空が高いね |
Prologue 閉じこめられていたあの鉄のすきまから。 いつも見上げていた。 空を。 鳥が飛ぶ、空。 雲が浮かぶ、空。 太陽が、輝く…空。 色々な、表情をする、大きな空。 500年間、ずっとアソコにいて。 何していたんだろう? 何を見ていたの? 何も、何も言葉では表せられないけれど。 ただいつも感じていたのは… 『空が、遠いね…』 Episode 1. しゃりっと、心地よい音が足下から聞こえる。 静かな、冷たい空気が自分を取り囲んでいることを感じて、悟空は小さく肩を震わせた。 既に季節は秋も終わり頃、晩秋にさしかかる。青々と茂っていた木々は、赤や黄色にと衣のお色直しを始めていた。 「…もう、こんなに寒くなってるんだ…」 実際そこまで冷え込みはないものの、朝の冷気、しかも寝起きでパジャマ代わりの薄手のTシャツと短パンだけでは、寒さも強く感じられて当然である。 こんな朝早くに目覚めることのない、寝ぼすけ子猿ちゃんにはそうそう体験できない朝の感覚だった。 そして、なぜこんなに朝早くに目覚めてしまったのかというと…。 自分の窓をくちばしでつつく、何かの音に起こされてしまったから。 いつもならそんな音で起きてしまうようなヤワな眠りの深さなんてしてないのだけれど、なぜか今日は小鳥の元気な声と、くちばしの音に目が覚めてしまって。 なぜか二度寝をする気にもなれなかったので、三蔵を起こさないように注意しながら、一人朝の散歩をすることにしたのである。部屋から出ていくとき、こっそりとパンを1つ持って出てくることも忘れずに。 自分が食べるため、というのもあるけれど。 さっきの小鳥と一緒に食べよう、そう思ったから。 でも…どうして起きてしまったのだろう? 「夢を…みたからかな?」 と、パンを鳥と一緒に食べ、そろそろ帰ろうと歩き出しながら。起きてしまった理由を考え、悟空は小さく首を傾げた。 悪夢で目覚めることは、三蔵の寺に引き取られてからも度々あることだった。最初のウチはいつも見ていた夢。涙が止まらなくなって、小さく呟くと… 『静かにしろ』 と、怒ったような、でもどことなく甘い声で三蔵が… 怯える自分の頭を優しく撫でてくれる。 ―どうして、来てくれるの? 『お前が、呼ぶんだろう?』 呆れたような、声。 でも、自分にはそんな自覚はないのに。 だけど。 嬉しいから…、それでいいのかなって思って。 三蔵の手を握りしめて、眠った。 小さな頃の、コト。 今日見た夢は…その頃に見ていたのとは違う…気がする。 小さい頃見た夢は、ただ怖くて、一人になるのが怖くて、目が赤く染まるような…強い苦痛と、嫌悪。 だけど…今日見た夢は。 強く、何かを望む夢。 石牢に閉じこめられていた、自分。 そこから見えたのは、広くて、遠い… 「イタっ!!」 ぴんっと長い髪が何かに引っ張られて鈍い痛みをもたらす。そして耳元で、ぱさっと何かの羽ばたく音がする。 「え…?」 慌てて悟空は引っ張られるがまま振り向くと。 小鳥の黒い瞳が悟空の金の瞳とぶつかり合う。 「…小鳥…さん?」 悟空の茶色の髪を引っ張っていた犯人は、一緒にパンをつついていた小鳥。 悟空と視線が合うと、つんつんっと、まるで合図をしているかのように、自分が向かおうとしていた宿屋の方向とは違う道へ、小鳥は誘った。 「どこに行くの?」 悟空は小さく鳥に尋ねるけれど。それに答えるはずもなく、囀りながら鳥はゆっくりと羽ばたいていく。 「…!待てってば!!」 悟空はどうしよう、と一度三蔵のいる宿屋の方を一瞥した。 …後で叱られるかもというイヤな考えは頭をかすめたが、好奇心には、子供は勝てないモノで。 いままで悩んでいた表情は何処へやら。