来たるべき行く末を儚く思い悩む事で



 無言でこちらを睨んでくる。敵どころか隊士たちをも震わせるその目で。
 怒りを湛えて、悔しそうに。
 もっと怒ればいい。
 怒り、蔑み、そして憎めばいい。
 そう仕向けたのは私。
 些細な口論を此処まで大きくしたのは私。
 あんたが私を確実に嫌ってくれるように。
 嫌って憎んで突き放してくれるように。
 私を睨むあんたを暫く無表情に見つめる。そして口の端を吊り上げて莫迦にするように笑ってやった。
 瞬間にあんたの顔色が変わる。嘲笑され、憤怒で顔を真っ赤にして、そして去っていく。
 いい傾向だ。
 もっと怒れ。
 私の顔なんぞ見たくなんて無くなる程に憎め。
 視界から完全にあんたが消えてから、私は張り付いた笑みを外す。
 おもむろに刀を取ると腰に差し屯所を出た。
 もっとあんたが怒る事をしてやろう。
 今夜は非番だ、それを利用して修復不可能なくらいに関係を壊してみせよう。

 屯所を出たところで偶々会った隊士に何処に行くのかと問われた。
 私は楽しげに笑ってやる。
「島原へ行くんですよ。土方さんに会ったら、そう伝えて下さい」

 女を抱いて満足するという事はない。
 ただ腕の中の女を利用しているだけ。
 こうすることであの人は機嫌を悪くする。
 だってあの人は私に惚れているんだから。
 自分だって女を買うくせに、私がそれをするのは面白くないらしい。
 だから私は此処に来た。
 あの隊士はあの人に伝えてくれただろうか。
――沖田は島原に行っている――と。
 それを聴いて怒るがいい。
 さあ、怒ってくれ、そして憎んでくれ。

 胸が痛む。





 如何してこんな事になったのか。
 口論をした。しかしそれは何時も通りの軽いものだった筈だ。
 それが何故か根の深いものになってしまい、もう何日もあいつと口を利いていない。
 そればかりか傍にも寄っていない。
 目が合っても嘲笑されるだけ。
 悔しいと思う。憎たらしいとも思う。
 明らかに挑発されている。
 間違いなく俺を怒らそうとしている。
 だが、何故。
 考えても思い浮かぶ事は一つしかない。
 あいつは俺を嫌っている。

 判らないでもない。
 俺は非道な奴だと云われている。
 局の為ならどんな残酷な事でも平気でやる。
 芹沢を暗殺し、山南も殺した。しかもあいつを使って。
 仕方がなかった。
 他に信用できる者がいなかったのだから。
 局長にさせるわけにはいかない。
 だからあいつにやらせた。

 今日、あいつは非番の筈だ。
 いつもなら此処に軽口を利きに来ているところだ。
 それでも構わない。自室で体を休めているのだったら。
 あいつは胸を病んでいる。日々の隊務は体に負担を与えるものだから非番の日くらいゆっくりしてもらいたいものだ。
 本当は隊務から外して休養させたいのだが、あいつがウンと云わない。
 無理はしないようにと云ってはいるが、何時病状が悪化するかと気が気でない。
 あいつの様子を見てこようか。
 顔を合わすと嫌悪されるかも知れないが、あいつの体調が気になる。
 腰を上げてあいつの部屋へ向かう。
 障子に手をかけて音を立てて開くが、そこには誰も居ない。
 何処に行っているんだ。
 もしかすると隊士たちと下らない話に講じているのではあるまいか。
 障子を閉め、来た道を戻る。
 途中、一番隊の隊士に会った。
「総司を見なかったか」
 訊くと彼は答えた。
「沖田先生は島原に行くといっていましたが」

 島原に女を抱きに。

 如何やって部屋まで戻って来たか判らない。
 思考が定まらない。
 手が震える。
 あいつは女を抱きに行った。
 考えるまでもない。
 もう確実だ。
 あいつは俺を嫌っている。

