紅に簪、緋の着物
ある長閑な昼下がり。屯所の濡れ縁で、茶を啜りつつ日向ぼっこをする男二人。 「暇だよな」 湯呑みを手にしたまま原田左之助が呟いた。 「暇なのは京の町が平和だって事だからいいんじゃねぇの」 晴れた空を見上げながら永倉新八が返した。原田はひとつ大きな欠伸をする。 「そりゃあ良いかも知れねぇけどよ、暇だ」 「そのうち何か起こるかも知れねぇからさ、体力を温存しとけって事かもよ」 そう言う永倉も退屈極まりないと云った表情をしている。 「昼間っから遊郭に行くわけにもいかねぇしなぁ」 この二人には平隊士に剣術指南をしようという気はさらさら無いようである。 二人揃って欠伸をし、揃って屯所の門を眺めた。 視線の先では、丁度外出先から戻ってきた土方歳三が門を潜ったところだった。黒の紋付を着ている為、もともと白い顔が余計に白く見える。 「白いよなぁ」 永倉が不用意に呟く。 「綺麗な顔だし、撫で肩で細身だし」 「そうだよなぁ、折角いい条件が揃っているんだから、女だったら良かったのにな」 原田は湯呑みに僅かに残っていた茶を飲み干した。 暫しの間。 次の瞬間、二人は顔を見合わせた。 「それだ!」 叫ぶと、同時に彼らは副長室に向かった。 意気揚揚と土方に声をかけた原田と永倉。 彼らの異様な笑みに不信感を抱きつつ用件を問う土方。 二人そろって曰く 「女に扮してみねぇか?」 当然の如く「嫌だ」と返される。 そんな返答は既に予測済みだった永倉は 「これは新撰組の為でもあるんだぞ」 と、のたまった。 その台詞に多少興味を持ったものの、やはり女装するのは気が引ける。土方は眉間に皺を寄せ、永倉にその言葉の意味を問うた。 「女に扮して不逞浪士の許に潜り込み、奴らの情報を聞きだせるだろう?怪しい薬屋や町人の格好をした監察より女性の方が警戒され難そうじゃねぇか。それに監察を通して報告を受けるよりも副長御自ら出向いた方が迅速に情報を得られ、より早く対応出来るってものだろう?なぁ」 永倉は如何やら己の好奇心の為なら頭の回転が速くなるらしい。 「それにな、これは新撰組の為だけじゃねぇ。京の町の為、幕府の為でもあるんだぜ」 原田が更に追い討ちをかける。 「そうは言ってもな」 土方は渋る。 「俺は男だ。女なんかの格好をしたって似合わねぇよ」 「大丈夫だ」 断言した二人に乗せられて、土方は暫く考えた後、不本意ながらも承諾したのであった。 さて。 土方に女装させると決まったものの、如何やってそれを実現させるかが問題になった。 新撰組の隊士たちは女が着ている物を脱がせるのは得意だが、着せるとなると話は別だ。まして相手は鬼だの冷血漢だのと悪評たかい副長である。平隊士は当然、一部の幹部ですらそれを請け負うような者は居まい。 そこで永倉は馴染みの女・小常の許を訪れた。 小常は人懐っこい笑みを浮かべて永倉を迎えた。 「こんな昼間からどないしはったん?」 「頼みがあってな」 小常は無言で先を促す。 永倉は神妙な顔つきになって上半身を乗り出した。どんな重大な頼みがあるのかと思い、小常は目の前に座る男の目をじっと見つめた。 「新撰組の為、果ては幕府や京都市中の為、更にはこの日の本の為、新撰組の幹部を女に化けさせて欲しいんだ」 「…はぁ?」 予想もしていなかった永倉の発言に思わず間の抜けた返答をする。 「それの何処が日の本の為になるんどす」 「詳しくは言えねぇ。頼まれてくれねぇか」 小常は黙って考え込み、ややあって口を開く。 「かましまへん。せやけど男の方はごつうおますから女装したところで滑稽どすえ。そんな人と一緒に居ったら永倉はん、奇異の目で見られますえ」 そしてくすりと笑った。 「でも、うち、変な目で見られる永倉はんを見てみたいわぁ」 「…小常…」 この男にして、この女あり。 