悟空は楽しげな期待に心をいっぱいにして、先を飛んでいく小鳥に向かって澄んだ声で呼びかける。 「オレも行くから!あんまり先に飛んでいかないで!!」 悟空は元気よく走り出す。くしゃっと、落ちた葉を靴が踏みしめる音が静かな朝の静寂に心地よい響きを醸し出した。 朝の、一瞬の清涼感。キラキラ光る、朝の太陽は今日も一日が始まることを告げるように、東の空から大地を照らしていた。 ** ****** ** たたたっと元気のいい足音が響き渡る。さっきまで肌寒く感じていたのに、今は微かに汗が滲むくらいだ。 悟空が自分を見失わないように気を付けてくれているのか、小鳥は低いところを、枝に留まってはまた羽ばたく、といったように道を教えていく。 一体どこにつれていってくれるのかな、というわくわくした気持ち。 この空を、自由に走っているという爽快感。 はあはあと、息が少し上がるけれど全然苦しくない。楽しい気持ちでいっぱい。 つながれていたときには、感じたことのない感覚。 いや、むしろ… 『感じちゃ、いけない、感覚?』 (…え?) とくん、と心臓が大きく鼓動を打つ。 前へ前へと進ませていた、軽いステップが、どんどん重く感じていく。 小さな牢屋の中で。 鳥が飛んでいる姿を見ていた。あんな風に、大地を走れたらいいのにと、思いながら。 だけど、一方では。 『つながれていないと、イケナイ』 小さな胸の痛み。 自由になんて、なれないのに… そう思っていたけれど。 今は自由に駆けめぐっている自分がいる。 ちちちっと小鳥の高いさえずり声が耳に入り、もやもやとした思考に足を止めそうになっていた悟空は、いつの間にか視線を地面に落としていたトコに気付き、慌ててそれを前に戻す…と。 「う…わぁ……」 目の前に、一面広い広い、青色と緑色が広がっていた。 「ここ…丘?」 小鳥の飛ぶ方へと導かれていただけの悟空は、何処を走っていたのかすら分かっていなくて。 結構息が上がっていたのは、坂道を上っていったからのようだった。悟空は走るのをやめ、ゆっくりとその小高い草に覆われた丘へと歩みを進めた。 火照った頬を優しく撫でていくように吹く、微かな風が気持ちよい。 小鳥はそんな悟空の驚いた表情に満足したのか、羽を休めようにゆっくりと、近くの切り株に留まる。 小さなつむじ風が、草を悪戯に掠めていく。 優しい空間。 「…すごい・・な」 丘の端、村が一望できるところまで悟空は行くと、そこでぼんやりと呟いた。 「キレイ…」 何もかもがミニチュアのように見える、風景。 蒼い空の下に広がる、村。 三蔵が、いる場所。 そして自分がいる、場所。 悟空はゆっくりと目を閉じた。 風を感じる。 自分が大地の上に立っていることを感じる。 なのに… 「ここが、今、自分のいる『場所』?」 目を閉じて、感じてみる。 石の牢に閉じこめられていたとき、鉄格子から憧れと恋にも似た気持ちで、見つめていた空。 一人きりで、空を見ていた。 手を伸ばして、掴まえたかった。 水色の空を? 赤色の空を? それとも、闇の空を? 悟空の柔らかい髪が風になびく。 さらさらと微かな音を立てて、舞った。 ちゅんちゅんと、小鳥のさえずりが大きくなる。 その声に悟空は閉じていた金の瞳をゆっくりと開き、小鳥の方をゆっくりみやる。 「…お友達?」 一羽だった小鳥の周りに、数羽加わってぴょんぴょんとはね回っていた。 その光景に悟空は柔らかく微笑むと、再び視線を空に戻す。 ふわりふわり、とした浮遊感。 「…ぁ」 足の感覚が、抜けていくように思えて、悟空はその場に、寝転がった。 そのまま立ってたら、飛びたくなるような感じがして。柔らかな草の上に体を横たえた。 