 胸が痛い。





 陽が真上に差し掛かる頃、屯所へ戻る。
 晴れない気分のまま帰り着くと副長室に呼ばれた。
 如何やら私が昨夜何処へ行ったかを聴いたらしい。
 口元に笑みが浮かぶ。
 さあ、どんな怒りの表情で私を迎えてくれる。
 どんな罵声を浴びせてくれる。
 どのくらい私を蔑み憎んでくれる。
 なんて楽しいんだろう。
 楽し過ぎて胸が痛む。
 余りにも愉快で気分が沈む。
 辿り着いた副長室の障子をからりと開ける。
 それに気付いて、机に肘をついていた土方さんがこちらをゆっくりと振り向いた。
 全く予想外の顔で。
 苦しげに揺らぐ瞳で。
「総司」
 掠れる声で呼ばれる。
 そんな声が聴きたいんじゃない。
「昨夜何処へ行っていたんだ」
 そんな瞳が見たいんじゃない。
 怒れよ。
「言伝を頼んだ筈ですが、聴いていませんか」
 怒り、罵れよ。
「島原ですよ」
 罵り、憎め。
「女の体はいいですよね。柔らかくってさ」
 ほら、眉を寄せた。俯いたその目はどんな色をしている。
「それにいい匂いがする」
 言った途端、胸倉を掴まれる。私を見上げてくる目は思った通りの色をしていた。
 口の端を吊り上げてやる。
「如何かしましたか」
「総司」
 低い声。でもそれは望んでいた色を持っていない。
「非番の時くらい休め」
「休みましたよ、女の許でね」
 挑発するつもりで言った筈が、私を見る目から怒りの色が引いていく。
 変わりに現れたのは先程の苦しげな眼差し。
 違う。
 そんなものは見たくない。
「体を休めろ。そんな所へ行って疲れが取れるものか」
 そんな言葉が聴きたかったんじゃない。
「日頃、激務をこなしているという自覚があるのか」
 黙れ。
「そんなんじゃ、治るものも治らねぇ」
「煩い」
「労咳なんてものは休養さえ取ればなんとでもなる」
「煩いってんだよ」
「お前、死にたいのか」
 拳を握り、縋るように見上げてくるその白い顔を殴る。それでも掴んだ手を離そうとしない。
 死にたい訳ないだろう。死にたくないと幾ら思ってみても、胸の中に巣食った病は確実にこの命を蝕んでいる。
「あんたには関係ないだろう」
「関係ねぇだと。ふざけるな」
 ぎりっと奥歯を噛み締める音が聴こえる。
 そうだ、そのままもっと怒れ。罵声を聞かせろ。私を罵り、憎みそして突き放せ。
 ああ、なんて楽しいんだろう。
 楽し過ぎて胸が痛いくらいだ。
「周りの人間の事も考えろ。お前に何かあったら勇さんや源さんら試衛館で同じ飯を食った連中が悲しむ」
 綺麗な闇色の瞳が怒りで潤んでいる。
「それに俺は」
 言って、紅い唇を噛み締める。途端にその表情が変わり苦しそうな色を見せる。
「お前を喪いたくない」
 見開いた瞳が揺らいでいる。
「俺に嫌気が差しているのは判っている。でも病を治してくれ」
 零れ落ちそうな程に涙が溢れている。
「総司」
 違う。そうじゃない。
「怒れよ」
 そんな声が聴きたいんじゃない。
「怒れってんだよ」
 未だ胸元を握り締めた細い腕を掴んで引き剥がす。
「怒れよ、罵れよ」
 胸が痛い。
 視野が霞む。
「如何して怒らないんだ。如何してそんな事を言うんだ」
 頬を温いものが伝い落ちる。
「如何して判ってくれないんだ。人が折角あんたに嫌われるように仕向けているのに。私を嫌って憎んで、近付きたくなくなるようにと」
 死にたい訳がない。でも確実に遠くないうちに死を迎える病に取り付かれている。
 しかもこの病は伝染する。
 傍に居ると感染してしまう。
 他の誰に移そうとも、この人にだけは移したくない。
「この病を移されたいのか」
 掴んだままの腕を引き寄せ、その華奢な体躯を胸に抱く。
「莫迦じゃないのか、私の傍に居るとあんたも罹るんだよ」
 背に手が回されるのを感じた。
 その優しさと温もりに嗚咽が漏れる。
「好きなんだよ、誰よりも。だから遠ざけようとしたのに」
 如何して怒ってくれないんだ。
「総司」
 如何してそんな切なげな声で呼ぶんだ。
「お前の病になら罹っても構わねぇ」
 如何して予定通りにいかないんだ。
「移したくない」
 言葉は触れられた唇に消えていく。
「移せよ、お前だけを喪うくらいなら共に逝く方を選ぶ」
 そう囁いて微笑むこの人が愛しくて、その口を吸う。
「非番の日は休養する」
 呟けば、ああと返される。
「治すよう努力してみる」
 背を撫でられる。
 大切にしたくて突き放そうとして、やり方を誤まって傷つけた。
「土方さん、ご免」
 謝罪すると腕の中で笑われた。
「全く、お前は餓鬼のままだな」
「そうかもね」
 思わず笑みが漏れる。
 些細な口論の発端。思い出した、この台詞だった。
 あの時はいい機会だと思い、態と無機になって言った本人を罵り挑発した。
 もう繰り返さない。
 もう傷つけない。
「好きだよ」
 そう耳元で囁き、頬に口付ける。

 胸の痛みは無くなっていた。



く…暗っ
沖田が精神的に崩壊していますね。
書きながら、此処まで壊れてくれるとは思いませんでした。
もともとはコメディータッチで書いていたのですが
題材が題材なので書き直してみると、こうなってしまったわけです。



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2004.1.6