小常もやはり己の好奇心の為に永倉の頼みを聞き入れることにしたのである。 そして。 未だに渋る土方を連れて、永倉と原田は小常の許を訪れた。 「あらぁ」小常は感歎の声をあげた「綺麗な人どすなぁ。どなたやの?」 「副長の土方だ」 へぇ、あんたはんが…と小常は呟いた。 「お噂はよう聴いとりやす。詰め腹を斬らせるのが特技の鬼副長はんでっしゃろ?」 笑顔で喋る小常。しかし、男3人の周りの空気は凍りついた。 口を噤んで無表情になる土方。氷のような空気を感じて身動きできない永倉と原田。 小常はそんな3人を眺め首を傾げた。 「如何しはったん?さあさ、副長はんを女装させますから、お二方はあちらで待っていておくれやす」 永倉と原田が逃げるように隣の部屋に去っていったのは言うまでもない。 約半刻後。 小常が隣室の永倉と原田を呼んだ。呼ばれた二人は待ってましたとばかりに腰を浮かす。 障子の向こうに緋色の着物を着て、結い上げた髪に簪を着けた女が座っていた。 永倉も原田もごくりと唾を飲み込む。 「凄ぇ…」 原田が言う。 「変か?」 土方が紅をひいた唇を開く。 「…女そのものだ」 それに永倉も頷く。 「でも、女性と較べて髪が短いから結うのに苦労したんどすえ」 小常は土方を見やる「それにしても、えらい別嬪さんになりましたなぁ」 土方は口の端を上げた「元が良いからさ」 土方の女装が使えるかどうか確かめる為、というよりは女装させられた本人以外の連中の好奇心を満足させる為、四人は市中へ繰り出した。 乗り気がしない土方は原田の背後に隠れるように歩いていたが、それでも余りの美人っぷりに物凄く目立つ。すれ違う物が皆、己を見て振り返るので先程の自信は何処へやら、日頃の彼とは思えない程の気弱な口調で 「やっぱり、俺の格好が可笑しいんじゃねぇか」 と前を行く三人に問うた。 「何処が変やと言わはんの?」 「声が男っぽいことを除くと可笑しいところなんてねぇよ」 「そうそう。せめて高い声で喋ろうぜ」 三人が言っている時、路の向こうから浅黄の隊服を着た隊士たちが歩いて来た。土方は彼らから姿を隠そうと原田の背後に回り込む。 「おや」隊士の一人が土方に気付いた。土方はびくっとする。 「原田先生、今日は格段に綺麗な人を連れていますねぇ」 言われた原田も永倉も「そうだろう」と自慢げに笑っている。 如何やら自分が副長だということはばれなかったらしい。通り過ぎていく隊士等を横目に見ながら、土方は安堵の溜息をついた。 それに気付いた永倉。 「そんな所に隠れていたって仕方ねぇだろう。そうだ、次に会った隊士に押し付けてみようか」 などと突拍子もない事をのたまった。 ちょっと待てと慌てる土方を尻目に、原田も小常も同意している。 無責任にも程がある。隊士に押し付けられて正体が露顕でもしたら、この先如何やって屯所で過ごせばいいのだろうか。冷静沈着で隊内を纏める役目の己が、女に扮して街を闊歩していたと知れ渡るなど言語道断だ。 今後の為にもそれは御免被りたい。 そんな土方の胸の内を理解しようとしない三人は、談笑しながら遠くを見遣っている。 彼等の意見を却下するべく、声をかけようとした時、 「あれぇ、永倉さんと原田さん」 間が悪いというか何というか、聴き慣れた声が飛んできた。振り向かないでも判る。この声は沖田総司のものだ。 「おお、総司」 永倉が異様に嬉しそうな声をあげる。 「あれ、原田さん。また、新しい女の人をつくったんですか」 沖田は原田の後ろに隠れる土方を覗き込んだ。土方は俯く。 「綺麗な人ですねぇ」 「そうだろう?」 と、永倉。 「この人は小常の友達でな。お前に気があるみたいなんだよ」 「そうなんどす。