「飛べるはず、ないのに」 小さく呟いたのは自分だけど、それが胸に鈍い痛みをもたらす。 さわさわ揺れる草が悟空の頬にかかる。 少しくすぐったくて、笑う。 心地よい、時間。背中から伝わる土の柔らかさが悟空を包み込む。 「こんなに、優しいのにね」 大地に包まれる、自分。 愛してくれている、と感じるのに。 悟空は今朝見た夢を思い浮かべた。 ―空にさしのべた、手。 じゃらっと鎖の音が響く。 瞳を開き、悟空は目の前に曇りなく広がる空を見つめる。 石の牢で見たときと同じ、空。 でも、今は、邪魔な鉄格子はなくて。悟空の瞳の中に、澄み渡って存在する。 (…吸い込まれそう……) ふと、そう思う。 ゆっくりと、悟空は空に向かって、手をのばす。 「空は…遠いね」 すいこまれそうな、空。 どうして、こんなに遠いのかな。 羽が生えて、飛んでいけたら空は近くなる? ― どうして、こんなに空が恋しいの? 蒼い空を輝かせる、光。 「太陽…」 金色の、あったかい…… 「さんぞー……」 鳥が羽ばたく音が聞こえる。 蒼い空に白い羽を羽ばたかせて、飛んでいく。 さしのべていた腕から力を抜く。 「あの蒼に吸い込まれても…」 その先に、誰か手を取ってくれる人がいるのかな。 寂しい気持ちが溢れてきて、閉じた瞳。その隙間から、涙が一筋流れ落ちる。 温かいはずの、涙なのに。 「冷たい…」 ―ねえ、遠いね。お空は。 手を伸ばして、掴まえて… 僕の手を、僕のココロを。 ずっと遠くの記憶。 ずっと昔、忘れてしまった、大切な…… 「さんぞ…」 ふぅっと、意識が沈んでいく。 だけどもう一度だけ蒼い空が見たくて、瞼を開ける。 変わりなく存在する空。 ひらりと、羽が舞い降りてくる。 それを見届ける前に、意識は遠ざかる。 最後、その羽とは違う、キラっと優しい金色が見えたけれど、なんだろうと思うこともなく悟空は心の瞳を閉じていった。 「―」 唇に、大切な人の名を浮かべながら。 Episode.2 自分を呼ぶ声。 うっとおしくてたまらないのに、でも必死に自分だけを呼び続ける声に、辟易する気持ちと裏腹に。 高鳴る、気持ち。 ―どうして、オレを呼ぶ? そう尋ねると、小さな金色の瞳をした子供は不思議そうに首を傾げて、言った。 『オレ、呼んでねーもん』 うるせーんだよ、と一言言いたかっただけ。 それだけだ、ただ。 なのに。 *** **** *** ゆっくりと寝ていたベッドから下り立つと、三蔵は悟空が出ていったドアをちらりと見遣る。 静かに、自分を起こさないように出ていったつもりなのだろうが、眠りがそう深くない三蔵はすぐに気付いた。しかし、止めることもなく。 悟空を見送った。 静かになった部屋は嫌なくらいに冷え込む。二人分の吐息が聞こえていたこの空間に、今は自分一人。 そんなことは、ずっと当たり前だったのに。 いつの間に、2人でいることになれてしまったのだろうか。 そこまで考えて、三蔵はくだらないとばかりに冷たい笑みを微かに浮かべた。 そして。 悟空のベッドを見遣った。 小さな金色の瞳の少年。 『三蔵!』 にっこりと、無邪気に微笑んでくる。何も打算のない純粋な信頼。うざったいとか、そんなこと思いもできないくらい、まっすぐな光で自分を見つめてくる。 だが。 時折見せる、愁いを帯びた瞳の色は。 三蔵の心をきつく締め上げる。 ―何を、見つめている? 何を、待っている? 一人で空を見上げる悟空の姿を見るたびに沸き上がる、黒い影。 「悟空」 呼びかけると、静かに振り返る悟空の表情は泣きそうなくらい頼りなげで、消えそうなくらい儚い。 悪夢に、うなされるときも同じ。 条件反射のように、叫ぶ言葉。 