愛染

明け烏さま 



 夏が過ぎて、暑かった陽射しが少しずつ照射の熱を落とし始めた頃のことだ。
それでも日盛りは汗が浮くほど暑い。
その日の朝、飯を食い終わり調練も一刻ほどで終わらせて井戸端で身体を拭きながら、 ふと沖田総司は思いついたように顔を上げた。
今からでも遅くはない――
そう思いつくと、手早に残りの水で乱暴に背中を濡らし、傍らに引っ掛けた木綿の一重 に無造作に腕を入れて足早に副長室を訪なった。
「土方さん、今日はそんなに忙しくはないでしょう?」
廊下にたったままで中にいる土方に問う。髪の毛から最前の水の粒がぽたぽた落ちてい た。
「藪から棒になんの話だ。」
「いえ、これから出かけませんか。これから出かければ丁度昼時だ。たまには私がうま いものを馳走しましょう。」
文机に向かっていた土方が、いまだに立ったままで物を言う沖田に向き直った。
「珍しいことを聞くものだ。今夜辺り大雨が降るかもしれん。」
そう答える土方の顔が笑っている。


 それから四半時、壬生の屯所から出た浪人態の二人連れが四条通を北に突っ切り、二条 を通り過ぎて一条通へと向かう姿があった。
二人とも濃い色目の麻の着流しに深編み笠を被って、一目見ただけではとても新撰組の二 枚看板とはわからない。素面を昼日中にさらして歩けるほどに二人とも無名ではないのだ。
「どこまで行く気だ。」
歩を進めながら傍らの沖田に幾分歩き疲れたのか、土方が聞く。
「なに、どこといって当てはないんですがね。」
頭一つ分高いところから声が返った。
「おまえ、あてもないのに馳走すると言ったのか。」
暑い最中の街中を歩き疲れて土方はむっとして歩みを止めた。
「それそれ、あそこに丁度いいぐあいに店がある。あそこにしましょう。
 二階のくつろげるところを借りれば、ちょっとぐらい横になれるだろうから、土方さん は昼寝でもすればいい。」
くったくのない多分に自分勝手な調子に巻き込まれて、土方は言い返すこともできずに溜 息をついた。

―めしや長楽
大した構えの店ではない。古びた入り口に縄の暖簾をかけた一膳飯屋という風情なのだ。
いったいどこがご馳走なんだか・・・・
しかし腹は減っている。
 店は丁度昼の客が引いたあとらしく、二、三人の客が飯を食っていた。
編み笠を取って暖簾を分けたとき、浪人が店をでるところとすれちがった。
すれ違ったあとで、浪人ははっとしたように二人を振り返ってみた。笠を取ったその顔に 見覚えがある。あれは、新撰組の土方歳三と沖田総司ではないか。
なんとも気のおけない雰囲気で、こちらには毛の先ほども頓着しているふうはない。
袴もつけずにこんなところまで足を伸ばすなどあるはずもないことが、現にこうして目の 前にある。浪人はごくりと唾を飲み込み、店をでると飛ぶように走って近くの荒れ寺に飛 び込んだ。
「おい、吉報だ!新撰組の土方と沖田がいる。」
そこには食い詰め浪人と見える男が五、六人たむろしていた。
寝そべって酒を酒瓶から直に飲んでいるものが、むくりと起き直り、
「何を寝とぼけたことを。こんなところへ来るものか。」
馬鹿らしい、とばかりにはだけた胸を流れる汗をぺちぺちと叩いてみせた。
飛び込んだ浪人は、にやりと笑うと、
「それが居るんだ。たったふたりだ。他に連れがいるようにない。こやつらの首を持って 行けば、俺らは長州や薩摩といった大藩にお召し抱えの夢もあるぞ!」
「まことなのだな。」
話を聞いていた別の浪人が目をぎらぎらさせて寄ってきた。
「ああ、いくら手練れといってもたかが二人、それに天然理心流などという聞かぬ田舎剣 法だ。うわさほどのこともあるまい。ここに居るもので六人、あと四人も呼べば十分だろ う。」
浪人は同意を求めるように周囲をみまわした。


 その店の二階で出された昼食は、豆腐の田楽、川魚の飴煮、茄子のシギ焼き、
塩漬け野菜の煮物などという、ありふれた田舎料理だった。それでも飯を全て平らげたのは、 ここまで長い道のりを歩いてすっかり空腹になっていたからだ。
「土方さん、今下で女中に聞いてきたんですがね。」
とんとんと軽い音をさせて二階の座敷に姿を見せた沖田が、昼飯を食ってごろりと寝そべっ た土方に声をかけた。
肘まくらで居眠りかけているその姿は、沖田の目になんとも色めいて見える。
黒地の着物から覗く白い腕や足首の細さは、これが鬼の新撰組を束ねる副長かと訝るほどに 頼りなげだ。
微苦笑を浮かべて溜息まじりに土方の脇へそっと寄ろうとしたとき、開け放した障子窓から 外が目の端に写った。斜向かいの辻角に潜む姿がちらりと見えた。
はっとして注意深く外の気配を探れば、どうも胡乱な人影が幾つかひそんでいるようなのだ。
「土方さん、外の様子がおかしい。」
幾分緊張した声で土方の肩を揺すった。
うん?と薄目を開けて見上げた沖田の顔が少し緊張している。
「つけられたか。」
道中そんな気配はなかったはずだが、と半ば沖田の感を疑ってみた。
「いや、そんなことはなかった。だけどどこで俺らと知れたのか。」
外を窺いながら沖田は応えた。彼にもよくわからない。
しかしどう言おうと現に付狙われているのだ。
「やはりおまえが馳走するなど、ろくなことがない。」
苦笑を零しながら起き上がり、傍らで片膝をついたままのその唇を己が唇ですっと掠めた。
「土方さん。」
こんなときになんてことをするんだ。
そう思いながら見つめる先の土方が悪戯そうに笑っている。
「腹ごなしに一つ派手にやってやるか。なに、俺とおまえのふたりだぞ。」
畳の上に置いた太刀を取り目釘を確かめる土方に、先ほどの唇の襲撃で幾分気持ちを和らげ た沖田があきれたように言った。
「でも人数が多ければ刀が斬れなくなってしまう。死んでもいいんですか。」
「おまえとならばそれもいいさ。」
あっさりとそんな言葉を口にするのだが、その裏にあるしぶとい本心を沖田は知っている。
「私はごめんですからね。二人で首なしの屍骸でころがるなんてのは。」
沖田もまた刀を取り上げて立ち上がり、
「さっきの続きは事が終わったら存分にさせてもらいますよ。」
笑いかえした。