沖田はんを慕って夜も寝られへんよって余りに不憫で…。このコの想いを遂げさせてやってくれへんやろか」 小常も話を合わせる。 こいつら何を言いやがる、と土方は心の中で毒吐いた。 彼等はその場しのぎの設定を作ったに過ぎないだろうが、実際に土方は沖田を好いている。と言っても片恋ではなく人目を盗んで逢瀬を繰り返す仲だ。それが知れてしまったような気がして、如何にも居た堪れない。 また、此処で沖田に気があるという女を押し付けても、既に恋人が居る彼は彼女を拒絶するだろう。 ところが沖田は 「そうですねぇ。じゃあ、出会い茶屋でも行きますか」 と言い、土方の手を引いた。 「頼んだぞ、総司」 飄々と言う永倉と原田の呑気な声を背後に聴きながら、土方は愕然とした思いで手を引かれるままに沖田に従う。 見ず知らずの女に沖田を取られたような気がして悔しい。沖田とて男、矢張り同じ性の自分よりも女の方が好いのだろう。 「名は?」 訊かれたが、口を噤み俯いたまま歩く。哀しくて目頭が熱くなり視界が霞んだ。瞳に溢れた涙を零すまいと唇を噛んで堪える。 沖田はそんな土方の顔を覗き込んで悪戯っぽく笑った。 「歳三でしょう?」 土方は弾かれたように顔を上げ、沖田を見つめる。 「やっぱり土方さんだったんですね。全く上手に化けたものだなぁ。実を言うと気付きませんでしたよ」 「好きでこんな格好をしてるんじゃねぇよ。言い出したのは永倉と原田さ」 そして此処に至るまでの経緯を話して聞かせた。沖田はけらけらと笑う。 しかし、急に真顔になると土方の目をじっと見つめた。 「それにしても、あそこで会ったのが私で良かった。他の隊士だったら如何するつもりだったんです?ほいほい付いて行くんですか?」 「さぁな」 「ご自分が女性そのものになっていると自覚して下さい。体に触れられたら如何するんですか」 土方は再度「さぁな」と呟く。 「怒りますよ」 沖田の真剣な眼差しが真直ぐに注がれる。 それがなんだか嬉しくて、土方は沖田の腕に手を絡ませた。 「お前以外の奴に触れさせるものか」 言って二寸ほど上にある双眸を見上げる。 「折角、女装しているんだ。出会い茶屋なんか行かずに、このまま清水寺にでも行こうぜ」 沖田は呆れたように溜息を吐き、目元を和ませた。 「そうですね」 同意し、先に歩き出した沖田に腕を絡めたまま、土方も歩調を合わせる。 通りを東に行く二人の遥か後方、漬物屋の建物の影で事の成り行きを盗み見していた件の三人はにやりと笑った。 「沖田、落ちたり」 原田が言う。 「歳さんが戻ってきたら報告して貰おうじゃねぇか」 会話が聞こえていなかったとは幸せなものである。 結果報告を楽しみにしつつ、彼等は来た道を戻って行った。 翌日。 小常に借りた着物を返し、屯所に戻ってきた土方は永倉と原田に昨日の経緯を聞かれた。が、質問には答えず 「いいか、もう二度とあんな真似はしねぇよ」 とだけ言う。 永倉と原田は非難の声を上げた。 「着ていた物が派手だった所為もあるけどな、何処へ行っても目立つんだよ。そんな俺が監察みたいな地味な仕事が出来るかよ」 そして自室に向かう。 二人はそんな土方を恨みがましい眼つきで追いつつ再度問う。 「で、昨日は如何だったんだよ」 土方は部屋の障子に手をかけた。 「清水寺へ行った。その後一緒に飯を食った。疲れたから旅籠に泊まった。以上だ」 そして二人を副長の顔つきで一瞥し、障子を勢いよく閉めた。 その後、小常から聴き出した所に依ると、着物を返却に来た時の土方は疲れきった表情をしていたらしい。更に返された着物はきっちりと洗濯が為されていたようである。 一体、総司との間に何があったのか、判らないままに三人は頭を捻ったのだった。 こうして今日も変わり映えしない一日が過ぎていく。 |