『一人に、しないで』 『置いていかないで…』 悲痛な声を包み込むように、精一杯抱きしめてやった。キャラじゃねーな、なんて思うけれど。 コイツを、拾ったのはオレで。 オレを呼んだのは、コイツ。 表情を失った泣き顔は、それでもキレイで透明だった。 「子供のくせに…」 自然と漏れる独り言。 タバコの煙が、部屋に満ちる。カーテンの隙間から射す光は明るいのに。それを焦がれるように見つめる悟空の瞳も輝きを秘めているのに。 「どうして……」 一人で空を見上げる悟空。 吸い込まれていきそうだ、と思った。 静かに流れる、涙は何を見て流れる? 何が見えなくて、泣く? 苛立つ心がほとんど吸われていない煙草を揉み消す行動を起こさせた。 「…何を、迷ってやがる」 カーテンをシャっと、乱暴に開いた。 暗闇に慣れた瞳に大量の光が襲いかかる。 しかし三蔵は、その光を睨み付けると、吐き捨てるように何もない、空の空間に言葉を投げつけた。 「オレを呼べばいいんだよ、悟空」 お前の手を取ったのは、この自分。 「誰でもない、このオレだ」 一度手に入れたものを易々と離すほど、バカでもなければお人好しでもない。たとえ、別の所有者が以前にいたとしても。 今は、自分のモノ。 返せといわれても、返す気なんてない。 置いていった、ソイツの自業自得だ。 悟空の心を占めている奴が誰かとかは関係ない。 今、悟空の手を取ってやることが出来るのは、自分しかいないのだから。 何に怯えているのか、何に焦がれているのか。 苦しいのなら、呼べばいい。 オレの、名前を。 『さんぞ!』 にっこりと笑いながら、じゃれてくる小さな躰。オレの名を呼べば呼ぶ程、足に繋がれた鎖の重さは増していくかも知れないけれど。でも、 ―背中の羽は、治っていくだろう? 飛べなきゃ、仕方ない。 けれど、ムリして飛び立って死んでしまったらイミはない。 ガラス戸を開け、蒼い空を見上げる。ムカツクくらいに澄み渡った空。 この空のどこか、また悟空は一人で見つめているのだろうか。涙を流して、忘れてしまった記憶の人の名を呼んでいるのか。 「そうじゃねーだろ?」 三蔵は目を細めると、低い声で1つの存在に言い聞かせる。 「お前が呼んで、手を取ったのは…誰だ?」 目を閉じて、強く呼びかける。 ―呼べよ、オレを 悟空…… 部屋の空気の澱みを払拭するように、開け放たれた窓の隙間から風が通る。 その風が運んできたのだろうか。 小さく、心の中に響く声。 三蔵は知らぬ間に握り潰していたタバコを灰皿に乱雑に投げ捨てた。 そして、微かに口の端をあげて微笑する。 「…それで、いいんだよ」 どこにいるのか、どこにいけばいいのかも伝えてこない。だが、一人で泣いている少年の姿は心がしっかり受け止めている。 机の上に無造作に放り投げられた上着を取ると、三蔵はゆっくりと部屋を後にする。 『さんぞー…』 小さく、自分の声を呼ぶ、元気なくせに泣き虫なてのかかるペットを迎えに行くために。 * * ピチピチっと、開け放たれた窓の外で小鳥の声が一際楽しそうに、嬉しそうに、そして少し淋しそうに囀る。 ―これでいいのだよ、 と。 ―空は、遠くないよ…と。 伝えているように。 Episode 3. 空が蒼いね。 吸い込まれていきそう。体が軽くなって、飛んで行けそう。 ―あの先に、誰が待ってるのかな? 忘れてしまった記憶が、あるのかな。 だけど、空は遠いよ。 とっても遠くて、なぜだか、涙が出た。 一人きりで泣いてる自分。ここは、何処? 『石の牢』。 ―どうして、ココにいるの? …が、オレを連れ出してくれたはずなのに。また、ここにいなきゃイケナイの? 冷たい感触が生々しくて、体が震えてくる。そして、ふと、気付く。 『違う』と。 