雑学・薄学・豆知識

「妙好人」について


あるとき、ネットサーフィンをしてるときに、「妙好人」ということばを知った。恥ずかしながら小生はそれまでは知らなかったのだ。私が求めていた行き方というか、今は、すごく心打たれている。

「妙好人とは」
もともとは純粋で信仰心の篤い念仏者一般をさす言葉であるらしい。 何の学識も知識もなく、ただ一心に仏を思う。そこから自然に出る篤い信仰心を持ってる人ということだろう。

妙好人の共通点は
第一に、生命を尊重する気持ちが非常に強いこと。
第二に、謙虚である。その謙虚さは人間にだけではなく、
      すべてのものに対して謙虚であること。
第三に、自分を詳察するというか、自分を振り返ること、
      言い換えると求道心と言ってもいいと思いますが、それが非常に強い。
第四に、すべてのものについて、恩を感じている、感謝する気持ちが強い。

毎日毎日、新しい発見をして、普通の人からすれば何でもないことに、目を向け、喜んでいることが多い。

例えば、急に夕立に出会い、ずぶ濡れになってしまっても、慰める人に対して、イヤイヤ鼻が下向きに付いていて、良かった良かったと、喜びの言葉を言ったり…。

どんな辛いことでも、嫌なことでも、今日が、し始めのし収めである、二度と、し直しはできないと、嫌であるとか嘆いたり、決してしない。

また、こんなことは、つまらないことと飽きがきて、粗末になりがちなことも、毎回毎回精一杯全力で立ち向かっていることです。

今、この瞬間を粗末にしないで、大事にする生活です。明日も明後日もあると、迂闊に時を過ごさずに、その瞬間を精一杯生きておられます。

一回一回、一刻一刻を大事にする生活ですね。

そんな妙好人もたくさんおられたのだが、私の住まいする大和におられた
「大和清九郎」
という人に関心を持ちました。



大和清九郎(やまとせいくろう)

 「和州清九郎」とも 住んでた地名で「鉾立清九郎」とも呼ばれていたらしい。


●延宝六年(1678年)、谷田村に生まれ、幼少のころ両親とともに丹生谷村に移転、ここで生長した。「せいくろう」と仮名で書かれたものでも読めない無学文盲であったが、孝心深く母によく仕えた。清九郎の親孝行が高取藩主の耳に入り、ほうびに米5俵を与えられるが、「子が親に仕えるのはあたりまえ」と言って辞退する。その志にうたれた藩主は再び清九郎を呼び、領内の山の木や柴を自由に刈り取ってよいという特権を与えた。

●買い手が言ったとおりの値段で売った清九郎に対しても、「其の故後々には清九郎の売りに出たる薪は値切る人無しとなり」

●「清九郎さんを訪ねて来たりて『清九郎は尊き信者なりと聞き伝え、遠路を訪ねて来たりしに、其の甲斐もなき大悪人なり。それでは極楽往生はなかなかかなうべからず』と言われた。清九郎さんはこれを聞いて大いに喜び、『これまで御寺様がた彼是お尋ね下され、御法話いろいろありがたき御教化に預かりしが、今日はとりわけ御懇志の御しめしにあい奉り、さてさてありがたき御事なり、仰せの如く私のようなる大悪人地獄一定のものなるを、このままにて御助け下され候如来の御本願と聴聞おさせなれ下され候えば、これでいよいよ往生決定なり。

●清九郎は、毎年5・6回も本山(東本願寺)詣りしたが、その信念行実が漸く名高くなったある時、十八代法主従如が彼に会おうと従者に告げた。聞いて大いに喜び直ぐに対面所に伺候すると、係りの役僧が彼の常着を咎め、烏帽子・素袍を着用すべきことを申し渡した。彼は頗る恐縮して「平素このままの姿でいつも御本尊様や御真影(親鸞木像)に拝礼してますので、うっかりとただいまも参上しました次第」とひたすら詫びいったのである。しかしこのいきさつを聞き入った従如は、さすがに感じそのままの対面を許し盃も与えたというのである。

●生活をともにした村人は、妙好人に対して敬愛の念を抱き、清九郎のように、「生質魯鈍にして我が冠る笠に、鉾立清九郎と仮名にて人の書きてやりけるをさえ、読むこと能わざる程の人」であっても、決して馬鹿にした扱いはしていないのである。

●大和清九郎は、なけなしの金(菜種の代金十五匁から洗濯料八匁を払った残り七匁)を盗まれたとき、非常に喜び、村人から何故嬉しいのかと問われたが、次のように答えている。「其の故は盗まるる私も同じ生まれつきの凡夫にて、盗みかねぬ者なるに、今は御慈悲より盗み心も起こらず、かえって盗まるる身になりたることはありがたきことなり」