what I've learned and what to hand down Kaito Hayashi
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《日本画事始め》

私が日本画の絵の具を初めて手にしたのは、
15歳の時、
すなわち京都市立日吉ヶ丘高校にあった
日本画科に入学したときでした。

この学科は、明治13年に開校した京都府画学校が、
その前身となります。
現在は中京区にある
京都市立銅駝美術工芸高等学校に
引き継がれています。

大正期には、
円山・四条派の系列に属する竹内栖鳳や
山元春挙の他
当時の京都画壇で重要な役割を果たした画家たちが、
実習教員を勤めていました。

そのような背景が
色濃く反映されていたからでしょう、
写生を重視する基本姿勢を、
指導を受ける際にも強く感じたものです。

しかし、円山・四条派にあった「写生」とは、
目に見える対象の形に似た形を
画面に描き出す方向性を持ち、
実際には伝統的な様式に基づく
処理がなされていました。
目に見える対象を写実的に捉えることとは異なります。

ところが、当時の私には、
これらの脈絡を理解するには、
読解力が不足していていました。


"Fulfilling"      [227.3×181.8cm (F150)]
painted by Kaito Hayashi
The painter, who was 18 years old (1979),
created the work of art with gelatinous adhesive
and sandy pigments on japanese paper,
longing for the thinkers of high virtue
and the great Surrealist, Salvador Dali.



西洋画科では、
対象から反射される光を捉える訓練として、
石膏デッサンを繰り返し行いますが、
そのようなカリキュラムも日本画科にはありませんでした。
しかし私は目に見える対象を写実的に写そうとして、
素描の段階から光を捉えようとし始めました。

実際には写実主義的な絵画に収まることはなく、
18歳の時の卒業制作では、
シュルレアリスムの影響を強烈に反映した絵を描きました。
(上記に掲載)

その後、個々の対象を写実的に捉える場合と、
それを抑制しながら
独自の様式化を押し進める場合との、
描き分けを試みています。


龍出づる瀧
 "the Waterfall from where the Dragon emerges"
[219.0×174.cm] 2002
drawn by Kaito Hayashi
with charcoals and pencils



《没骨か勾勒か》

1996年から、
並木功氏の指導を仰ぐようになりました。

並木先生は、愛知県立芸術大学に学ばれ、
主として東京から招かれた指導者の下で
研鑽を積まれました。

私は、京都画壇で古くから主流であった
没骨(もっこつ:輪郭の線を描かず色の濃淡だけで描き表す方法)で
対象物を描く習慣が身についていましたが、
並木先生はその没骨と、一方で対照的な
勾勒(こうろく:輪郭を細い線で描き、その中を彩色し、
しかも最初の線描きの効果も生かす描き方)の両方を、
巧みに使い分けていらっしゃいました。
先生は、いずれの描画法も肯定的に捉えていらっしゃるようで、
私が没骨のみで描いていることに関しては、
一言も意見や見解を述べられることはありませんでした。

ところが先生が勧められる画面構成は、
大変説得力があるにもかかわらず、
それに従おうとするとき、
それまでの自分の描画法では、
先生のお勧めに応えることができないと
感じるようになりました。
勾勒で対象物を描く必要性と直面することとなったのです。
それまで没骨で描くことしか眼中に無かった私にとって、
勾勒で描くことには、悶絶するほどに苦しいことでしたが、
この苦悶に耐えさせるほど、
先生の勧められる画面構成には説得力がありました。

今では、没骨と勾勒を併用することに、
些かの抵抗感もなく、
いずれの描画法が適切かは、
感覚的に使い分けることができるようになりました。


その後、対象物を思い切って様式化して描くことで、
むしろ物の動きを表現する試みも重ねました。
そして、勾勒が
様式化をやりやすくしてくれたのです。

今、私のアトリエには、
絵を学ぼうとされる方々が通ってらっしゃいますが、
没骨と勾勒が適材適所で使い分けられることが
伝わっていけばと願っているところです。

並木先生のように、
描画法を押し付けずに諭すことができれば、
これに越したことはないでしょう。

ついつい描画法まで押し付けてはいないか、
自らを戒めたいところです。


冬の雷
 "Thunder in Winter"
[27.9×18.7cm] 2009
painted by Kaito Hayashi
with powdery pigments and
gelatinous adhesive


《下塗りの工夫》

洋画・日本画を問わず、下塗りには
イエローオーカー(舶来黄土・黄口黄土)がよく使われます。

この方法は、先人の知恵が反映され、
要領を得た色選びであるといえるでしょう。

仮に、賦彩する色味を三原色に還元し、
混色せずに重ね塗りを前提として作業を進めるとすると、
明度の高い方から、黄・赤・青の順に載せていくことが無難です。
この手順で、不用意な濁りを避けるようにします。

さて、旧来下塗りで使われてきた舶来黄土や
黄口黄土は
黄:赤:青が、凡そ10:5:2の比率で
混ぜられた色になっています。
画面全体の色調に統一感が得られるように、
先の黄土色の濃淡で初期の賦彩を行えば、
即ち三原色それぞれの色味が、
程良い割合で行き渡ることになります。

これらの効果がよく反映されている作品は、
とりわけ昭和中期までの日本画に、
顕著に見受けられます。

一方で、昭和中期以降の日本画では、
塗り込みが多く重ねられるようになり、
旧来の下塗りの効果が活かされなくなってきました。
このような状況下で、
下塗りの効果的な活かし方が
忘れられるようなことがあれば、残念なことです。
なぜ先人は初期の賦彩で
黄土色を選んでいたのかの理由が伝えられなければ、
これから日本画を描こうとする人達が、
効果の希薄な方法でしか下塗りができなくなるでしょう。
結果的に全体の色調に落ち着きがなくなります。

昭和中期以降、
上塗りの量が多くなってきたとしたら、
それに比例して、
前もって行う下塗りにも色彩的厚みが必要になってきます。

予め適度な比率で混ざっている黄土色に任せるだけではなく、
原色に近い複数の色を使い、
仕上げたい色に合わせて、
先の比率10:5:2を、意図的に操作しながら、
深みを出す準備をすることを、お勧めしています。