ココは、石の牢じゃない。 鉄格子から必死に外を見上げる。 蒼い空、澄んだ…綺麗な…… 憧れた、切望した世界。 なのに、そこに広がっている世界はまるで違っていた。 「何も、ない?」 どうして?どうして? 石の牢じゃないの?じゃあ、ココはどこ!? 慌てて立ち上がろうとして、何かに足を取られてそのまま地面に座り込む。その瞬間にじゃらりと足にかけられた鎖に気付いた。 「…なんで?」 その時、小さな小鳥が突然現れた。 ぴぴぴっと囀る声に乗せて、伝えられる言葉。 ―ココは、石の牢じゃないよ 「じゃあ…何処?!ねえ、オレ何で・・!?」 ―だってキミは、連れ出してもらったじゃないか。 小首を傾げる悟空の瞳が、どこか揺らめきを帯びる。 連れ出してもらった…そう、手を取った。あの人の手を…さしのべてくれた、あの手を… ―誰の手を、取ったの? (…誰?) ―ココはね、キミのココロが生み出した牢屋だよ。 ずっと、ずっとキミを縛り付けている、牢屋。 小鳥の黒い瞳に、悟空の顔が映し出される。 静かな沈黙。 小鳥は一際高い声で囀りながら、悟空の肩の上に留まる。耳元で、小さくぴぃっと鳴いた。 ―誰の、手を取ったの? その問いかけに、悟空の心にフラッシュバックされる風景。 「誰…?」 記憶が揺らめく、ゆらりゆらり。 不安定な、記憶。どうして、思い出せないの? 大切な、人なのに? 「…!?」 ぐらぐらっと足下が揺らめき出す。 ぼろぼろと崩れていく地面に悟空の顔が引きつる。 「何だよ、コレ!?」 危険信号を察知したのか、小鳥はピィピィっと一際高く鳴き始めた。 ―キミのココロの均衡が崩されてるんだ! ねえ、思い出して?でないと、また一人になっちゃうよ!?今までの記憶が、また消えちゃうよ? 記憶が、封印される。 「!」 頭の中がガンガンして、悟空はその場に座り込んでしまう。だけど容赦なく地面は崩れていく。 崩れ去った下は、何もないただの空間。飲み込まれたら、何もなくなる。 ずっと、もう戻れない。 (イヤダ!!) マタ、ヒトリニナッチャウノ? 反響する、声、声、声。 『コワイ!コワイ!コワイ!!!』 悟空の目から涙が零れる。 そう、いつも涙を流すと、ぶっきらぼうにだけど、とても優しく拭ってくれたヒトがいた。 ―誰?! 『大好き、…う』 夜コワイ夢を見たとき、泣き出した自分を呆れ返りながらも抱きしめてくれたヒトは…誰? どうして、見ようとしなかったの? どうして、空ばっかり見てたの? オレの手を取ってくれたのは…ダレ? 『悟空!』 叱りつけるような、強い声。 大好きな、大切な…… 足下が崩れ去るのと同時。 悟空は、力一杯叫んだ。 「三蔵!!!」 落ちていく、感覚。何もないところに沈んでいくのに不思議と怖くない。…きっと来てくれるから。 「…さんぞ……」 自分の体を、誰かが受け止めてくれる感覚を感じていた。 さしのべていた手を掴んでくれたのは、金の髪を持つ青年。 初めから、分かっていたことのなのに。あの人に手を伸ばしたのは…呼んだのは自分なのに。 くすくすと、笑みが浮かぶ。 ―ねぇ、空は? キミにとって、空は、何? ぴぃ、と小鳥の声。 悟空はゆっくりと、呼んだ。あの人の元へ、帰るために。自分の声に応えてくれた、大好きなあの人の名前を。 ―三蔵。 *** **** *** 『傍にいてね』 『傍にいるだろ?』 『ずっと、一緒にいてね』 『お前が、そうしたいと思うなら…』 緩やかに引き戻される、現実。 小さく聞こえてくる、自分を呼ぶ声。 「…くう」 微かな音が言葉として聞こえてくる。 「…悟空」 「…さん・・ぞ?」 呼ばれた自分の名に反応して悟空は、自分を呼ぶ青年の名前を呼んだ。 