばしている君島の、額に。
 何かが強烈にぶつかった後が見えた。
 うん・・?と思って近くを見ると。


「なんで、こんなところにエタニティエイトが……」


 ころんころんっと転がっていたのは…コレは。

「危機一髪でしたね、カズマ」

 その声に、カズマはゆっくりと後ろの窓を見遣る。

「……なんで、お前……ココに?」
「いえ、ちょっと市外のコトを知ろうと、ずっと旅していたんですが、たまたまこの近くを通りかかったら、アナタの声が聞こえるじゃないですか!」
「……」

 なんでこんな深夜に歩いているのかとか、一体「声」とはどんな声を聞いていたのか…聞きたいけれど、怖くて聴けない事柄に、さすがのカズマも溜息をつくしかなかった。

 でも、まあ。

 カズマは床にノビているスケベ騎士を冷たく一瞥すると、アスカにちょっと高飛車に命令する。

「コイツ、どっかに捨ててきてくんね?エロ菌が映るから、気を付けろよ」

 そういってにっこりと笑うカズマに、アスカもニッコリと笑い返す。

「はい、こんなコトになったのも僕のエタニティエイトのせいですから★」

 どかっと、床に転がる物体を踏みつける。
 カズマはそんな様子をみて、大きくあくびをつく。

「じゃあ、オレ、もう今日は疲れたから寝るわ」
「では、僕はあなたの傍で起きてますよ?」
「……なんで……?」

 じとっと不審な目で見上げるカズマに、アスカはこともなげに言い放つ。

「だって、僕はアナタとの勝負にまで決着を付けてません、だから、もし今日敵がきて、アナタを殺して行かれたりしたら困るんです。」
「……………はぁ」

 訳の分からないアスカの申し出に、首を傾げてしまうけれど。まあいいか、とカズマは素直に頷く。
 じゃ、捨てますねーっと、罪悪感のカケラもない様子で嬉々としてエタニティエイトに君島を運ばせる。
 その様子を見て、独立体のあんなアルターもいいなあ…なんてカズマは思いつつ、目を閉じる。


「僕が、しっかり見守っててあげますから♪」


 アスカの嬉しそうな声を聞きながら、どうしてこんなに嬉しそうに言うのかやっぱり納得できないけれど。
 ノビてしまった無様な君島の姿を思い出す。



―やっぱり…下僕に降格……だよなぁ



 はぁ…。
 目を閉じて眠ろうと思うけれど、アスカの視線が妙に気になる。

「キャミーも可愛いけれど、あなたの寝顔はもっと可愛いね」
「……………………」

 聞かなかったことにしよう…そう思いながらも、どうして自分の周りにはこんなヤツばっかり何だろう…少し、なんとなく。
 スピード狂の男に、愚痴りたくなった。


 けど、まあ。

― また、明日な。君島★

 何処まで捨てられたのか分からないけど…

 疲れ切っていたカズマは、気持ちも軽く静かに意識を落としていった。
 今度は、鏡の国に、迷い込まないように。
 そう、自分に言い聞かせて。






オマケ

「……こんな脚本にしたのか?」
「…変な奴らが多すぎるのである……」

 ピンクのアフロ髪は泣きそうに愚痴った。
 ラストは、こんな風に終わるはずではなかったのに…
 君島とカズマのラブラブ……だったはずが、横にいる男に書き直しを命じられ。クライエントの希望は、自分とのラブラブだったらしいが…
 その前に、突然現れた元ホーリー。
 脚本がめちゃくちゃだ…


 自分の仕事に自信喪失しだした脚本家に、クーガーは豪快に笑いかける。

「まぁ、夢の中でしっかりカズマに会えたからな。クライエントの要望にしっかり…とは言えねぇが、仕事はできたんじゃねーか?」

 クーガーは車にもたれ掛かると、小さく笑った。
 複雑な表情をしつつも、ピンクアフロの雲慶は、明日の仕事もあることだし、と部屋へと戻ることにする。
 それに引き続きクーガーも戻る。


「明日も、あさっても仕事がつまっててな、大変なのである」
「…忙しそうだな?」
「ああ、明日は、隊長から、あさっては…なんとあの劉鳳からだ。」
「……」

 クーガーは、まさか…と思う。
 その視線のイミに気付いたのか、雲慶は両手を上げてお手上げのポーズを取る。

「仕方ないのである。私はクライエントの希望に添った脚本を作らねばならないのだからな」

 ただし私は断じてや○い作家ではないのである!!!!と主張して半泣きになっている雲慶に同情の眼差しをおくりつつ。
 


 クーガーは冴えない容貌の、あの男を思い浮かべる。
 一応カズマはあの男に預けてきたけれど……


 なんだか一人娘を嫁に出したような心境に陥る。
 

「やばいかもしれないな……」

 世界を縮める速さで、カズマの元に駆けつけなきゃならないような気がする。まあ、そのためにも。

「今日は寝るかな」

 
 私は徹夜でシュラバであるー、雲慶の叫び声を聞き流し、空を見上げた。

「今日は、ゆっくり寝ろよ、カズマ」

 人工的なネオンのない、市外の空は綺麗な星が煌めいていた。
 
 文化的生活もいいけれど、こういう自然の世界も、本当はいいものなのだろうなと、そう思った。


           終わり

COMMENT*タイトルに、あまりイミはありません(またかよ・・・)
 勢いのまま書いた君カズ・クーガーxカズマ。すみません、訳が分かりません・・マジで。何が言いたいのかとか、良く分かんないですね。とにかく、クーガーが君島に、カズマを頼むぞっとゆってる・・・話し(笑)ちなみに、クーガー、カズ君のお初を奪っていますね。おいおいおい。
ただクーガーとカズマの過去に何があったのかとかわかんないので、そこら辺はかなりぼかしてしか書けませんでした。ちなみに、夢の中に侵入するってのが、スクリプトでした(笑)わかんねー・・・。でも、やっぱり最後はアスカズオチ。どうも、私の中のアスカのポジションはほぼ決まったようです・・・美味しいところはかっさらう、無敵の攻め。君島・・・哀れなり。