 幾分余計に勘定を払い表へでた。
背後で小女が張りのある声で
「おおきに、またおいでやす〜。」
お愛想を言っているのに送られた。
「この先を右に曲がって行くとなにも隠れるもののない辻にでるそうです。」
いつのまに沖田はそんなことを聞いていたのか、ここいらあたりはほとんど見知らぬ土地だ。
「奴ら、何人いると思う?」
「さぁ、でも十人ぐらいかな。」
土方もそう思う。
修羅場を潜ってきた経験からそのぐらいだと、なぜだかわかる。
二人は家の角を右に曲がった。
次第に人家はなくなって、左右にはそろそろ稲穂が実り始めた田が広がっていた。
前後左右には丈高いものはなにもない。
一間半ほどの道が行き交う四つ辻にでた。
つと、歩を止めて背後を窺う。
時をおかず、ばらばらと乱れた足音がした。
土方も沖田も鯉口を切った。
「おぬしら、何用か。」
睨めつける眼差しで人が死ぬると屯所で噂される土方に睨まれて、走り寄った一団は一瞬た じろいだ。
「あんたら、野暮な用ならよしたほうがいい。
 命を粗末にするもんじゃないよ。」
沖田が更に揶揄する口調でそばでからかう。
「こいつら、囲んでやっちまえっ。」
完全に嘗められていると、浪人たちは逆上した。
つらつらと抜いた白刃が日盛りの田舎道にそぐわぬ光を放った。
土方が無造作に二足を進めて、腰から大刀を走らせた。虹色を振りまくような光線が横一線に 走ったとき、最前列に立っていた浪士の腹から血飛沫が飛び散った。
斬られた男は唖然と己の腹を見下ろした。裂けた着物から腹の肉が血に塗れ、内臓までもがの ぞいている。男は尻餅をついて悲鳴をあげた。
「押し包め、押し包めっ!」
喚きながら四方に散らばろうとしたが、足場が悪い。
二人は辻の真中にいる。
押し包むには道幅は狭く、周囲は水の張った稲田なのだ。
自然、相対する数は限られてくる。
そこへ沖田は呼吸をはかることもせずに片手でずっと突きを入れた。
喉元に突き刺さった切っ先を引き抜きざま、その背後に立つ男の首をめがけて左から横一文字 に引ききった。首が半分千切れている。
死体がどうっと稲穂を血に染めて倒れた。
腕が違いすぎた。
完全に追ってきた者たちは恐怖に慄いてしまっている。
だが、逃げようにも膝が力を失ってがくがく震えて思うように動かない。
かろうじて刀を構えてはいても、蛇の前の蛙のように目の前に迫る刃を一太刀でも交えるなら ばこそ、手もなく仕留められていく。
残ったのはわずかに二人。
それぞれが振り返った土方と沖田にチャキッと鍔鳴りさせた刀を向けられたとき、刀を放り投 げて走り出した。
血に滾って追いすがり、杉の林が始まるあたりで背後から背を割って倒した。


「この始末、どうしますかね。」
懐から出した料紙で刀身を拭い、荒げた息を継ぎながら沖田が土方に目をやった。
同じように刀の拭いをかけていた土方の立つ背後の鬱蒼とした杉木立の中に古ぼけたお堂が建 っているのが見えた。
ふと、最前の飯屋の下女が話してくれたことを思い出した。

「愛染明王のお堂が一つきりあるだけどすけど・・・・」

以前寺の境内にあったものが、火事で焼け残ったとか下女は言っていた。
土方を誘って林に足を踏み入れた。
杉の木の枝が光を遮り、ひんやりとした空気が今しがたの闘争の汗に心地よい。
足元には苔が敷き詰めたように生えている。


「これが愛染明王か。」
格子の中から憤怒の形相をした古い真言密教の仏がこちらを見据えている。
覗き込む土方の後方で、沖田は仏の姿をみるのではなく彼を見ていた。
愛染明王の形相はなぜにこれほど怒りを現しているのか。
和合を説きながら許せぬものとはなにだろう。
そっとちかより、その背中を抱いた。
神も仏もが怒り狂おうと、この人を諦めなどしない。
頬をその背中にゆっくりと押し付けながら、沖田は格子の中の怒れる仏に見せつけるようにその 体をまさぐった。



明け烏さまから頂きました♪有難うございます!
斬り合いの場面がもうっ凄く良いじゃないですか!
(沖田の殺陣フェチぎみなので…/笑)
実は、此処にアップしているのは頂いた作品全文ではありません。
掲載する際、一部を削除するように云われたのですよ。
全文を読みたい方はソースを開いてください。
ですが、性的表現があるので未成年の閲覧は禁止します。


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