そして、急激にはっきりしていく意識の覚醒。 閉じていた瞳をうっすらと開けていく。 開かれていく視界の前に広がったのは空の色ではなくて、紫色の瞳。 「…さんぞ、どーして?」 とぼけた問いをしてくる悟空に三蔵は呆れ返った表情を浮かべると、ふにっと悟空の頬をひねった。 「…どーしてじゃねーだろ!?このバカザル!」 「いひゃい、いひゃい!!!」 力の容赦なくほっぺをつねってくる三蔵に悟空の意識は完全に覚醒した。 そして自分が。あの鳥に導かれるままココに来てしまっていたことを思い出し…ついでに三蔵には何も断らずに出てきたことも記憶にのぼる。 「あ…」 思わず肩を竦めてしまった悟空に、三蔵は険しい表情を少し緩めた。 「勝手に出ていくな」 短い言葉だけれど、そこには三蔵の自分を心配してくれる気持ちが感じられて、悟空はにっこり笑って大きく頷いた。 「うん、ごめん。さんぞ」 草の上に寝転がったままの悟空に、三蔵は手を伸ばして引き上げてやる。 「まったく、こんなところで寝てるンじゃねーよ。 …見つかったからいいものの」 三蔵の手の温もりに自分の手を重ね、悟空は幸せそうに満面に笑顔を浮かべた。 「大丈夫だよ。だって、さんぞー、オレが呼んだら…来てくれるんだろ?」 ―だから、ココに来てくれた…… 三蔵の腕にしがみつきながら、悟空は三蔵を上目遣いでニコっと見上げる。 少し悪戯っ子のような、楽しげな瞳を見て取り、三蔵はごつんっと、悟空の頭を殴った。 「チョーシ、こいてんじゃねーよ」 「へへへ☆」 殴られているくせに、嬉しそうに笑う悟空の姿に、三蔵は溜息をつきつつ、帰りを促した。 「とにかく、帰るぞ」 じゃれついてくる悟空を無視して三蔵は丘から下りようと歩を進めようとした。 が、悟空はちょっと待ってと三蔵を引き留めた。 「…ちょっとだけ、待って」 そう言い残すと悟空は小さく丘の端へと駆けてゆく。 風の通り道なのだろう、そこに立つだけで体に新鮮な空気が感じられる。地上を見下ろすと、動き出した村の風景が目に入る。 きっと数分後、自分たちもあの中の一部になって動いているのだろうな、と思うとなんだか楽しい気分になってしまう。 それから。 悟空は目を閉じて、静かに空を見上げた。 手を精一杯伸ばす。 流れ込んでくる、空からの清涼感と優しい波が自分を包んでくれていることを全身で感じ取った。 そんな悟空の姿を三蔵はじっと見つめていた。 風になびく茶色の長い髪は太陽の光を反射して、キラキラと輝く。小さな躰を、ピンと伸ばして空に向かって手を広げる姿は、神聖なるものを象徴しているかのように、キレイで、そして繊細。 ―吸い込まれそうだ …と思う程に。 やはり、蒼い空から来た、存在なのかも知れないと思える。けれど。 「悟空…」 じゃりっと土を踏みしめる音を立てて、三蔵は悟空の元へと歩み寄り、そしてその小さな躰を自分の腕の中に包み込んだ。 冷え切っていると思っていた悟空の体は温かかった。 「三蔵・・?」 突然の三蔵の抱擁に悟空は不思議そうな声で呼ぶけれど、三蔵はくいっと悟空の体を反転させると腕の中の小さな頭を自分の胸に押しつけた。 「うるせーよ、静かにしてろ」 三蔵の突然の行為に悟空はびっくりしたけれど、抱きしめられた腕が温かくて、優しかったから。 そのまま広い三蔵の胸に体を預けた。 「さんぞー」 小さく呟いて、悟空は見下ろしてくる紫苑の瞳を見上げた。 そして、その背後に広がる、澄み切った空の蒼。 三蔵の腕の中から見える空。 それは…いつも石牢から見ていた空、なのに。 何かが違うことに、気付く。 そう、そうなんだと。 「ねえ、三蔵。空って…遠いんじゃない。 ―高いんだ…」 空が遠いと泣いていた、自分。 だけどそうじゃなかった。 「還りたい」と感じた空は、遠いところにあるんじゃなくて、ずっと高くに存在しているだけ。 ずっと高いけれど、近くに在る存在。 還りたい、と感じる心は今も変わらない。 手を伸ばして、自分を掴まえて欲しい。 けれど。 「悟空、何見てる?」 三蔵の不機嫌な声。 自分を見ないで、空を見つめる悟空の視線をくっと、指先で自分の瞳に合わせるよう、修正する。 「空、見てた」 悟空の応えに、三蔵はぴんっと軽く腕の中の少年の額を弾いた。 「そんなもん、見る必要ねーよ」 ―オレだけを、みてろ そう耳元で囁く三蔵に、悟空はにっこりと笑って再びあたたかい胸の中に顔を埋めた。 優しい鼓動、包んでくれる腕。 ―キミにとって、空は、何? 自分だけの空を、見つけた…… 石牢の中で、一人描いていた空。 飛び立てる、空を。 見つけていたんだということ。 自由だということ。 三蔵の手を取ったときから…自分だけの空があったのに。 (何も、見えていなかったから。) 囚われていたのは、自分の心が生み出した鎖の幻影。 「三蔵…あったかい……」 呟く悟空に、三蔵は無言で腕の力を強める。 そう、ここはあったかいだろ? だから、出ていく必要もない。 ―お前が手を取ったのは、空に「いた」奴らじゃない。 オレ、なんだから。 三蔵は、空を仰いで挑戦的な瞳で睨み付ける。 「お前らに、悟空は渡さねーよ」 澄み渡った、蒼空。 ぴぃっと楽しげに、嬉しげに囀りながら蒼い空に吸い込まれるようにして飛んでいく、小さな鳥。 空は、遠いんじゃない。 ―高いだけ。手を伸ばせば、きっと掴めるよ。 小鳥は大きく空を旋回して、そして一枚の白い羽を2人に贈り、消えていった……… Epilogue. あきらめない、空を掴むこと。 自分だけの、空がきっと見つかるから。 ジャンプして、笑って、手を伸ばして。 そんな自分を受け止めてくれる、自分だけの空をみつけよう。 **** **** **** 一緒に手を繋いで歩いていこう。 さしのべてくれた手を取ったとき、自由になれた。 焦がれていた空を、自由に飛べる、「私」 色んなところに行くのが好き。 次々と変わる、風景。ヒト、出来事。 でも、変わらないものもある。 それは、自分たちの頭の上にある、空。 だけどそれだって、変わらないものじゃない。 空の色なんて。 一人で見ているときと、みんなの存在を感じて見ているときとですら変わってるよ。 違う、色。 ぼやける蒼 霞む赤 優しい闇 こんな風に空は変わるんだね。 繋いだ手を、悟空は嬉しそうに見つめる。 「ね、さんぞ。オレすぐにどこかに行っちゃうから… 迷子にならないように、オレの手、強くにぎっててくれよな」 甘えるようなしぐさに、三蔵は少し目を細めると、小さく頷く。 「ああ、すぐにどこかにいっちまうからな。しっかり握っておいてやるよ。その代わり…」 ―お前も、オレの手を離すんじゃねーよ 返事の代わりに、にっこりと笑う悟空に三蔵は優しく囁いた。 「部屋に戻ったら、髪結んでやるよ」 今日も晴れ。 蒼い空。 吸い込まれそうなくらいのいいお天気。 幸せな一日が、始まる、そんな予感― 〔END〕 |
COMMENT:これは、同人誌からの小説です。某所のイベント用に急遽作った話。でも、この空の高さをテーマにした小説を書いておきたかったので、嬉しかったですね。かなり気合いの入った小説になったと思うんですけどね。キスどころか、手を繋ぐまでボディトークが進まないこの二人・・・・健全ですね(笑) もどかしさもほどほどにしないとなあって思いつつ、この二人はエロかもどかしい話かってのが似合う気がするんですよね。逆に切ない系は焔空かなと(爆) |